清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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「らしく」なる 

2014年12月16日 | ご法門

ご信心させていただくお互いは、仏さまの教えを学びます。

これはいいかえますと、仏さまのお心を習うということですから、所謂ちまたで聞くようなセリフですが、「あの人は仏さまのような人だ」などと呼ばれるような「人がら」を身につけることが、僧侶と信徒にとっての一つの目標であったりします。

生活の中でのご信心の場面。ですから、お寺にお参りしたり、お題目をお唱えするお看経の場面においても、ただ唱えるんじゃなくて、学びがたくさんあります。お寺参りの時の態度や、あいさつの仕方、お題目をお唱えする中では他の人と調和がとれているかとか、拍子木の打ち方、御法門を聴く姿勢など、よいお手本となるように勤めるのは大事なことです。同じ、仏さまの教えを学ぶのでも、凡夫まる出しな雰囲気でやっていましたら、周囲からもあまりありがたく思われないことでしょうし、自分自身も功徳を積ませていただいたと実感できないんじゃないでしょうか。人と人とが同じ場所で同じ時間に共に過ごすのですから当然、良い影響もわるい影響も受けるハズ。そんな中、「自分はよい姿勢でよい影響を与えられるように勤めるんだ」という心でやっていけるのが素晴らしい事です。

今日の記事は、先師上人の御法門を拝見しながら作文しました。その御法門の譬喩の一文を次下に記載させていただきます。

古語に「人うまれながらにして聖なるはなし。習い修して聖となるなり。」と言われていますが、小さな子は習い修してなど、とてもできるものではありません。子どもを取りまく周囲の環境がその子に、習うと云う事の心を、育てて行くのです。(入学時に泣いていた子が)幼稚園も2年目になりますと門前で泣いて居る子は居りません。習うと云う事、見て真似ると云う事が、はぐくみ育てられて、泣いて居た子が園児らしくなったのです。

 「あいつも坊さんらしくなったなぁ。」このように云ってもらえるとしたならば、恩師より賜ったご薫陶のおかげ。周囲のみなさま方のおかげです。らしくなった、なれてきたのは学んだことで、環境や周囲の人がよいからよく学べますし、もしわるい環境ならばそのように体感してしまいます。氏より育ちなんて申します。

多くの人とともに生きる社会ですから、互いに影響しあって生きています。ましてや、お寺でご信心を学ぶものは、仏さまの教えという基幹があります。そして、そこに近づこうと日々精進しています。ですから宗門人は、よいものをひろげていく存在となっていこうという意識を持たねばならない。

そう云いながら、ボクは凡夫まる出しですが。。。


 ご教歌 人の世は人らしきことしてくらせ みのりにあへる人は猶さら

 


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