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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

サイエンスカフェにて

2013-03-31 07:14:49 | 科学/考察
 
 真空から素粒子が生まれたり消えたりするのがとても不思議でした。それが「サイエンスカフェ」というセミナーで理解できた、というちょっと小難しい話。

 けっこうあちこちにあるようですが、静岡市でもサイエンスカフェが毎月開かれています。静岡大学の理学部が主催で、科学の最先端の話をその道の専門家が講義形式で説明をしてくれるというもの。ゲノムの話から地震の話、素数の話、発光の話まで、好きな人にはたまらない話題ばかり。
 そう何回も参加しているわけではありませんが、この1月に「神の粒子ヒッグス」というテーマで開かれたので、出掛けていきました。

 さすがに内容は難しかったものの、〈ヒッグスの氷の海〉というものから電子と陽電子とが発生するということが図式で説明され、何となくイメージすることができました。
 そこで連想してのが「なぜ真空中で素粒子が生まれたり消えたりするのか」という疑問。質問をしたところ、「真空といえどもヒッグス場というのは存在していて、素粒子が生成/消滅するのは何ら不思議はない」とのこと。
 というわけで長年の疑問が何となく分かってきたわけ。どうも真空という容器の方が、素粒子の性質を支配しているらしい。宇宙の真空中を光や電波、重力が伝わるのも、ヒッグスがあるからなのだろう、と思っているところ。

 参加者は高校生からおじいさんまで幅広い。隣りに座った男の子が「数学Ⅱ」の教科書で宿題やっていたので懐かしくて見せてもらい、話をしたところ、高一なんだそうだ。
 天文学をやりたいという賢そうな子で、そういう高校生が参加しているのであれば、まだまだ日本も大丈夫、と思った次第。
 コーヒーも出ますし頭の普段使わない部分が刺激されますんで、皆さんもどうぞ。

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誰しも二面性は

2013-03-17 09:03:33 | 科学/考察
 
 フジテレビのドラマ『カラマーゾフの兄弟』が佳境に入った。原作読んでいないため真犯人が誰なのか、最後どうなるのかよく分からない分、ワクワクしながら見ている。(使用人の末松がどうも怪しいと感じていたが、そうだったのか…)

 不良っぽい長男・満にも一途な面はあるし、真面目な弁護士の次男・勲にも野心が潜んでいる。そして超純粋な医学生の三男・涼にも、何かしら裏はあるのかもしれない。(一説によれば、書かれるはずだった第2部では、三男アリョーシャがテロリストになっていた、らしい。純粋であればあるほど、極端に走りやすいのかもしれない)
 もちろん『カラマーゾフ』は、そんな単純な話でもない。

 職場と家庭との顔が違うのはもちろん、長年知っている人にも意外な面が見られたり、特殊な場面では違う一面を見せたりと、人間ていうのは一筋縄では行かないというか、二面性/多面性を持っているもの。
 あなただってそうだろうし、僕だってそう。一生懸命仕事する時もあれば、エッチなことばかり考えていることもある。このブログだって、前回みたいにしんみりした感じになる場合もあるし、小難しく考察することもあるし、「ナンセンス スタヂアム」みたいに何ともバカバカしいこと書く場合だってある。
 何が正しいわけでもなく、これが人間、だろうと思う。

 …てなことをずっと考えていたら、作家の平野啓一郎氏がこんなことを新聞に書いていた。「対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である。複数の「分人」が「個人」を構成している」。やはり。

 同様に、誰しも変な所はあるもの。堅苦し過ぎるってのも変だろうし、しゃべり過ぎも変なのだと言える。
 これまた一説によれば、成人の約1割が発達障害なのだという。かのビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも、たしかトム・クルーズもそうらしい。おそらくそれ以外でも、極端に正義感強いのとか異常に女好きなんてのも、広い意味で行くと〈障害〉と言えるのかもしれない。仮にそういう人たちを除外してみても、残った人たちの中で〈変な人間〉というのはやはり出てくるのだろう。
 だから、何が正しいというわけではなく、人は誰しも生きてていいはず。

