Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

山吹のころ

2013-04-22 07:59:12 | JAZZ

20日の土曜日は二十四節気の「穀雨」。適度に柔らかな雨が降って自然界の草木が健やかに芽を伸ばす。農事にもようやく力が入るという古来からの時節区分を丁寧にシンボル化した春を讃える美しい日本語だ。夜勤の戸外は冷たい雨が一晩中降りしきっている。日が変わって早朝の6時にデジタル温度計を覗きに行ってみた。気温7℃だ。静謐の漂う朝のNHK第一放送を聞いていたら、北海道の視聴者の声を紹介している。「こんなに春が待ち遠しい年はなかった」と春を愛でると同時に今冬の厳しさを嘆く時候の便りである。暖かな湘南地方の一角でも同じ感慨を抱くわけだから、北海道や裏日本の人々はひとしおだと思う。

舞い戻ってきた冬を嘆じながら工場外周の木立が乱立する場所を観察する。季節は進んでいて、木立の繁みの隙間から所々で山吹が満開の枝を垂らしている。嬉しい華やぎを感じる初夏の点描である。先週末にはまだまだ蕾も多かった。朽ちて散らかる前に数本の枝を失敬して、夜勤明けのクルマで自宅へ持ち帰ってきた。

昔、丹波で修行した黒田さんの作になる中型壷へこれを挿すのにぴったりの素材である。丈が28センチ、胴回りがおよそ58センチの焼き締め壷で、これにはシンメトリカルな双耳の取っ手が付いている。三州産の瓦土と信楽地方の土をミックスして穴窯で松材の薪でしっかり焼き締めてある。茶褐色、黒、やたらな艶がでないマット系の色地に少しだけ緋色が被っている。これがどしっりとして素晴らしい。枝の長さだけ揃えてなるべく山野界の再現性が得られるように乱雑に挿す方がいい。壷が花を活かし、花が壷を活かすという至福感をこの老境になってやっと気づいたと思う瞬間である。スピーカーの上にこの壷をセットする。

ちょうど21日の休日は二人の旧友がジャズを聴きに座間までやってくる。松戸在住の青木氏は四谷や吉祥寺で親交があったLPマニアだ。もう一人は横浜駅付近に住む佐々木トーシローさんである。思い思いのLP,CDを肴にだべろうという趣旨の会である。ちょうど世田谷の太子堂付近で仕入れた音楽部屋の骨董照明もよい塩梅に吊ることができた。機能主義のサークライン器具がやっと追放できて、光の心への到達温度がよい方向で高まることは間違いがない。日向でも使っていた硝子スタンドの電灯も暖色系のLED球に取替えたばかりである。皆さんを迎えるソフトのLPやCDもついでに選別することにした。

ドクター桜井氏から借りてきたばかりのジョニー・ソマーズのスタンダード曲集をしばらくかけ流しながら来客の為の準備をする。これはテレビ局のショーで収録した映像ものの音源らしい。ジョーニー・ソマーズの歌がいい。彼女の歌はボリウムが欠如している。そのかわりにノンシャランとしていつもキュートだ。コールポーターのミュージカル曲「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」(「あなたに首っ丈」)みたいな曲を聴くととてもわかる。例えばこの曲の大人風本格完成事例品にはクリス・コナーの歌がある。こちらにはティーンエイジャーの稚気が溢れていて、これもジャズとポップスの境目が放つ魅力の領域を彼女の歌が如実に表している。

シェリー・マンのバンドのサイドメンには、ほんとうに上手いテナーサックスがいる。リッチー・カミューカだ。やはり少女気質を残すシンガーだったルース・プライスのバックにてシェリーズ・マンホールでカミューカがバックで吹く素晴らしい伴奏芸術の見本があったことを思い出す。あのチェット・ベイカーの歌で知られている「ルック・フォー・シルバーライニング」という曲だ。それには劣るが、このCDに入っている「帰ってくれれば嬉しいわ」等を聴いているとおきゃんなソマーズの歌よりもその背後のテナーソロに、思わず耳を尖らせてしまうほどである。これは来訪するお二方にも是非聞かせなくてはという思いを強くしたレコードだ。足で稼ぐドクター桜井氏にはかなわないと改めて思う。花も照明も音も揃った。あとは四方山話が待っている。

