地元の景色。赤羽のすずらん通り。
現在は、ララガーデンという名前とダブルネームになっています。
左側の建物は、赤羽岩淵中学校です。
赤羽中学と岩淵中学が合併して、岩淵中の敷地に新校舎が建ちました。
この、すずらん通りからすぐの住宅地には、多くのご信者さんが住んでいます。
この日も、その中の一軒で甲お講が奉修されました。
路地の反対方向をみると、通りの向こうに続く路地があり、
むかし叔母の家族が暮らしていた建物やおとなりさんが、今も変わらず建ち並んでいます。
ここの景色を見ていると「よいとまけの歌」のキャッチフレーズが聞こえてきます。
「おとうちゃんのためなら、えんやこーら。」
これをもじって、「ご法さまのためなら、えんやこーら。」「お導師さまのためなら、えんやこーら。」
このように大人たちが、当時流行っていたコピーを口ずさみながらご奉公されていたのを思い出します。
叔母ともう1人のご信者さんは、ボクが生まれたころから、日泰上人のお給仕ご奉公に上がっていました。
昼間はお寺の厨房でご奉公でした。お二人とも、ボクら寺内の子どもたちを、とても可愛がって下さいました。
こども心に、ソバにいると安心したものです。
「日本のおかあちゃん」
おばのことを称える言葉として、秘かに、こう呼んでいます。
世話好きで、笑顔で、暖かなお人柄です。
お看経が大好きで、一生懸命なご奉公。尊敬できる、ご信者らしいご信者さんです。
私生活では、日本の高度成長期に子育てをされましたが、その好景気の恩恵を受けることはなかったと言います。
「馬車馬のように働いた。」ご自分の歩みをふりかえり、自らそう表現します。
振り返るときも、とてもすばらしい笑顔をみせて下さいます。ただ、よいとまけの歌と、景色が重なって見えます。
写真の景色は、お導師の仲人をされたご信者さんのお宅の前から撮ったものです。
当時、戦争から帰って間もないころのお導師は、ここのご信者さん宅のご宝前で、得度を決意されたと聞きました。
写真の景色には叔母の家があり、そこは地主のご信者さんから借りた物件でした。
お導師がご奉公で闊歩された愛すべき地元であり、貧しいながらも笑顔で、みなさんが力を合わせてご信心に励んだ舞台です。
叔母も80歳代半ばになりました。ここのところ、年をとられたなぁと感じています。
ここに来ると、よき昭和のにおいがします。よき色香をうつしていただき、よき宗門人として歩んで行きたいと思います。