ソニーやパナソニック、ホンダやキヤノンが存在しなかった世界の、話。
主人公は権田原源造という男。「ごんだばるげんぞう」と読むのだが、明治生まれとは言え、よくまあこんなに濁音を付けたものだと思うくらい。
珍しい名字のうえ堅苦しい名前だったので、子供の頃からよくからかわれたらしい。「やーい、ごーんだばるー」といったふうに。
だから男は、何とかこの「ごんだばる」でからかわれないよう、バカにされないようにしたいと強く願った。そのためには「ごんだばる」が世に広まればいいと考えた彼は、丁稚奉公のような形で働くことになった町工場から一生懸命に努力して、一つの小さな会社を立ち上げるまでになった。それが〈株式会社ごんだばる〉。
小さな部品メーカーだったのだが、やがて電球を作るようになり、続いて電気機器、自転車、自動車、カメラと、事業を次々と拡げることになった。もちろん優秀なスタッフがたくさん付いてきてくれたこともあったが、何より本人の努力が半端ではなかった。
朝は3時には起きだして仕事に取り掛かり、夜も9時まで。土日も関係なく、睡眠時間は4~5時間といったところ。それを50年以上続けてきた結果、〈ごんだばる〉は世界でも有数の会社にまで登りつめることとなった。今や航空業界や保険業界、教育、福祉にまでその事業範囲を拡げている。
事業を拡張するたび、社名をもっとスマートなものに変えよう、という声は出てきたのであるが、創設者としての思いは「『ごんだばる』を世に広める」であるから、頑として譲らない…。
〈ごんだばる〉からかけ離れたスマートな社名は即却下されたため、側近たちが考えたのが、㈱GDB、㈱Go、あるいは㈱ゴン、などなど。中でも源造が食指を動かしそうになったのが、イニシャルから考えられた「GGコーポレーション」。しかしこれも結局は却下となってしまった。
彼のように子供の頃、自分の名前でからかわれた者もたくさんいたことだろう。ただ、彼ほど自分の名前を広めることに執念を燃やした者はいなかった。
長年走り続けてきた源造であったが、そこは人の子。引退、そして寿命の尽きる時がやってきた。いまわの際、社長を引き継いだ娘婿に伝えたのは、やはり「社名を変えるな」ということであったらしい。
かくして、〈株式会社ごんだばる〉は今も世界的な企業として存在しており、テレビやラジオ、ネットや街角の大画面からは「ご・ん・だ・ば・る、ごんだばる!」という重々しいCMが途切れることはない。
しかしその響きにつられてか、どこか暗い感じのする世の中なのであった。
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