新着CDのティータイム

2013-04-17 09:00:24 | JAZZ
尊敬するジャズトランペッターの金井豊氏からメールが届いていた。しかしメールを二日間、開けずに横着をしていたために惜しい機会を失ってしまった。14日の夜に届いていたらしい。メールを開けたのが16日の午前という不手際である。横浜・関内駅近くのFAROUTで15日の月曜にライブがあること。そのライブは別名義のバンドのゲストとして同じトランペットの伊勢秀一郎氏が出演するから、金井さんと伊勢さんが珍しく一緒に吹く場がもてるかもしれないという嬉しい内容の知らせだった。14日が仕事の拘束があって明けた翌15日は暇だった。まことに残念だ。

この日は仮眠が満ち足りているから、午前中は部屋の南端にて増えた観葉植物の手入れをしながら人生のリセットを実感する。団地脇の道端で群生し始めた渡来植物らしいオレンジ色のポピーも数輪もいできた。この類にフィットする花瓶は決めてある。明治公園のフリマで昔買った灰釉のひょろっとした一輪挿しの出番である。焼きの関係で水漏れが少しあるが、とても使いやすい。不思議なことにこの花瓶に挿した花はどれもこれも、あの一生涯花ばかり描いたイタリアのモダン画家モランディーの絵のようになることだ。道端の平凡なポピーも予感どおりモランディー風孤客感を帯びてきて満足する。

数日前にドクター桜井さんが代理買いしてくれたスコット・ハミルトンの新譜を開封する。ピアノのヤン・ランングレンなどが参加したスエーデンのバラード集である。スタン・ゲッツ、ポール・チェンバース、サッシャ・ディステルの演奏等で好きになって久しいスエーデン民謡の「ディア・オールド・ストックホルム」が入っている。これは無視できないと思って頼んでいたものである。コペンハーゲンのスタジオで昨年の末に録音したできたてのホヤホヤCDである。

このデンマーク、スタントレーベルのCDだが、アナログテープ収録してからデジタルへの編集をしたものらしい。どうりで音の押し出しは優れているのにナチュラルで柔らかい。バイタボックスの同軸ユニットの再生音像がしっかりするのは、アンプのボリウムにして時計の針に喩えるならば8時半くらいの位置が絶好である。この絶好を心底から堪能できた曲が1940年に作られたスエーデンのポピュラー曲「マイ・ソルジャー」だ。これは正直、最初の「ストックホルム」にも勝るとも劣らないバラード演奏の白眉の感ありである。スコット・ハミルトンの近年の演奏ではこの曲におけるテナープレイは最高と確信する。

そういえば晩年のアル・コーンなどもスカンジナビアへの楽旅にて、テナー音の再結晶現象みたいに素晴らしいバラードを吹いていたことを思い出す。ヤン・ラングレンのピアノは横浜のMM21にあるモーションブルーにて以前聞いたことがある。スコット・ハミルトンとのソロ交換も、バッキングも素晴らしい相性を感じる。やはり「マイソルジャー」のピアノは冴え渡っていて、昔聴いたことのあるメトロノーム盤で弾いていたスエーデンのベンクト・ハルベルクの愛すべきプレイ「遠い部屋」等の曲が持つ同じリリシズムの土壌を感じてならない。

このハミルトンの新譜にはスタントレコードのおまけCDが付録している。中にはヘンリック・グンデみたいなピアニストがフランスのアラン・ジャン・マリーっぽいリズム感を湛えて弾く「ライムライト」のテーマなどにはかっこいいモダニズムが溢れていて、これはよい買い物をしたと溜飲を下げている。伊勢さんには5年間、ロングトーンばかり教わった。しかしその難行の貯金のせいで練習を再開すると回復感が早いことを実感する。こんどは、「ライムライト」のテーマにでも挑戦してみたい気持ちになっている。金井、伊勢という滅多にない組み合わせの機会は逃したけど、ジャズ的には有意義なオフ日になったようである。