 〔写真は、米国の5セント硬貨の裏表〕

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甘鹹苦酸旨

2013-01-13 10:29:18 | 科学/考察
 年末の大掃除で、賞味期限をとっくに過ぎた古ーい非常食(ビスケット)が出てきた。家族を代表して毒見したところ、食べられないことはなかったが微妙に味がくすんでいたので捨てることにした。
 ビスケットは比較的乾燥しているから腐ることはないにしても、経時変化と言うのか、やはり劣化はするものであるらしい。

 普通、食べ物が腐ると酸っぱくなる。これはいわゆる腐敗菌の活動により、物が酸性化するため。酸味自体はフルーツやヨーグルトなどのようにおいしく感じられる場合もあるが、腐敗しているかどうかの目安にはなる。
 フルーツでも甘い場合、それは栄養となる糖分であるから、体は拒否することはない。人口甘味料という、栄養にならない甘味というのもあるけれど、ウマいと感じるのはそのせい。動物に食べてもらって種を遠くへ運んでもらうための、当該植物としての戦略ではある。
 逆に毒物は苦いことが多い。アルカロイド等の毒物自体が苦いのか、あるいは苦く(不快に)感じるよう動物の舌が進化したのだとも言える。子供は特に苦いの苦手だが、それはまだ健康であるから。大きくなってバランス崩れてくると心地よくなるものらしい。
 塩辛いもの(鹹味)については体液の濃度調整に必要な塩分であるから、体の状態によってはおいしく感じるようになっている。酒をたくさん飲んでおしっこたくさん出した後のラーメンがおいしいのは、その一種。
 旨味については言うまでもない。体に必要なアミノ酸であるから、ウマく感じるのは当たり前。(「甘い」と「旨い」は同じ語源じゃないかな)

 まとめるとこうなる。
  甘・・・栄養となる糖分。快
  鹹・・・体液調整用。時に快
  苦・・・基本的に毒であるが薬にも。大人になると快
  酸・・・基本的に腐敗のサイン。場合によっては快
  旨・・・栄養となるアミノ酸。快

 食べたことはないけれど、タデ食う虫も好き好き、と言う。その虫はきっとタデをおいしく感じていることだろう。
 結局、動物の体ってのはうまく出来ているものだと思う。病気とかで、あれ食べちゃダメこれ飲んじゃダメってのがあるけれど、体が欲しているものであれば、それは体にとっていいものであるんじゃないかという気はしている。もちろん、食べ過ぎ飲み過ぎは禁物だけれど。
 ちなみにもう一つ「辛味」というのがあるが、これは痛みの一種であり、味蕾というより痛点が感じるているものであるらしい。

 さて冒頭の毒見であるが、おなか壊さずに済んだのは良かった。ヘタすりゃ正月を棒に振るところだった。例えば9月の「防災の日」にでも非常食の点検でもするか、と思っているところ。
 

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比較の問題⑤(数量の感覚)

2012-09-23 09:15:39 | 科学/考察
 
 たとえば年収5億と10億、たとえば重量4万トンと8万トン、たとえば2万光年と4万光年。
 あるいはO.01秒と0.02秒、あるいは3ミクロンと6ミクロン、…。

 専門家やスポーツの世界では重要なことなのかもしれないが、それぞれ倍の開きがあるとはいえ、いずれも大きすぎたり小さすぎたりして、一般の人にとっては感覚的に同じようなもの。差は大したことなくなる。(失礼ながら、未開の人が「1,2,3,たくさん」と言うようなもの)

 これが年収500万と1000万、体重40キロと80キロ、身長1メートルと2メートルでは、比率は同じく「1:2」であってもその差が大いに意味を持ってくる。
 算数的につながってはいても、僕らの生きている世界というのは限られているということ。つまり何であれ、数直線状のごく一部しか僕らは実感として理解できないということ。

