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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

Fake/Truth/Opinion

2017-11-26 09:37:55 | 科学/考察
 
 これだけネットが発達した現在、いわゆる〈フェイクニュース〉も事実/真実に混じってたくさん流布している。
 まあそういうものもないと面白くないし、昔っから根も葉もない噂というのはこの世に付き物。今後増えることはあっても、なくなることはないだろう。
 実際問題、たとえばいい加減な健康情報で健康を害することだってあるだろうし、悪意ある噂話でいじめになることもあるだろう。また場合によっては、悪い奴に命を取られることだって、実際に起きていることだし。

 これだけAIも発達した現在、ネット上の記載が真実なのかフェイクなのか、判別するのもある程度可能なのではないか。
 例えば嘘やフェイクならば“F”、事実/真実ならば“T”、という判定が出てもいい。あ、事実や虚偽かはともかく、単純な意見または予想という“O”というのも必要だろう。
 ネットに掲載された文章や画像に対し、F/T/Oの表示、あるいは赤/青/黄の色付でもいいかも。さらに進めば、一文ごとにそういう表示ができるかもしれない。

 あるいは(今はなくなったけれど)Googleのページランクのような棒グラフで示すこともできる。左にF、右にTとして、右に伸びるほど信憑性が高いというような。
 さらにさらに、Fばっかり発信している人の記事は、ビッグデータから削除あるいは“排除”されてしまうのかもしれない。
 あともう一つ。事実ではないけども世の中に必要だってことは、高度な判断で以って“T”にしてもいいかもしれない。たとえば「サンタクロースはいる」ってこと。
 …どうでしょう。ところでこの文章自体は、おそらく“O”に分類されるのでしょうな。

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植物のスゴさ~なぜ葉っぱは緑か~

2017-08-27 07:44:49 | 科学/考察
 〈動的平衡〉で有名な福岡伸一さんが、地球の先駆者である植物のノブレス・オブリージュ(高貴な者としての義務)について、こんな主旨のことを新聞に書いていた。(朝日8/17)
「食糧や建材、エネルギー源や酸素の供給元である植物たちの寛容さによって、僕らは生きていられる」
 そこで、なぜ葉っぱが緑なのか、再度考えたい。
 回答として「それは葉緑体があるからです」というのが相変わらずあるようだが、それでは子供の疑問に答えたことにはならない。

 葉っぱでも何でも、緑であることは緑の光を放っているということ。それは受けた太陽光線のうち、緑色を使用せずに放出することを意味する。
 なぜ緑なのか。
 太陽光線をまあ7色に分解したとすると、そのうち最もエネルギーが高いのが緑色。その緑を植物は利用せずに(つまり他の色で以って光合成を可能にしたのであるが)動物たちに与えることにしたらしい。それは目にも優しいってことでもあろうし、エネルギー高い緑で以って動物諸君、やってくださいってことでもあろう。(稲本正という人が言っているそうだ)
 これはつまり、緑以外の光で以って生きていけることを示すものだが、動物みたいに動き回ることを選択しなかったことが大きい。花粉を昆虫に、種を動物に運んでもらう手段、あるいは種に羽毛や羽根を付けて風に運んでもらう手段を“考え出し”たからでもある。

 そう考えると、着飾ったり踊ったり相手の気持ちを推し量ったりデートの約束をしたりすっぽかされたり、ヒト含め動物たちは随分ムダなことをやっていると、言えないこともない。
 あるいは動き回る方法もあったのだろうけれど、昆虫を含む動物を利用することで効率化を図り、じっとして動かずに済んだ(東洋の思想、老荘思想に近いものはある)。もちろん持ちつ持たれつの面はあるんだけど。

 確かに植物は寛容で、いい“心がけ”を持った先駆者だったと言える。もしそうでなかったら、地球環境は大きく異なっていたことだろう。
 そうそう、人間様が大いに恩恵を蒙っている石炭も、元は太古の植物が地下で変化したもの。誰が考えてくれたのか知らないが、実にうまく出来ている。
 …以上、夏の自由研究第2弾でした。

