当時、お導師ご健在の時代は、朝・5時55分ころ、朝参詣が始まる直前にお線香をお立てしていました。
ボクがお線香をたてると必ずお導師がおこります。
「お線香が曲がってる!」
御前机(おんまえ・づくえ)をはさんで、お導師は御乗台(ご・じょう・だい)にお座りで
まっすぐにお線香と御宝前を拝されていらっしゃる。
ボクは、内陣から御乗台にむかって立ち、お線香をおたてするんです。
どこが曲がってるんだろう。まっすぐじゃないか。。。
こんな風に、いつも心の中でつぶやきながら、しかたなく、
まっすぐなお線香をわざわざ、斜めになるように立てていたのを思い出します。
お導師がご遷化になられ、やがてボクが御乗台に座らせていただくようになりました。
お線香は自分でお立てしてから、御乗台にすわります。
御乗台に座ってからお線香をながめると、まっすぐ立てたハズのが、曲がっています。
(/・ω・)/
見る角度によって、こんなにも違って見えるもんなんだ~。
そう気づいたのは、お導師をお見送りしたずっとあと。。。
当時のボクは、生意気にも憤然とした態度でお線香を立てていました。
だって、曲がって見えるんですもの。。。
お線香の話しは、仙台のお導師が切り出された話題でした。
ボクの話しを聞かれてコメントされたんじゃありません。
仙台のお導師はそういうことを、よくご承知でした。
「みんなそんなもんなんだよ。」
「御乗台に座って初めて気づくことって多いだろ。」
ご自身も少なからずご経験遊ばされたということか、言い得て妙なお言葉にこころ引かれたものです。
いま、チビどもも理不尽に叱られていると思っていることでしょう。
でも修行です。乗り越えて、立派なお教務さんになってほしいと切に願います。
仙台のお導師は、ニコニコしながら、お線香をまっすぐ立てる定規を下さいました。
お手製みたいです。
プラスチック製で、T字型の定規です。
香炉に載せて、タテのラインにお線香を合わせる。シンプルですが、まっすぐ立ちます。
わざわざこしらえたのも、新発意(しん・ぼっ・ち。出家したばかりの僧侶を指します。)のころからの、
お師匠に対するお給仕の思いや、継承したあとに、同じようにお寺をしっかりとお護りしなくちゃという思い、
1人で二役するときの寂しさなど、いろんな感情が込められているのだと思ったのです。
強面のお導師ですが、ぐっと距離が近くなったように感じました。