 これって、紫外線と赤外線の間の波長の電磁波しか見えないっていうことにも似ているし、聞き取れる音域も限られているってことにも似ている。
 さらに時空間的に言っても、僕を含めこれを読んでるあなたも、おそらく西暦1900年から2100年の間を、たぶんこの地球上で生きているに過ぎない。

 だから何なんだって言われると困るのだが、んーと、いくら年をとろうが地位が上がろうが有名になろうが、「自分は何でも分かっている」なんて思わない方がいいのかもしれない。謙虚に真摯に。
 …久しぶりに小難しいこと書きました。

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月9・・・なぜ月曜夜9時なのか

2012-09-09 08:51:16 | 科学/考察
 
 フジテレビの月9『リッチマン,プアウーマン』も残りあとわずか。大金持ちだった日向徹(小栗旬)が落ちぶれて、それを真琴(石原さとみ)が支えるというもの。ゴールデンタイムのドラマはほとんど見ない方だが、面白くて見続けている。

 ところで、なぜ月曜の夜9時なのか。
 一般論として、月曜の朝というのは会社あまり行きたくない。でも1日頑張れば、夜9時には楽しみなドラマが見られる、というのが大きなところだろう。
 そしてまた、まだ1週間あるので、仮に仕事残ったとしても、翌日以降つまり火曜から金曜日までに仕上げれば良くて、月曜なら夜9時までに家に帰ってもいいことになる。
 僕もそうだが、土日で仕事から離れていた心身にとって、そもそも月曜日ってのは仕事を「軽く流したくなる」もの。難しいことは火曜日以降に回そうよ、という気持ちはある。火曜日以降は9時には家に帰れない可能性が高くなるし、週末近く(木・金)になれば、飲み会も入りがちだし。
 …とまあこんな理由で、月9は支持を得ているのだろうと思う。

 さてさて、朝比奈(井浦新)は逮捕され、ネクスト・イノベーションも倒産しそうである。日向徹はおそらく田舎に引っ込み、あとは山岡、じゃなかった安岡君に任せるのではないかと勝手に予想しているところ。
 あそうそう、耀子役の相武紗季もいい味出しているし、テーマソングもとてもいい。あした、楽しみ。
 

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同じ兄弟でどうしてこうも

2012-07-29 07:53:36 | 科学/考察
 
 この夏は見たい映画がたくさんあって、その中の一つ『おおかみこどもの雨と雪』をカミさんと見に行った(夫婦50割引で一人1000円)。狼と人間との間に生まれた姉弟の話で、雪という女の子は活発であるのに、雨という男の子はとても大人しい。
 このように「同じ兄弟でどうしてこうも違うのかねえ」というのはよく聞く話だし、いとこ同士で性格全く正反対ってのもよくあること。ただ、これはこれで、父親と母親のそれぞれから一部を受け継ぐという遺伝のことを知っていれば当たり前であることがわかる。分かりやすく言うと次のようになる。
 赤や黄など暖色系の玉10個の入った箱と、青や紫などの寒色系の玉10個の入った箱があるとする。それぞれの箱から5個ずつ玉を取り出して並べれば、元になった玉の色は同じであるから似た面はあるにせよ、やるたびに違う並びが出来上がることになる。

 ではどうしてこうなっているのか。
 長い地球の歴史の中では寒くなったり暑くなったり、あるいはヒトが北に移動したり南に移動したりしたことだろう。寒さに強い人間だけ、暑さに強い人間だけだったとすれば、その逆の人間は弱ってしまい場合によっては死んでしまう。だから、いろんな種類の子孫が生まれるようになっている。(ちなみに僕は寒いの苦手)
 何か災害が起きた場合、皆が皆同じ方向に逃げてその先が危険な場所だったとすれば、全滅することにもなりかねない。だから、別の方向に逃げたくなる人間も必要なのだ。

