啄木哀し(1) 青春と貧困
今年は石川啄木生誕130年にあたります。わが青春の愛唱歌を紹介します。(生誕110年を記念して啄木記念館に建てられた啄木像。彼の像は沢山建てられているが、私はこれが一番気に入っている。貧困と闘い、不遇と闘った彼が見せる、穏かで優しい雰囲気が好きです)。
「青春」
頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて堀りてありしに
石原裕次郎の「錆びたナイフ」の歌の元にもなった。
砂山の砂に腹ばひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
命なき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
啄木にとって、青春も初恋も悲しみの代名詞でしかなかった。死に対するあこがれは、多感な青年の感傷だったのか
こずかたのお城の砂に寝ころびて空に吸はれし十五の心
青春っていいなー 遠ざかりし青春。歌の甘さや切なさが中学生の私をとらえたのでしょうか。
「貧困」
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽ろきに 泣きて三歩あゆまず
こころよく我にはたらく仕事あれ それをしとげて死なんと思う
はたらけどはたらけどなほ我が生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ
これに上げた歌も、中学生の時から折に触れて詠んでいた歌。早熟な少年の1ページが浮かんできます。
(2016.2.14記) (つづく)
母性本能をくすぐられる人だった感じがします。
最後の一首は特に、啄木をぐっと身近に感じさせますよね・・・。あぁ奥さんがいて良かったね・・・って言ってあげたくなる
雨上がりのペイブメントさんも感性豊かな方だなぁ、
ということが伝わってきます。
啄木の一生は、闘いの連続だった。
妻子はおろか、詩文の病気の薬さえ買えない、極貧の晩年でした。
長男を生後23日で亡くし、母を亡くし、その一か月後啄木が亡くなる。28歳でした。その翌年妻節子が永眠。啄木と同じ28歳でした。
房江と名付けられた次女はこのとき、1歳の誕生日を迎えていなかったのです。
命を削り、文学と闘った啄木の一生は、なんと哀しい一生だったのでしょう。
みやびさん、ありがとうございました。
次回は啄木の歌と人生についてお知らせしたいと思います。よろしかったら覗いてください。
お詫びして訂正します。
「詩文の病気」ではなく「自分の病気」です。