落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (82)草に覆われた常磐線

2014-09-14 10:55:23 | 現代小説
東京電力集金人 (82)草に覆われた常磐線




 6号線から富岡駅までの道は、見るも無残に荒れ果てていた。
補修されず、2年以上も放置されたままの道路は、いたるところでひび割れている。
アスファルトは完全に道路の色を失い、雑草の伸びきった路肩が、道路をさらに狭く見せる。
荒れた路面はクッションの良いクラウンでさえ、時には床を着きそうになる。


 悪路の道を、やっとの思いで富岡駅へたどり着いた。
駅の前には、小さいながらも商店街らしきものが広がっている。
商店街の一角にある美容室の時計は、震災が発生した2時46分を指したまま壊れている。
商店街の一階部分の壁は、同じようにみな完全に壊れている。
空洞に変った一階部分に、商品や家具が散乱している建物がやたらと目立つ。


 行き来きしているのは、除染作業に従事している作業員たちばかりだ。
そんな商店街の中に一軒だけ、金物屋さんが店を開けていた。
「避難先のアパートにいてもやることがない。ここには本も置いてある。
仕事関係の書類もあるし、此処に居れば、たいくつをしないで済むからね」と、
老いた店主が目を細めて笑う。
店の電気は復旧したが、呑み水は、自宅の井戸から汲んできているという。


 「おかげ様で、昨年の11月から、こうして店を復活させることができた。
 と言っても見た通り、いままでここに住んでいた住人たちが、戻ってきているわけじゃない。
 お客さんと呼べるのは、ほとんどが、除染作業で毎日やってくる人たちだからね」


 当の店主も、車で一時間近くかかる福島県いわき市のアパートから、
ほぼ毎日、ここへ一人で通ってきているという。
居住制限が解除されたら自宅へ戻るのですかと質問すると、年老いた店主は、
首を静かに横に振った。



 「うちの集落には津波が来る前は、全部で28世帯あった。
 居住制限が解除されたら戻ると言っている人は、そのうち、せいぜい2~3世帯だ。
 残りの人は、新しい場所で生活することを考えている。
 せめて8割くらいの世帯が戻って来ないと、集落の生活は成り立たない。
 そういう事情が有るから、わしらはたぶん、もとの集落には帰れないだろう」

 
 と、寂しそうにうなだれる。
老店主に礼を言い、ゴーストタウンのような商店街を後にした。
商店街から錆びついた線路を越え、海側へ足を進めると、一面に広がる荒れ地の真ん中に出た。
あの日の津波で、このあたり一帯にあった建物が、根こそぎすべて流されたためだ。
枯れた雑草の中に、大破した車や、津波で打ち上げられたままの漁船が放置されている。
横に傾いている漁船は、ペンキの色が概に剥げ落ちている。
木造部分はポロポロと、軽く指で触れただけでもろく地上へ落ちていく。


 (戻ろうか)とるみに合図して、俺たちは、富岡駅の方向へむきを変えた。
海岸沿いで動いている人たちの姿が、遠くから警察か消防関係者のように見えたからだ。
(行方不明者の捜索かもしれないな・・・)そう直感した瞬間、これ以上、
海に向かって歩くことに躊躇を感じたからだ。
るみも同じ思いでいたのかもしれない。素直にうなずいて俺の後を着いてきた。



 常磐線の富岡駅は、3年前の、津波の直撃の様子をそのまま残している。
3年が経過したというのに、いまもなを、被災地の鉄道網の復旧は大幅に遅れている。
津波と原発から受けたダメージが、あまりにも大き過ぎるためだ。
浜通りに沿って走るJR常磐線は、広野駅(広野町)と原ノ町駅(南相馬市)の間で、
いまも運転停止の状態が続いている。


 富岡駅は、福島第一原発から直線距離で10キロ余りのところに建っている。
立入禁止が2年以上も続いたため、生々しい津波の跡が、あの日のままに
いたるところで残っている。
駅のホームから、太平洋の水平線がかすかに見える。
木造平屋建ての駅舎はすべて津波で押し流されたため、コンクリートの基礎だけが残っている。
ホームにあったと思われる駅名標や、広告看板は、内陸方向にぐにゃりと折れ曲がっている。
あの日の津波のすさまじさを、まさに雄弁に物語っている。


 線路の隙間には、春の雑草が青々と伸びている。
だがその先の線路は、伸びきったままの夏の枯草が、赤いレールをすべて覆いつくしている。
線路内にもその周辺にも、津波で押し流されてきた乗用車が、何台も横転したまま放置されている。
主要な駅のひとつとして、スーパーひたちが停まった海沿いの駅は、いまはただ、
あの日の惨状をさらしたまま、なすすべもなく時間の中で風化しはじめている。
俺の眼には、富岡駅の様子がそんな風に見えてきた・・・



 駐車場の片隅に、ささやかな慰霊碑が見える。
町が建てたものではなく、町民の有志たちが集まって建てたものだ。
慰霊碑を作った同町の男性のひとりは、人がたくさん亡くなった場所にもかかわらず、
手を合わせる人がいないことに、深い憤りと悲しみを感じたという。
犠牲者を弔うものが近くに無いため、男性たちが自ら慰霊碑を建てたという。
有志たちのそうした思いを、観光気分でここを訪れる人も感じとってほしいものだと、
何故かそんな風に、俺の胸が痛んだ。


 るみが記念碑の前で手を合わせ、深く頭を下げた。
るみに促された形で俺も、思わず両手を合わせ、慰霊碑に向かって頭を下げた。
かつてのプラットホームから、青く悠々と輝く太平洋が、手に取るほどまじかに見える。
駅前の道路は、一時帰宅が始まる前までは、まったくの瓦礫の山だったという。
津波に生活のすべてを押し流された町は、ただ春の風が吹き抜けるだけで、
まったくどこにも再生のための、活気を感じさせないものがある。


 (このまま、ゴーストタウンになってしまうんだろうか、ここの駅と駅前は・・・)



(83)へつづく

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