雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

今日のことば(3)  「目」 観察眼と感性

2024-04-09 11:54:12 | 今日のことば

今日のことば(3)  「目」 観察眼と感性
   最近小説をあまり読まなくなった。
   特に小説部門においては、シリーズ物が多く、
   これはこれで気軽に読めて楽しい読書時間を過ごすことができるが、
   読んだ後何も残らない。
   出版事情にもよるのだろうが、人気作家のシリーズ物は当たりはずれがなく、
   読者が付きやすく、版を重ねる予測がつく。
   人気シリーズになれば、一番労力を使う「主人公」の人物設定など、
   シリーズで培養された人物像に基づいて話を進めることができ、
   ストーリーの筋立てに専念できるメリットがある。
   シリーズものは一定の水準を維持した「小説」を書き、量産もできるメリットがある。
   だが、安易にストーリーの面白さに重点が置かれ、
   深みのない物語が乱造される危険性も持っている。
   
   代わりにノンフィクションをよく読むようになった。
   伝記物もよく読む。随筆などもよく読んでいる。
   これらのジャンルは、執筆者の『感性と観察眼』が見事に結晶し、
   著作に当たっての書き手の本気度が示されるから、
   読者の私もぐいぐい著作の中に引き込まれていく。

   今日のことばは、向田邦子のエッセイ集、『父の詫び状』からとった。
   ありふれた日常生活を見つめる作者の目は、優しくどこかにユーモアを含んでいる。
   読んでいて疲れた気持ちが落ち着きをとり戻し、
   いつの間にか作者の著作の世界に引き込まれている自分に気づくことになる。

   エッセイ集『父の詫び状』から動物の「目」についての文章を紹介します。

    動物園へ行って、動物の目だけを見てくることがある。
               ライオンは人のいい目をしている。虎の方が、目つきは冷酷で腹黒そうだ。
    熊は図体にくらべて目が引っ込んで小さいせいか、陰険に見える。
    パンダから目のまわりの愛嬌のあるアイシャドウを差し引くと、ただの白熊になってしまう。
    ラクダはずるそうだし、象は、気のせいかインドのガンジー首相そっくりの思慮深そうな、
    しかし気の許せない老婦人といった目をしていた。
    キリンはほっそりした思春期の、はにかんしているのかもしれない。だ少女の目、
    牛は妙に諦めた目の色で口を動かしていたし、馬は人間の男そっくりの悲しい目であった。
    競走馬でただ走ることが宿命の馬と、はずれ馬券を細かく千切る男たちは、
    もしかしたら、同じ目をしているのかも知れない。

     このエッセイは、「魚の目は泪」という題で400字詰め原稿用紙で18枚に及ぶ長い内容だ。
    表題から連想するのは芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を連想させる。

    46歳の晩春、平均寿命50歳未満と言われた江戸時代芭蕉は、
    後に芭蕉庵と呼ばれる千住の住まいを他人に明け渡し、
    「前途三千里」の奥の細道の旅へと旅立ちます。
    芭蕉の門弟や友人、芭蕉を経済的に支えた杉山杉風など多くの門人、知人たちが見送りに来た。
    「春が過ぎてゆく千住の別れに、芭蕉を慕う人々が悲しんでいる。春の別れを惜しんで鳥が啼き、
    魚だって目に涙を浮かべている」。
     春の別れを惜しむ芭蕉の胸中にはきっと、生きては戻れぬかもしれない旅寝の健康への不安と、
    俳聖への路を極めたいという決意があったのだろう。
    
     期待を込めながら、冒頭に目を通す。
    「子供のころ、目刺しが嫌いだった」魚が嫌い、鰯が嫌いというのではない。魚の目を藁で突き通す
    ことが恐ろしかった。見ていると目の奥がジーンと痛くなって…

     芭蕉を期待していたのに、いきなり「目刺し」の目が嫌いだと、読者の度肝を抜く。
    で、話は次のように展開していく。
     網にかかったカタクチイワシは、日差しにさらして一気に煮干しにする。生きながらじりじりと陽
    に灼かれ死んでゆく、そう思ってよく見ると一匹一匹が苦しそうに、体をよじり、目を虚空に向けた
    無念の形相に見えてくる。
     さらに、魚の目についての記述が続く。
    目が気になりだすと、尾頭付きを食べるのが苦痛になってきた。
   …鯵や秋刀魚の一匹付けがいけない。母や祖母にくっついて魚屋に行く。
   見まいと思っても、つい目が魚の目に行ってしまう。どの魚も瞼もまつ毛もない。
   まん丸い黒目勝ちの目をしている。
   とれたては澄んだ水色をしているが、時間がたつにつれて、
   近所の中風病みのおじいさんの目のような、濁った目になる。
   焼いたり煮たりするとこれが真っ白になるんだ、と思うと悲しくて、
   なるべくお刺身や切り身にしてもらうように、それと
なく頼んだりただをこねたりする。
   
    次から次へと魚の目についての話が展開される。
   芭蕉さんの有名な句はいつ出て来るんだと思うころ、芭蕉さんが登場する。
   「行く春や鳥啼き魚は目に泪」
   芭蕉大先生には申し訳けないが、私は今でもこの句を純粋に干渉することができない。
   次の文章で作者はさりげなく、その理由を述懐する。塩が振られたざるに並べられた魚の目が、
   泣いたようにうるんでいるように見えるし、
   「鳥が啼く」を思い浮かべれば、祖母の飼っている十姉妹が日差しを浴びてさえずる場景を浮かべてし
   
まう。
    ここまで話を進めるのにまだ、全体の五分の一しか進んでいない。
   漁師に打たれて木の枝から落ちて死ぬ直前の猿の目の話になり、
   日本人形の目の話になり、鳥の目の左右上下に動く目が嫌だと言い、猫の目の観察になる。
   最後はある男の足裏に出来た「ウオの目」の話で落をつける。
   最後の二行は次のようにつづられている。
     行く春や鳥啼き魚は目に泪 
    この人にとって、俳聖芭蕉のもののあわれは、わが足元なのである。 
  向田邦子は話の展開がうまい。言葉が紙の上で踊るように生き生きとしている。
  鋭い観察眼と感性が読者を捉えて離さない。
  芭蕉の句が、魚の目の話になり、動物の目の話に進み、最後の落は足裏に出来た「ウオの目」
  で落ちをつける。ウイットにとんだ筋運びは、読者を飽きさせない。

   
映画雑誌編集記者を経て放送作家となった作品には「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」
  「阿修羅のごとく」などいずれも庶民の暮らしを描いて人気ドラマになった。
  1956年8月航空機事故で急逝。才能の花開きを予感させる作家の惜しまれる死だった。
  享年51歳。     
                              (2,024.4.9記)

 

 

 

 

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