 あるいは、特定のウイルスに対する抵抗性が皆一様であったとすれば、そのウイルスが蔓延すれば全員やられてしまう。(HIVに先天的に免疫を持つ人もいるらしい)
 要するに〈生物の多様性〉ということなのだが、人間に限らず、動植物・微生物に至るまで、これだけ多様なのも、地球の生命として、生き残るため、存続するために必要なこと。神様の計らい、と言うべきか。
 だから、うじうじしていようが、勉強/仕事ができなかろうが、美人じゃなかろうが、性格悪かろうが、罪を犯していようが、何の役にも立たないようであろうが、誰しも生きてていいし、生きなくてはならない。

 他の人間、他の生物に対し、サッカーじゃないけれど“RESPECT”しないといけない、ということ。他人をいじめてはいけない理由、他人を殺めてはいけない理由というのもここにある。
 仮に誰かを死に追いやったたとして、死んでしまった人の子孫が、あるいは大いに感化を受けた人が、たとえば全人類を救うような発明/発見をすることになっていたとすれば、それはそれで何て言うか、もの凄い損失であるに違いない。

 ところで『おおかみこども』は細田守監督のいい作品だったのだが、やはり『サマーウォーズ』の方が断然良かった。さて次は『ダークナイト ライジング』でも。

〔写真は、懐かしい人には懐かしいおもちゃ「マーブルピュータ」〕

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この世とあの世と

2011-11-06 18:22:29 | 科学/考察
 
 『人は死なない』は、東大附属病院で救急医として働く矢作直樹という人が書いた本。救急医療の現場や登山時の自身の体験などから、タイトルのような結論に至ったというもの。
 友人の霊能力を借りて、亡くなった母親と話をしたことも書かれている。あの世というのが、非常に近い所にあるような感じだ。なお、この友人というのはごくまっとうな社会人で、その霊力を公言することもなく、それを使って金品を要求するわけでもないとのこと(そんな人、多いんじゃないか)。

 あの世があるとするなら、この宇宙とは別の所であるに違いない。しかし137億光年先の宇宙の果ての向こうだとすれば、あまりにも遠い。だからあの世というのは、僕らのすぐそばにあると考えた方が理にかなっており、前回話をしたように、空間というか次元というか、宇宙は重なっていると考えられる。(でないと、別の惑星に生まれ変わったりしてしまう)
 違うところはもちろんあれど、あの世でもこの世と似たような生活をしているのだ、という話はよく聞くところ。前世、現世、来世、そのまた来世、というのが延々続いているのではないか。

 次元は違えど、死んだ人はすぐそばにいるに違いない。目には見えないけれども、近くに〈居る〉と考えていいだろう(植物どころの比ではない)。「お天道様が見ているよ」あるいは「お釈迦様が見ているよ」というのは、案外本当なのかもしれない。
 だから、宗教は何でもいい。念ずる心や祈る姿というのは、近くで〈誰か〉が見ているはずだから。

 ところで、宇宙が膨張していることは今や常識となっていて今年のノーベル物理学賞もその関係だったけど、あくまでも星と星、あるいは銀河と銀河との距離が広がっているだけであって、僕らの地球含め、星々自体は膨張していないってことでいいんだよね。(これ基本的な所なんだけど、説明あまり聞いたことがない)
 それから、クォークの種類が3対6種というのと、この世が3次元空間であるのと、何か関係があるような気もしている。それぞれの対が、x,y,z軸を形成しているような。

 こういうことばかり言ってると、特に子供の場合、親が非常に心配するものだ。「この子は取りとめのないことばかり言って、まともな大人にならないんじゃないか」と。僕も小さい頃からそのケがあって親に心配掛けたクチなのだが、大丈夫。今じゃ家庭持ちながら普通のサラリーマン(管理職)やっているし、取りとめのないこと考えながらも“まっとう”に生きてはいる。
 前回からの記事読んで、ひょっとしたらいかがわしく思っている人もいるかもしれないけど、ごく普通に生活している者です(あるいはこんな人も、意外と多いんじゃないか)。

 ギリシャの財政破綻だのタイの洪水被害だの、地球規模での困難は多々あれど、宇宙の根源に関わるおーっきな話、あるいは不可思議なことには、いつまでも興味を持っていたい。これはまた「僕はなぜ/どう生きるのか」ということにもつながるのだが、その話はまた改めて。
 

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時空の最小単位?