大井競馬場フリマに行く

2013-04-13 16:58:40 | その他
大井競馬場の駐車場でフリマの開催があることを新聞記事で知った。土日の連続開催らしい。好き者のトーシローさんにも早速連絡して同行を約束したのだが、横浜駅での待ち合わせする改札口の解釈がお互いの間で違っていたようだ。残念ながらけっきょくすれ違いになって単独行になる。京急線の立会川駅を降りたのは久しぶりだ。母親の兄が戦後ずっと付近の大井町に住んでいた。叔母さんもこの付近で小料理屋を開いていたから、まんざら無縁の場所ではない。自分にとっては叔父さんにあたる人だが、その叔父さんのお通夜が立会川であった時だから、既に10年以上経っている。競馬場の外周に駐車場があって、無味乾燥な荒涼感を消す計らいで付近には良い雰囲気の隣接公園もあったりする。

肝心のフリマを訪れた印象だが、ここも川崎競馬場のフリマと並んで漁場に例えるならば場荒れ感が酷い。売り手も買い手も共にすれている。アマチュアが素朴に家庭の処分品をもって来ているかっての雰囲気は希薄である。引越しや倒産の余波で出た新ものジャンク風を抜け目なく運びこんでいるセミプロ風業者が多くを占めている。重ねて在日アジア人向けの古着マーケットにもなっているみたいで、こちらは時の勢いというものに援護されて安物衣料品が活発に売れている気配だ。1枚300円均一古着への人だかりが結構多い。そうした隙間で狙いの趣味的希少品を掘り出すことは、場所とのマッチングが悪いせいか不利な形勢である。本日のゲット対象は二分野と決めてやってきた。一つはガーデンの鉢植えをセットする鋳物系の古めなフラワースタンドである。もう一つは音楽部屋の古風照明に関連したステイとか真鍮のバラ売り金具類だ。こういうものは投売りの幸運に出会うこともあるので、丁寧に物色して歩くことにする。

少し寒いくらいの天候だが、日差しもあってフリマ散歩には格好の土曜日である。どこか家屋の解体時に引き取ったものだろうか。ステンドグラスに銅金具を骨組みにしたゴツイ照明具にも目を奪われる。しかしステンドグラスのカッティングと色合いが自分好みではない。

ここにはいくつか、解体時流出と思われる壁取り付け用の真鍮製照明具などもあるが、どれも重くていかついものばかりだ。その中に金具の塗装色がターコイズブルー、色ガラスはアンバーというのがやや気にいった。大山照明製の昭和期のものだ。ドイツ料理屋だろうか?ラブホテルだろうか?前使用の場を想像するが判断できない。しかし無骨感にも係わらず色調の対比が気にいった。値段を確認したら、3000円との答えだ。一声負けろと言ったら2500円に下げて妥結する。目的とは少しずれてしまったが、これは屋外に面した庇の中でアームでも支柱に添えて照らしてみたら中々良い照明になるかもしれない。これがかなりの重さになって、帰りの川崎寄り道散歩など、全てが億劫になって中止することになってしまった。

メダカのケア

2013-04-10 11:52:28 | 自然
メダカの飼育普及を広めている「湘南めだか学校」の存在を知った。たまに買い物で寄る「わくわく広場」の片隅で売っていたメダカのセットパックは500円。メダカが5匹収まっているプラスティックのケースに小さな水草が浮いていた。付属品にも心が行き届いている。飼育上の心得、注意書きなどにもメダカ好きの心情がこもっている。卵が孵化したときの採捕ネット、緑色の粉末餌まで付いていて用意万端だ。これを夜勤が明けるまでクルマ内にしまっておいた。水道水のカルキは天日干ししてストックしたものがある。水瓶をまだ買っていないものだから、プラスティック製お米のストッカーを代用する。半透明で上蓋も開く便利ものだ。初日はメダカがストレスを貯めないように静かに移動して様子を眺める。パックの中と水槽の水のペーハーを同じくらいにするよう馴らす為の予備タイムだ。1リットルに1匹という目安らしいが、5匹のメダカには広すぎる容器になっている。

