へなちょこかいご

アルツハイマー型認知症・80代の母との暮らしで思う事。
母は2021年秋に亡くなりました。父の事も少し。

忘れられるということ

2020年11月29日 | 日記
先日もリモート面会で元気な様子を見ましたが、

もうすっかり私の事は忘れました。

お母さん、と呼びかけると、

「お母さんは死にました」


深い意味はないでしょう。

自分の母親の事でしょう。

ずいぶん前から、自分がお母さんだという認識はありません。

「お母さん?お母さんはあなたでしょう?」

などと言われたり。

母をお母さんと呼ぶのは私だけで、その呼び名を大事にしたかったのですが、

混乱するようです。

名前で呼ばれた方が自分だとわかるのです。


介護をしていた知り合いが、

「みんなの事は忘れても、最後まで私を覚えてたの。私の名前は言えたの」

と言っていて、へぇ〜いいなあ、私もそうだといいなあ、と思いました。

そしてどこか、そうなるだろうなという自負がありました。

でも、実際忘れられると、

あれは言ってはいけないな、と思いました。

そこに望みを見出せる時期ならともかく、

もう忘れられてしまった介護者にはきつい。

自分の介護がいたらなかったから。

やさしくできなかったから。

通じ合ってなかった。

1番近くにいたのに。

あの人は献身的に介護したのだろう。

それに比べて私はどうだったのか…

とことん自己嫌悪。


と、なりますから。

私はもう忘れられているので言うことはありませんが。

そして、もう母に、覚えてる?わかる?と聞くのはやめようと思いました。

覚えてたり思い出したりして、本人も他者も安心するなら

それはいいのでしょう。

でも両者にとってつらい時期になったら。

母はもう認知症も重度なので。

先生に「じいちゃん」と言ってもそれはそれで。