2011-10-30 08:31:20 | 科学/考察
 
 ちょっとしたブームになっているようだが、『人は死なない』(バジリコ出版)という本を読んでいて、気になっていた新聞記事のことをふと思い出した。
 8月22日の朝日に載った『「時空の素粒子」求めて』というもの。この宇宙の時間や空間は、切れ目のない連続的なものと考えられているが、実は最小単位があるのではないか、という内容。細かい理屈はよく分からないが、ブラックホールの状態を説明する理論によれば、これ以上細かく分けられない限度があるのだという。
 2つに分けたレーザー光線を鏡に反射させてまた合わせ、その波の違いを見ることで比較的簡単に検出できるそうで、アメリカの研究者が来年にでも実験して確かめるとのこと。
 この結果はまた楽しみに待つことにしたいが、物質ならともかく、時間や空間に最小単位があるというのが、どうにも理解しがたい。

 たとえば何もない真空の空間。それと宇宙以外と何が違うのか、という疑問は、科学好きな人であれば一度は持ったことがあるかと思う。
 分かりやすく説明するなら…真空の空間であっても、光や電波、重力は伝わる。しかしこの宇宙の外では、光や重力は伝わらないに違いない(もし伝わるとすれば、そこもこの宇宙内であると言える)。つまり何もない1リットルなら1リットルの空間にだって、光などを伝える“能力”を持っていることになる。
 だから空間に最小単位があるというのも、あながち不思議ではないのかも知れない。

 球体なのか立方体なのか、仮に空間に最小単位があるとしたら、きっと〈すき間〉もあるに違いない。そしてそれは他の次元/宇宙とつながっているのかも。多元宇宙という説も最近はやりのようだが、宇宙同士が隣りに並んでいるのではなくて、宇宙と別の宇宙とは重なり合っていると考える方が自然なのかも知れない。
 勝手ながら使わせてもらった冒頭のイラストは、その概念を示したもの。そして重なり合った別の宇宙というのは、前世あるいは来世なのかも知れない、という気がしている。

 空間にすき間があると考えれば、何もない空間から素粒子が発生/消滅するというのも理解できるし、ニュートリノの速度も説明できるのかもしれない。2つに分けた素粒子の片方に力を加えると別の片方にまで作用が現れるというのも、別の次元を考えないと説明がつかない。
 時間の最小単位の方は、コチコチ動く秒針をイメージすればいいのかも知れないが、それでもよく分からない。時間を行き来するタイムトラベルとも関係するのだろうか。

 …つづく 〔イラストは「4次元時空理論」より勝手ながら拝借〕
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地球の支配者・植物

2011-10-02 10:17:10 | 科学/考察
 
 前回、木の枝を燃やすとごくわずかな灰しか残らないということを書いた。骨が残る動物に比べて植物の方がスカスカのようだけど、実はその個体量というか絶対量は、この地球上で動物や人間様に比べて圧倒的に多い。
 地球を支配している生物というと、あらゆる環境に適応していて100万以上もの種類がある昆虫という説もあるが、ずいぶんと植物の世話になっているのだし、種や花粉を運ばされている、つまり植物にしてやられているとも言える。

 動物のような視覚や聴覚はないけれど、植物にはまったく別の感覚器官というのがあるのかもしれない。僕ら人間のやることなすことを、その圧倒的な数で以って静かに“見ている”のかもしれない。
 そしてもちろんヘソもないけれど、何かの拍子でヘソ曲げられたりして、酸素を供給しないなんてことになったら、地球上の昆虫/動物は死滅してしまう。
 誰も見ていなくても、自分自身はもちろん、そばにある街路樹なんかも見ているのかも。

