雨あがりのペイブメント

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読書案内「南三陸日記」 ⑦ 新しい命

2021-07-12 06:30:00 | 読書案内

読書案内「南三陸日記」 ⑦ 新しい命

 前書き
   2020年10月に東日本大震災の地、福島、女川、南三陸を訪れた。3度目の震災地訪問である。
  一度目は2011年10月で、被災半年の彼の地は瓦礫の山で、目を覆うばかりの惨状に圧倒され、
  言葉もなかった。
  「復興」という言葉さえ口にするには早すぎ、瓦礫で埋め尽くされた町や村は、日の光にさらされ、
  津波に流された船が民家の屋根や瓦礫の中に置き去りにされたまま、
  時間が停止し原形をとどめぬほど破壊された風景が広がっていた。
  津波で流された車の残骸も、うずたかく積み上げられ、広大な敷地を所狭しと占領していた。
  二度目は2015年、瓦礫の山が整理されたとはいえ、
  津波に襲われた地域は荒地になったまま先が見えない状態だった。
  特に福島の放射能汚染地域は、近寄りがたい静寂が辺りを包み田や畑は雑草に侵略され、
  民家にも人の気配が感じられない。行き場のないフレコンバックが陽に晒され、黒い輝きを放っていた。
   以上のような体験を踏まえながら、「南三陸日誌」を紹介します。

  前回⑥ おなかの子に励まされてのつづき
     新婚一週間目で夫の智〇さんを津波に呑まれたE子さんのお腹には、
    新しい命が宿っていた。「安心して。私絶対この子を産んでみせるから」。
    亡くなった夫への誓いの言葉は、E子さん自身への励ましの言葉でもあったのでしょう。
    「つらくて何度も死のうと考えた」E子さん。
    でもそう思うたびに、おなかの子どもがE子さんのお腹をを蹴って、
    「生きよう、生きよう」と言っているようにE子さんには思えた。
    それはたぶん、まだ見ぬ赤ちゃんのお母さんへのメッセージであると同時に、
    夫の智〇さんからE子さんへの励ましのメッセージでもあったのでしょう。

 ⑦ 新しい命
          
     (希望の光・新しい命の誕生「三陸日記」より引用)

    夫の智〇が津波にさらわれた日から、4カ月か過ぎていた。
   7月11日。新しい命の誕生が始動し始まる。
   陣痛。
   夫・智〇の母・江利子さんは息子の遺影を病室に持ち込んだ。
   「智〇、力を貸してね」
   と願う江利子は、きっと遺影に向かって祈りをこめて語りかけたのだろう。
   
    江利子さんにも乗り越えなければならない辛い被災の経験があった。 

 夫とは離婚している。保険会社に勤めながら、石巻市で食堂を営む両親と一緒に、二人の子供を育てた。だから津波で家族四人を同時に失ったとき、暗闇に一人突き飛ばされたような気がした。
「生まれてくる子は、私の最後の希望なんです」 (引用)

  幸せの絶頂にあった息子(智〇)を失い、
 その息子は津波の引いた後の水たまりで、
 近くで見つかった妹を抱くような姿で発見された。
 両親も津波にさらわれた。
 独りぼっちになってしまった江利子さんに残されたたった一つの希望は、
 息子が残したE子のお腹に芽生えた新しい命だった。

 7月12日、午後七時三十二分。産声が響いた。
 新しい命の誕生だ。
 分娩室の扉が開かれ、大きなタオルに包まれ「おばあちゃん」になった江利子さんの前に
 元気な女の赤ちゃんが姿をあらわした。
 みんなが泣いていた。
 助産婦さんまで目を真っ赤に腫らして泣いた。

 「生まれてきてくれて、ありがとう」
  江利子おばあちゃんは泣きながら言った。
 「これから、いっぱい笑おうね」

 最後の一行は次のように結ばれている。 

小さな命はしっかりと目を開いて、応えるように「おばあちゃん」を見た。

                             (つづく)
    次回は「太宰治 情死行」②を掲載します。

 (2021.7.11記)     (読書案内№180)

 

 


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