清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

ご有志者の こころざし

2016年02月18日 | 常住寺のご信者さんへ

今年は恩師上人の御年回が3つ。大奥様の7回忌もあり、これを機会にと、ご遺品や写真などを整理しています。今回は、お会式前の大掃除などでお道具を下ろした時などに撮った写真をアップしました。本堂の仏具には、常住寺の草創期を担った方々のお名前が入っています。お寺を建立したとき、それぞれが思いを込めてご奉納されたのが想像できます。


 

 

香炉=お線香たてには、佛立第十五世講有・日晨上人(当時の、乗泉寺のお導師で、常住寺の開基。)のお名前が刻まれています。

 

平成10年。ボクは宇都宮常照寺に出向して一年間ご奉公させていただきました。宇都宮の現在の寺観は、常住寺・恩師日泰上人が、宇都宮を兼務されていた期間に建立されたものです。ですから、宇都宮常照寺は、常住寺とよく似たところが随所にみられます。本堂の五具足も全く同じ品物です。ご回向の納骨台も常住寺とまったく同じもの。両寺院とも、日泰上人がお品を選んでいらっしゃるんですから、当たり前と言えば当たり前ですが、「おー!。お揃いなんだー。」と感動したものでした。そして、宇都宮の、香炉のご有志者名は「石関民子」と刻まれておりました。日泰上人・大奥様のお名前です。

ボクは宇都宮が好きでした。赴いてすぐ、宇都宮という土地が好きになったのです。初めて来たのですが、懐かしい思いが湧きおこり、なんだか郷愁を感じました。恩師のご因縁を頂戴しているのか、過去世からのご因縁なのか、本当に不思議な感覚でした。当時の宇都宮常照寺のご住職・花前日悠お導師と奥様には、本当に可愛がっていただきました。奥様は3度の食事をすべて手作りして下さいました。このご恩はずっと、忘れることはありません。

弟子をもつということ。寺院に所属のお教務さんができるってことは、衣食住の心配などもでてくるということ。これは、住職ひとりが心得ていても、どうにもなりません。協力者がいて、親身になってご奉公させていただく者ができて、はじめてお寺が回ります。随ってやってくれる人が集う。一つのチームになってやっていく。そのリーダーシップがとれれば、人が増え、喜びが増し、勇ましく精進する人が増えるのでしょう。また、自分の取り分を削って分け与え、それが2人3人と増えると本当に大変ですが、そうやって戦力が増えていく。弘通とは分け与えることでもあり、養い、慈しむことでもあるのでしょう。がんばらねばならない。


 ご尊像の台座には、杉山さんのご家族のお名前。当主は大居士をいただいてます。常住寺には、昭和の高度成長期の時点ですでに、大居士授与者が二人いました。王子から東十条にかけての大親分・高橋重蔵さんと、写真の台座をご有志された杉山六雄さんです。杉山さんは、本山の境内に建っている元・学寮の設計建築に携わりました。

 


 ご乗台の正面にある大過去帳の見台には、「日本橋・第61教区」と、したためてあります。ご有志をいただいた経緯は知りませんが、おそらく、日泰上人が乗泉寺のお受持をいただいてた時代のご信者方からの御有志かと推察します。


お塔婆たてのご有志者は、豊島 宗さん金子常太郎さん。

昭和52年の9月ごろ、当時、小学3年生だったボクは、お導師に起こされて5時30分に本堂へ参りました。お講師方が朝のお給仕(本堂のお掃除)をされており、いっしょにさせていただくようにと命じられました。はじめての本堂お給仕は、五具足のおみがきでした。日晨上人のお名前が刻まれたお線香たてからおみがき申し上げ、燭台、花器、置き灯籠の順番でおみがきをさせていただきました。そのあと、お供水さんの水回りのおそうじをさせていただきました。金子常太郎さんは、ご生前は毎日、朝6時の開門参詣をされていました。ちょうどお供水さんまわりをやっている時に金子さんがお参りにみえて、ボクの姿を見るなり一言いいました。

「きよすみ君、今朝はどうしたんだ?」「今日からお給仕始めるのか?」「まぁ。どうせ三日坊主でおわるんだろうなー。がっはっはー。」

こんな感じで豪快にからかわれたのですが、実を言いますと、この日は無理矢理おこされて本堂に出てきただけで、翌日も続けてやるつもりなど更々ありませんでした。ですが、金子さんにからかわれたのが悔しくて、よし、明日からも続けてやると思って、朝おきを続けました。これが、小僧が見習いをはじめるきっかけです。金子さんには感謝しています。金子さんの一言がなかったら、ボクはきっと、翌日から起きていなかったでしょうから。。。

金子さんは郵政省の職員でした。毎朝6時の開門参詣をされてからお仕事に出かけます。毎日バイクを使って郵便配達の仕事をするので、毎日の無事をご祈願し、お講師方のご弘通車(バイク)を3台ご有志され、古くなったら新しいのをご有志されるという風に、ついには、ご帰寂される前まで奉納を続けられました。本当にすごい人でした。


お高坏を乗せる台。左右です。

染谷・松村さん。角田さん。長さん。永田さん。須山さん。日泰上人の身の回りのご奉公をされた方。王子と宇都宮、両方でご奉公された方お名前もあります。山田裕子さん常住寺の寺務所の職員でした。やがて、お導師の仲立ちで、田端佛立寺の浜野お導師に嫁ぎました。浜野誠寛師のお母さまです。


こうしてご有志者のお名前を拝見していると、ボクが生まれる前の常住寺の様子が、目に浮かんでくるような感じがします。仏具のどれ一つをとっても、決して安いものはありません。そして、ご有志者のみなさんは、お金持ちだからご有志できたワケではありません。ご宝前をご荘厳させていただきたいというお気持ちが、コツコツ貯めてご奉納されたことでしょう。そして、こうしてお道具の裏にお名前が残るということを、きっと、光栄に、嬉しく思っていらっしゃったに違いありません。ご内陣に自分の名前が記されるということは、そういう志しがある方に限ります。いくら積まれても、だれでもヨシとは、いかない事でしょう。

お道具には、ボクの知らない方のお名前もたくさん記されています。草創期のご信者です。どんなお方だったのだろう?そう思いながら、毎朝毎朝、有志者方々のご回向をさせていただいております。なにも無いところからお寺の寺観を整えるのは、並大抵のことではありません。それを相続させていただいたボクらは、次の世代にしっかりと、ご弘通の道場たるお寺を、発展させて渡さなければ申し訳がたちません。ボクは住職ですが、お寺はボクのものではありません。ご法様のものです。そして、自分の子どもにお寺を相続させるのではなく、ご縁をいただいて、ご法様が選んで下さった人々に相続させねばなりません。お寺を私物化してはならない。住職は自分の損得ではなく、むしろ身銭を切って、損を得と思い、公に立ってご奉公させていただかねばならないのです。ただ、チビどもが立派な佛立教務となって次世代を担ってくれるよう、育てていかねばとは思います。

お道具のご有志者名を眺めているだけで、こんなことを考えてしまいます。ですから、先人たちは、草創期の常住寺をご荘厳されただけでなく、後世の人々にご信心のお手本を残して下さったと言えます。それは未来永劫に亘って、きっと、大きな功徳となってその魂にかえってイクことでしょう。

恩師上人方々の御年回の年。教講の信心が増進して往年の常住寺に迫る勢いを得るのに、先達が残して下さった景色を拝しながら、温故知新で学んで行きたいと思います。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。