清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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人魂不死

2014年06月15日 | ご法門

【ご教歌】

一まく(ひとまく)の中でむすめが婆々となる しぬもいきるもほんまではなし

ご教歌の御題は「寿量品云 無有生死」とお示しです。またそして、ご教歌のお書き添えには、「何べんもきかねばわからぬ。これはさとりの御法門なり」と仰せです。

法華経の寿量品に「生死有ることなし」と説かれています。これは、仏様のお悟りの御法門だから一度くらい聞いたからって、理解ができない。なぜか。それは、生死は有ると思う。現実に、生き物はすべて、生まれたからには100%、いつかは死ぬワケで、それを、身の回りの人々は見ていますから、生死なしとはどういう意味かと考えてしまうことでしょう。

【ご指南】

ほんまとおもふが凡夫なり。ただ役がかはるなり。

生まれてきて、やがて死ぬ。そして一生がおわる。こう思っています。でも、一生とは?一つの生涯ということです。ですから、ほかの生涯が、またどこかにあるという言葉に他なりません。

このご教歌では、「ただ、役がかわるだけ」なのだとお教え下さっています。お芝居のような、一幕ごとに、若かったり、年をとったり、いい人だったり、悪人だったり、その場面で役がかわります。そして、芝居が終わればまた、次の舞台の役を演じます。そのとき、役者は、生まれもしなければ死にもしません。当たり前ですが。。。それと同様、私たちの生死も、「生死あることなし」だと仰せなのです。

芝居で言えば、この一生は、一幕の舞台です。そして、この一幕で演じた行いの善し悪しで、次の舞台の役が変わります。良い原因にはよい結果が、悪い原因には悪い結果がついてまわる。「善因善果・悪因悪果」というワケです。

【ご指南】

すこいことするが上手ならば、餓鬼に役がかわる。

おろかにて物の道理がわからぬ人は、畜生に役がかわる。

人に法を説いて妙法を持たしむる菩薩が得て物なれば、仏になる。

人をくるしめ、思いやりのなき、悪性ものは、その人をころし、くるしめたる報いをうけ、人を助くる真実教の妙法五字を嫌ひそしるものは、一切の罪の中の、主師親等を殺したるよりも、菩薩・仏を殺したるよりも、極重罪の無間に入る也。

魂は死なない。そして、過去・現在・未来の、三世の因果を背負っていくのです。悪い因縁を持ち合わせると、やはり重く苦しい歩みになる。だけど、お題目でご回向すれば、かならず、功徳が魂に届いて良い方向へと縁を結べるといいます。なので、人が死んでも、そこで終わりじゃないんだ。そう信じて、勇ましく、魂の援護となるお題目口唱に励んでいきたいものです。

【ご教歌】(関連のご教歌を拝見します)

たましひは露(つゆ)にあらねば消もせず けふの日暮はあすのはじまり

火の消る様にはあらじ神ひ(たましい)の やどがへするを死ぬと云也

(「佛立信心ここが有難い」を、拝見しながら作文しました。)


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