こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

先生の家

2007-08-30 08:59:45 | Weblog
在学中、一度だけ皆で遊びに行った事があった。
(場所に関しての記憶はかなり曖昧だが、湘南台辺りに住んでたと思う)
友達と何人かで行った。

家自体の外観も覚えていない。
だが、家の中が殆ど何も無い状態だったのは覚えてる。
記憶が曖昧なのは、家の中よりも外で遊んだ時間が長かったからに違いない。

昨日の車に関するコメントでH野君が指摘してるが、
あのワーゲンを買った事で相当に貧しかったのだろう。。。

ワーゲンはドイツが生んだ傑作車だ。
水平対向エンジンを積んだワーゲンはバサバサと独特な音で走る。
確か四輪の自動車世界において最多生産数の記録を持っている筈だ。
1930年代、アドルフ・ヒトラーが政策として掲げた
アウトバーン建設構想と、誰でも買える大衆車を作る計画から生まれた。
(一般家庭にラジオを普及させたのもヒトラー政権だ)

だから・・・フォルクス(国民)ワーゲン(車)と名づけられた。
日本にもパブリカって車があったが、これはパブリック・カー(大衆車)の略です。
尚、WAGENはワーゲンよりもヴァーゲンと発音する方が正確な気がするが、
スーパーマーケットのバーゲン・セールみたいで格好悪いぞ。

ワーゲンのデザインはフェルディナント博士により設計。
この博士は知る人ぞ知る、ポルシェの創業者だ。
(本名は、フェルディナント・ポルシェ)
彼は第二次世界大戦が始まると、軍事兵器の設計も行った為に戦犯として投獄されたが、
窓から見えるアウトバーンを疾走するワーゲンを見て、ほくそ笑んでいたらしい。

考えて見ると学校の先生の家に遊びに行ったのは、これが最初で最後だ。

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3 コメント

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Unknown (はたの)
2007-08-30 09:17:54
俺、先生の家に遊びに行った記憶無い。
たぶん、遊びに行ってないのだろう。

なるほど、ワーゲンのデザインがポルシェに
似ているのは設計者が一緒だったからか・・・
知らなかった。

あと、遠い記憶で聞いたことがあるのが、
ワーゲンのエンジンは、飛行機用エンジンという話。

戦争中に飛行機がエンジン不良で不時着したときに、
走っているワーゲンを摑まえて、
エンジンを積み替えられるように、
なっていると聞いたことがある。

これ、本当?

日本でも、富士重工なんて、当時セスナのエンジン作ってた会社が車を販売したんだから、
あり得ない話ではないと思うが・・・
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航空機メーカー (製作者S)
2007-08-30 10:27:28
ワーゲンのエンジンを航空機転用していたのは本当です。
ですが、この時代は既に2000馬力級のエンジンが登場し、
100馬力にも満たない非力なワーゲンのエンジンは
どの程度まで活用出来たのかは不明。

富士重工の前身は中島飛行機と言いまして、
(解体された中島航空機の従業員が集まって作った会社)
陸軍の主力戦闘機は殆どが中島製です。
(1式戦”隼”、4式戦”疾風”など)
敗戦と共に航空機の開発はGHQが禁じた為、
航空機会社の多くが自動車産業等で再出発してます。

オートバイのKAWASAKIも元々は
川崎航空機工業って会社だったと思うよ。
(間違って表記したら訴えらるなんて事、ないよね?)

自動車のショックアブソーバーで有名なカヤバ工業も
戦時中はヘリコプターの前身、オートジャイロっていう
妙な乗り物を作ってました。(当時は茅場製作所)

BMWも航空機会社でした。

Bはバイエルン、Mはモーター、Wは・・・忘れたよ。
エンブレムが丸くて1/4づつ青と白になっているのは、
空と雲を表し、2色を分ける十文字の分割線は
プロペラを表すとか聞いた事があるよ。



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Unknown ()
2007-12-13 17:17:06
長後だよ。高倉だったかな。部屋にはタクティクスがあったな。

ワーゲン買う前はサニーに乗ってたよ
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