ワンルームマンションからいきなり3LDKに引越してきたみたいで殺風景な趣きだ。これはかわいそうと思って水草を沈めてあげたくなった。ホテイアオイならば真夏にきれいな青の花を咲かせてくれる。田舎のコストコっぽい「フラワーランド」なら在庫していると踏んで3日目に回り道してみた。しかしホテイアオイには時期が早いせいか、野外植物売り場では在庫していない。替わりに水中植物ではスイレンなどと並んで人気のある「ナガバオモダカ」という角型のポットが売っていた。メダカよりも高い750円である。田舎の「コストコ」めいたフラワーランドは似非モダンなスーパーみたいにISOの規格に適合しているなどという自己賛美がからっきしない。店員は控えめに無愛想、その関係性の希薄は店内を蔓延していてこちらもそのほうが気が楽である。「ナガバオモダカ」がある水生植物類の管理も四角四面なところがない。放置風いい加減さが漂っている。

ポットに付着する枯葉のゴミなどを自分で除けて品定めしていたら発見があった。冬を越してきたその箱に生息するメダカがいたのだ。これは持ってくるわけには行かない。しかしそのポットの日当たりが良い部分には糊麩状にくるまれたメダカの卵がびっしりと生み付いている。これなどは清潔フェチでISOの囚人めいた店員さんでもいたら見逃すことはできない除外事項の一つになるだろう。しめしめと思って、卵が付録してあるポットをレジへ運ぶ。無事に水槽へ運び入れも済んだ。気温が25℃にでもなればこの付録卵は孵化を始めるだろう。それまではよい日当たりで慈しむ日々をおくらせてやることにした。

好きな花の季節

2013-04-08 12:39:36 | 自然
伊勢原の地名に板戸というのがあって、そこには細い野川めいた板戸川が流れている。川筋はコンクリートで固めた護岸もあれば、昔のままの畑沿いに傾斜した土手も混じっている。今頃は川べりの梨栽培園に咲き誇る白い梨の花が風に揺れている風景が視界に入ってきて気持ちがよい。下流がどこへ流れこんでいるのかは調べたことがないが、きっと平塚の大きい河川の一つの花水川あたりへつながっているのではないかと勝手に推測している。

付近に設置してある市の環境課が作った掲示板の写真説明付生物分類を時々眺めることにしている。どこかに湧き水があるらしく川エビや海のハゼにそっくりな「よしのぼり」「ひがい」のような琵琶湖水系に生息する淡水小魚までいるらしい。当然だが、鯉、銀鮒、オイカワ(やまべ)油ハヤ、ハヤなども住んでいる。それらの清流魚を眺めてみたくなって、休憩時間などに工場裏の川が直角に折れ曲がるポイントを訪問している。ここを棲家にしているのはハヤである。小は5センチ、大は15センチがいつも群れを作っている。総計では30匹くらいが元気に泳ぎ回っているのを毎週一回目視する楽しみがあるが、冬場はどこか深みに身を隠していたようだ。水温が温まって小魚の順から動きが活発になっている。

ハヤの敏捷性を愛でてから川と遊歩道付近の自然観察をしばらくすることも、日曜日らしい慰藉の一つになっている。夏にイガイガの赤い実をつける桑の大木をふと見上げたら紫色の花に覆われている。桑の花はたしか粒粒の胞子めいた訳のわからない形の筈だ。よくみると群生する紫花は桑の幹を巻いている蔓のような茎から咲いている。これは変だと思って、実物の枝をもいで持ち帰ってから調べることにした。読書ついでの必須携行品が野鳥、植物、魚類、料理用和仏事典の類である。それらさえあればいかなるときでも飽きることがない。蔓と紫と三弁という特徴でキイワードを絞っていったらすぐに判明した。なんと珍しい。「あけび」の花である。地味で美しい気品の花にしばらく見惚れる。

またいつもジャスミンが咲き零れる工場のフェンス下の繁みでは五弁の白い野茨(のいばら)まで顔をのぞかせている。桜が咲き出す季節にはちゃんと伏流に自然界の豊かな多層性を知るにふさわしいよい花も揃うものである。犬の散歩者とウオーキングする人くらいしか通行しない場所である。桑の木などを注視しているのは変人の自分くらいのものであろう。去年は見逃してしまったが、アケビは食べるよりも飾って見て楽しむ色調だ。先行者にやられる前に今年はゲットしてやろうと思っている。