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“冴え”の瞬間

2017-06-04 09:20:32 | 科学/考察
 
 皆さんはどうか知らないが、急に目の前の景色が生々しい現実感/立体感を持ってクッキリハッキリと見えてくることがある。2Dが3Dになったような、ハイビジョンが4K画像になったような。あるいは「スーパーサイヤ人」にでもなったような気分。
 それは電車を待っている時だったり、自転車を走らせている時だったり、のんびり庭を眺めている時だったり。(あ、ビールの缶をプシュッと開ける時にも、ある)
 ただこれは長続きしなくて、長くても10分くらい。しかも起きるのがひと月に1回あるかどうかってところだから、起きている時間の99.9%以上は「ぼんやり」していることになる。
 言わば〈ランナーズ・ハイ〉みたいなものなのかもしれないが、苦しい長距離走を乗り切るための「覚醒」と異なり、僕が経験するのには意味があるのかどうか…。ひょっとするとボケる前兆なのかもと思ったりしている。
 そう言えば高校の頃、頭が冴えないのを気にしていた。視力が落ちたせいだと思って、メガネを買い替えたりもしていた。そしてこの年になるまで、ぼんやりしたまま。左目の視力がやや弱いので、そのせいかも。
学生の頃、運転免許を取る際、頭をハッキリさせようとしたら却って良くなかったことがある。運転する時は全体をボワッとしていた方がいいようだ。
 生物学者の福岡伸一さんも、ハッキリ見えていた子供の頃を懐かしがっている。おおかたの人は、もちろん視力云々ではなくて、年をとるとハッキリ見えなくなるものなのかもしれない。それは、無駄に馬鹿力を使わないための、脳味噌の〈省エネ〉なのかも。
 サッカーの中田ヒデも子供の頃は、見なくても後ろの敵選手の気配が分かったという。大人になるにつれ、そういう感覚というのは鈍くなっていくものだろう。
 ハッキリ見える時間を出来るだけ長くしたいものだが、そうした場合、脳味噌が疲弊してしまって、逆にボケてしまうことになるのかもしれない。
 脳内物質のちょっとしたイタズラだと思う。意識すれば長続きできるものなのか。例えば脳科学では、既に研究済みなのかも。
 〔写真は、先日それが起きた時の目の前の景色。…何にも分かりませんね〕
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LGBTの時代に

2017-03-05 11:21:36 | 科学/考察
 古くは美輪明宏(敬称略。以下同じ)におすぎとピーコ、新しいところでははるな愛にマツコ・デラックス。男と女の区別があいまい、と言うかはっきり区別しなくていいような時代になってきた。
 そう言えば子供の頃にも、周りに女の子っぽい男の子はいたし、その逆も。気持ち悪がって、今思えばヒドいことも言っていたものだが、充分とは言わないまでも現在は理解もだいぶ進んできたのではないか。僕もLGBTの人たちと、さほど違和感なく話もできるし付き合えると思う。
 とは言え気持ち/感覚/つらさ/居心地の悪さは本人にしか分からないもの。おそらく体に合わない服をずっと着ているようなものなのだろう。しかしその服は、脱ぐに脱げない…。

 かく言う僕も、女性的な部分がある程度はあるのかもしれない。どちらかと言うと性格細かいし。特に中高生の頃は、同級生の女の子はもちろん、男の子も気になったものだ。どうも性ホルモンの影響のようだが。一方年を取ると、女性はオジサンみたいに、男性はオバサンみたいになるようだ。これも性ホルモンの影響らしい。
 いずれにしても程度の問題。心の比率が10:0であれ6:4であれ、おそらく体はどちらかに転ばざるを得ないのだし。

 井伊直虎がどうだったかは知らないし、卑弥呼は男っぽかったような気もするが、昔から自分の性に悩む人ってのは一定の数いたに違いない。今は「カミングアウト」という形である程度オープンにできるようになってはいるものの、自分の性に違和感持つ人は、果たして増えているのかどうか。人工生殖もできるようになって、人類の“進化”の一環として、増えているのかもしれない。
 ひょっとして、最近あまり言われないが〈環境ホルモン〉も影響しているのかも。とすれば、動物にも何らかの影響があるのかもしれない。自分の性に悩むライオンやゾウがいても、おかしくはない。よくパンダとか、繁殖のためにオスとメス一緒にさせるけれど、体はオスで心?はメスってのもいるかもしれない。だとすると当人、いや当のパンダにすればいい迷惑だろう。

 ところで読売テレビ『増山超能力師事務所』に女装の男性役で出ているルウトという子、実際は男装する女の子らしいが、なかなかかわいらしい。そして一度出てきた男装姿、その辺のヘタなホストよりずっとカッコ良かった。
 …話があちこち飛んでしまった。将来的には、ユニセックス/モノセックスってことに、いや性別自体、意味を成さなくなるのかも。
 


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理性と本能と

2016-12-04 19:23:49 | 科学/考察
 忘年会の季節。飲んで何かしら失敗をしでかした人も多かろう。
 アルコールが入ると、自然と脳の外側の新皮質がマヒされて内側の旧皮質がむき出しになってしまう。それはつまり、理性が抑えられて本能が表に出てくることを意味している。
 そこで悩むのは、本能のままに動かされていいのか、ということ。

 僕もこの間、とある飲み会の席で、よその会社の若い子から気に入られ(またも自慢話で恐縮です)、昔好きだった人に似た可愛らしい子だったので「次どっか行こうか」と声掛けた次第。
 さすがにそううまくは行かなくて、その子は同じ会社の人と帰ってしまったが。
(とは言え、自分のいる会社の子に手を出すことは、僕でなくともご注意。すぐに噂になって、ロクなことにはならないだろう、と)