 話変わるけど、葉っぱが緑である理由についての考察をもう6年以上前にこの場に書いたところ、未だに検索で上位に並んでいるようだ。(密かに喜んでいるところ)
 空は青いし夕焼けは赤いし、それらの色を利用することにしたため、残りの緑色は使わないことになった、というのが僕の理解だったのだが、思わぬところから、ほとんど正解を教えてもらった。日野原重明さんと多湖輝さんによる『長生きすりゃいいってもんじゃない』(幻冬舎)という本。
 その172ページに稲本正さんという人の言葉として「木の葉は、自分だけが生き残れば良い思っている訳ではないんだ。だから太陽光の一番強いところ(緑はエネルギーが最も強い)は反射して、動物たちにもこのエネルギーを分け与え、地上の温度もあまり低くならないようにしているのだ」とあり、ようやく腑に落ちた次第。

 ところで、西洋の考え方というのは、どちらかと言うと食うか食われるかで動物的である。一方、東洋は自然や他者と調和するといった感じで植物的である。ビジネスにしろ何にしろ世の中だんだんと世知辛くなってくるけれども、これからは植物的な生き方ってのがいいような気もしている。

〔写真はカラスウリ〕

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スカスカの世界

2011-09-25 09:22:31 | 科学/考察
 
 竹輪やら薩摩揚げやら、七輪で焼きながら一杯やるのに丁度いい季節になった。
 山のようにあった枯れ枝や炭も、燃やせばほんの少しの灰が残るだけ。お釈迦様が言われた「色即是空」を感じる瞬間でもある。
 ただこの場合、炎によって光及び熱に変換されるとともに、水素や炭素が水蒸気または二酸化炭素になって空中に拡散してしまうのだから、かさが小さくなるのは当たり前といえば当たり前。

 物質を構成する原子は、原子核と電子とから成っている。電子は電子雲というもやっとした状態になっているものの、その内側は原子核があるだけ。原子の直径に対し原子核はその1万分の1、そして電子はさらにもっと小さいらしいから、原子1個の直径が100mとすると、原子核の大きさはわずか1cm、電子は、おそらく目に見えないはず。
 僕らが知っているこの世の物質は、素粒子レベルで見ればスカスカであると言っていい(だからニュートリノは星をも素通りするのか)。それが地球や月を形作り、生物を生み出している。不思議なことである。

 比率は全然違うけれども、これって野球やサッカーの球技場と選手の配置に似ている。球技場の大きさに比べ、9人にしろ11人にしろ、選手の大きさってのはごくわずか。しかしその間を抜けるヒットやドリブルというのはとても難しい。
 相手選手が有機的に動くからだが、選手の数が現状より多くても少なくても、きっと面白くないことだろう。長い歴史の中で、絶妙なバランスが編み出されたのだと思う。
 宇宙だって、銀河と銀河の間、星と星との間ってのは何もない、真空の状態である。ダークマターやダークエネルギーの正体がまだ良く分からないけれど、これがまあ、何かで埋まっていたとしてら、それはそれで、やりにくいと言うか、動きづらいに違いない。

 そうそう、ニュートリノが光より速く動くという実験結果が出たそうだ。その測定精度がどうかなと思っているが、もし真実ならば、特殊相対性理論が覆されるかもしれないし、素晴らしい大発見だ。
 たとえば裁縫のなみ縫いあるいは仮縫いみたいに、一部で別の宇宙を通っているとすれば、理屈は合うような気もするし〈虚数の質量〉の説明もつくような気がする。真空中で素粒子が発生したり消滅したりすることともつながるような。結局、この宇宙内での最速はやはり光なのかも。

 5年後10年後、これに限らずまったく新しい発見がされ、全然別の宇宙観が出来るのかもしれない。それはそれで、生きる楽しみなのである。
 

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