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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

ケータイ

2005-01-23 11:44:12 | エッセイ
例えば電車の中、人のケータイが煩わしいのは、会話の半分しか聞けないため、その相手の話を推測しなくてはならないからだ。疲れている時など、いや疲れていなくても、そんなことに頭を煩わされたくない、というのが、周りで聞かされている人間の本音だろう。
もう一方では、話を聞いていないフリをしなくてはならないということ。電話というのは、仕事の話であっても当事者間のものであるから、他の人は基本的には聞いてはいけない。それを聞かせておきながら聞いていないフリをさせるのだから、やはり必要性があるものであっても、早々に切り上げる方がいいだろう。
まあ中には聞いててほほ笑ましい話もあるのだが、「今電車の中だから」と言ってケータイを切った人に出会ったのは、今までで確か1回しかない。

さて、カメラにテレビにナビ付きにと、ケータイもずいぶんと進化してきた(ラジオ付きもあったかな?)。髭剃りや、缶切りなどの七つ道具を付ける、というような案もあるそうだが、さてさてどこまで行くのやら。
ますます便利になっていくケータイではあるが、昔の人類が持っていた「野生の勘」みたいなものが衰退していくとすれば、それはそれで危険なことなのかも知れない。
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