 また先日の会社の忘年会では、オメデタだという女の子と子供の名前のことでずいぶん話し込んでしまい、どういう流れか帰り際にはハグまで。お祝いのつもりだったし、特にいやらしい感覚はなかったのだが。

 昔から、全然知らない相手と一緒になることになり、宴席のお酒で理性を失い、そのまま子供出来て…というのはあっただろうと思う。それはおそらく古今東西同じで、そうして人類は生き延びてきたのだとも言える。
 理性は理性で、もちろん大事。でも本能も、天から授けられた有り難いもの。ムゲに扱う訳にもいかないだろうと思っている。酔って女の子に迫るのも、天の采配なのかもしれない。ひどく迷惑掛けるのでなければ、本能に従うのも悪くないの、では。
 …てなことを、酔った頭で考えていたのでした。



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モテる女性はなぜ嫌われるのか

2016-09-04 08:21:27 | 科学/考察
 モテるというのは男でも女でも嬉しいもの。ただ男の場合、友人から「よ、色男。モテるなぁ」とは言われるけれど、女の場合、友人からそういう軽口を叩かれることは少ない。「なにあの子、皆からあんなにちやほやされちゃって」と陰口を叩かれるのがオチ。

 一般的に、男はその生殖能力上、タネをあちこちばらまくのが仕事(えげつない表現で失礼)。どちらかと言うと男の方が浮気しやすいのもそのため。一方、女は受け取ったタネから腹の中で子を大事に育てるのが仕事。
 だから女は基本的に、一時期に一人を想い、その一人しか相手にしないのが、自然の摂理のよう。

 だからそうではない、複数の異性(場合によっては同性)からモテる女は、「それって女性として違うでしょ」という目で見られるわけ。〈はしたない〉というのもおそらくここから出ている、はず。実際問題、モテない女の人からすれば、自分のところに回ってくるタネが減るわけだし。
 モテる女性にすれば「女って嫉妬深いからイヤなのよね」となるところだが、実は生物学上のちゃんとした理由が、あるのです。
 …これ読んでいる方が女性なのか男性なのか、またモテているのかどうか、知りようがないのですが。


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人工知能の未来

2016-03-20 07:48:13 | 科学/考察
 
 アルファ碁が韓国のトップ棋士に勝利し、AI業界/囲碁界に限らず、世間で大きな話題になっている。いずれ10年後くらいには、とも考えられていたらしいが、予想よりもはるかに早く実現したようだ。
 一方、近い将来には、日本の今の労働人口の半分が人工知能に置き換わるとの野村総合研究所の予測もある。

 で、遠い将来どうなるのか。
 おそらく、だけれども、人工知能自身が〈考える力〉を持つことになるのだろう。そして、自分の弱点を見極め、それを自身でカバーし始めるか、あるいはそれができなければさらなる「超人工知能」を作りだすに違いない(これを「人工」と言っていいのかは微妙なところだが)。そしてまたそれが…と進化を続けるとすれば、人間は置いてきぼりを食らうことに。
 新しいゲームやスポーツ、芸術や“思想”も生まれるのかも知れないし、政治経済の面でも、例えば「原発は再稼働すべきか否か」「地球温暖化をどう食い止めるか」「テロはどうしたらなくなるか」を判断することになるのだろう。それこそ〈偏り〉なく。

 で、人間はどうなるのか。
 おそらく、だけれども、人工知能には出来ない霊感/超感覚に優れた人間が登場するに違いない。死んだ人間との交流なんて人工知能には不可能だろうし、そういう人間でなければ人工知能に太刀打ちできないだろうから。
 …かくして、超人工知能vs超感覚人間 に。SFみたいだけれど。

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秋から冬に思うこと

2015-12-13 10:53:50 | 科学/考察
 いわゆる出世。会社なり組織なりで肩書が付いて偉くなっていくというのは、能力もあって功績挙げたからだし、世の中に貢献もしていることだろうし責任も重いだろうし、それなりの犠牲も払ったであろうからもちろん立派なことである。しかしそれは一面から見た場合であって、その犠牲とされたもの、たとえば家族や友情、環境や健康の面からすれば、とんでもないことなのかもしれない。
 だから高い給料は、その代償であるとも言える。「ごめんなさいね、これで勘弁してね」と。

 誰しも人生はプラスマイナスゼロという考え方もあるし、お金や地位だけあっても、何より大切な当人の〈心の平安〉が保てれていなければ、何にもならないだろう。とある調査によれば、年収700万円以上のあれば、いくら高くなっても幸福感はあまり変わらないとのこと。
 ついでながら、「株式会社○○の会長でござい」といったスーツ姿の人間って、おそらくいい話はするんだろうけれど、どうも馴染めないしウサン臭い。大地震やパニックの時なんか、おろおろして役に立たないのではないか。それよりも、無精ひげ生やして作務衣姿で何か作っている人の方が信頼できるんじゃないかって気がするし〈本物〉の面白い話が聞けるに違いない。実際僕も休日はそんな格好しているし、仕事辞めたらひげ伸ばし放題にしたいと思っている。(ホンモノの話ができるかどうかは…)
 あるいは、苦労して働いているその辺りの魚屋のおっちゃんや床屋のおばちゃんの方が、人間として味わい深いものを持っているんじゃないか。

 …そこそこの会社でそこそこの地位、そこそこの給料にそこそこの自由、そしておそらくそこそこの羨望と尊敬(?)を得ている人間の一人として、しみじみ思う、ところ。

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地球の仕掛け Earth trap

2015-06-28 11:06:36 | 科学/考察
 
「このまま人類に地球を任せておいていいものか」
「いやいや、皆に聞いてくださいよ」
「そうか、では“皆”に聞いてみよう。もしNoとなったら、人類には消えてもらう」
「いいですとも」
 神様と人間とのこんな話し合いがあり、結局人類が抹消されてしまった、という話をどこかで聞いたことがある。
 …そう、神様は地球上のあらゆる生き物に聞いてみた結果、圧倒的多数で“No”が突き付けられたとのこと。

 地球温暖化についてはもはや手遅れ、という一部の専門家の意見もあるという。どこかで関係しているのか、地震にしろ天気にしろ、このところはやり変だ。オゾン層の話は最近聞かないが、氷河が縮小し両極の氷は目に見えて減少。日本でも噴火に竜巻にゲリラ豪雨にデング熱…。海外に目を移せば、米国などの一部では水不足が深刻らしい。
 ついでに言えば、未婚者の増加。人類はじわりと破滅に向かっているのかもしれない。

 おそらく、だけれども、冒頭のようなことが地球上で起きているのかもしれない。気候が変動して(例えばピラミッドに仕掛けられていたと言われるような)熱帯の奥深くに潜むウイルスが目を覚まし、特に人間をターゲットに攻めてくる。結果、人類の数は減少し、緑が増え、二酸化炭素の排出量が減り、地球は元に戻って行くのではないか。
 これは言わば、地球自身に仕掛けられた巧妙な、いや見事な仕組みなのかも。

 領土争いやら軍備増強なんかやってる場合じゃあない。
 とは言え、50年以上生きてきた僕らはともかく、若いこれからの世代には、少々可哀想なことをしてしまっている。
 …夏至も過ぎたのにこうも涼しいと、こんなこと考えてしまう。




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言霊の国

2015-05-10 08:49:36 | 科学/考察
 
 あなたの周りにもいるだろうか、英語が堪能な人あるいは帰国子女。その子たちが書く日本語を見ると、だいたいが小さいかまたは弱々しい字である。日本語に自信がないのかもしれないが、すらすらと書かれる/話されるアルファベットに比べ、日本語はどちらかというと一つ一つ“気合い”を入れて書かれる/話されるように思う。

 確かに、ラジオから聞こえる英語なんか、流暢ではあるが下っ腹に力がこもっていない感じはする。首から上だけでしゃべっている、というのか。幕末、欧米を訪問した武士たちもきっと同じように感じたことだろう。例えば“コマンタレヴ?”は、気合いを入れて発音するようなものでもない。
 いわゆる横文字は、目の前を左から右に(中には逆も)動くだけで、体の正中線を通ることはない。それに対し、書道に代表される縦書きは目の前から下がって臍下丹田を通ることになる。気功で言う「小周天」に沿っているし、呼吸と一致しているとも言える。

 ひょっとしたらモンゴルやネパールにもあるのかもしれないが、日本には昔からアニミズム(すべての物に魂が宿るという考え方)があり、身の周りの物を表わす言葉にも敬意を払ってきた。だから上っ面ではなく、それこそ魂を込めて名付けたのだろう。おそらく世界中見回しても朴訥とした言葉の部類に入るのだろうだけれど、その分、心がこもっているように思う。日本が「言霊(ことだま)の国」と言われるのも、そんなところから来ているのかも。
 そう言えば仕事でドイツへ行った際、現地の女性から「日本語はとても心地いい」と言われたことがある(もちろんドイツ語で)。意味は分からないけれど、聞いていて気持ちいいんだそうだ。心に響く言葉なのかもしれない。大変失礼ながら、他のアジアの言葉はどうも耳に障るとのこと。

 だからと言って、日本だけが立派だというわけでもない。ただ言霊の幸ふ不思議な国だというのは、間違いのないところ。

 〔写真は、奇跡の書道家・山田里見「文字の力展」より〕

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