落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (71)ホタルの養殖

2014-09-02 11:24:50 | 現代小説
東京電力集金人 (71)ホタルの養殖


 
 「ホタルは外部から0.5マイクロシーベルト以上の放射線を浴びると、
 光らなくなると言う説が有る。
 真偽のほどは、俺にもよく分からない。
 ともあれ、3.11の2年目に、桐生川のホタルが光らなくなったことだけは事実だ。
 そのままにしておくわけにもいかず、俺は、ホタルの養殖に乗り出した」


 杉原医師が、意外なことを口にしはじめた。
3.11の直後から、清流をほこってきた桐生川に少しづつ異変の様子が現れてきたと言う。
ホタルとともによみがえりをみせた清流の象徴・「カジカ」が、完全に姿を消してしまい、
夏から秋にかけて、ごく小量だが採取することが出来た川海苔も、
いつの間にか姿を消してしまったという。


 川海苔は、カワノリ科の緑藻のことで、山間の渓流の岩上に生える植物だ。
緑色をした数センチの葉状体で、とても柔らかい。
海海苔と同じように干して食用にするが、独特の風味が有り、とても上品な味がする。
川海苔の再生は至難の技だが、ホタルの養殖ならお手の物だと杉原医師が笑う。



 「最初の復活事業の時から、いやというほどホタルの養殖について研究をしてきた。
 まず、産卵箱を用意する。
 ある程度の大きさのガラスの箱か、プラスチックの箱でも代用できる。
 そいつを平らな板の上に乗せ、水ゴケを設置して、天井には防虫網をかけてやる。
 あとは水を循環させるためのポンプと、乾燥防止のために、
 ときどき霧吹きをすれば十分だ」



 「意外と簡単なんですねぇ、ホタルの養殖というのは」



 「まぁな。手間暇がかかるという難点があるが、慣れてくればそれほどでもない。
 5月から6月にかけて、ホタルの成虫のオスとメスをそれぞれを捕獲してくる。
 用意した産卵箱に水ゴケを敷いて、オスとメスのホタルを入れる。
 毎朝と夕方、水ゴケが乾かないように、たっぷりと霧吹きで水を与える。
 8月頃になると幼虫が水に降りるが、この頃まで毎日欠かさずに丁寧に霧を吹き続ける。
 水ゴケにメス一匹あたり、200から500くらいの卵を産みつける。
 産み落とした卵は最初は透明か、薄いクリーム色だが、孵化が近づいてくると黒褐色になる。
 この頃になったら産卵箱を、水とカワニラを入れた水槽へ移動させる。
 水槽に入れる水は、浅いほうがいい。
 卵から幼虫にかえったホタルは、産卵箱から水槽の水の中へ落ちていく。
 餌のカワニラは毎日確認する。少なくなったら補てんをする。
 だが、あまり入れ過ぎないほうがいい。入れ過ぎると、貝が腐ることもある。
 餌は、幼虫の成長に合わせて、大きくしていく必要がある。
 8月になったら水槽の中から、産卵箱を取り出してしまう。
 この頃になれば、ほとんどの卵が、幼虫になり孵化をしているからね」



 養殖の様子を思い出したのか、杉原医師が目を細めたまま旨そうに日本酒を呑む。



 「川に放流するのは、だいたい、8月の終わり頃からだ。
 一部はそのまま俺の研究室に置いて、成虫になるまで育て続ける。
 なんらかのアクシデントに備えるためだ。
 川に戻した幼虫の成長が、なにかの原因で止まる場合も有るからな」


 「アクシデントと言うのは、まだ放射能の影響が残っているということですか?」


 俺の問いかけに、杉原医師がゆっくりと首を横に振る。



 「残念ながら、放射能が原因とばかり言い切れない。
 桐生川のホタルは、源流域の自然が破壊されたことで、一度その姿を消している。
 コンクリートの上に土が溜まり、川の中に昔の様子が戻ってきたことでホタルが帰ってきた。
 2012年の夏に何故、ホタルが光らなかったのか、その理由は誰にも分らない。
 だが今となれば、それはどうでもいいことだ。
 自然科学者や、放射能を専門に研究する者たちが解明をしてくれればいいことだ。
 そんなことよりも、今日はもっと耳よりの、とっておきのいい話が有る」


 どうだ聞きたいだろうと促すように自信たっぷりの顔で、杉原医師が俺の顔を覗き込む。
「研究室で、偶然、大発見をしたんだ。聞きたいだろう、その先が?」とさらに、
隣にちょこんと座っているるみへ、視線を移す。



 「大発見と言うには、おこがましいが、偶然、いまにも光りそうな成虫が現れた。
 夜勤が続いていたため、一週間ほど、俺の研究室の明かりがつけっぱなしになったことが有る。
 ある朝、研究室の廊下で看護婦たちが大騒ぎをはじめた。
 あわてて駆けつけたら、看護婦たちが孵化したばかりの成虫と廊下で格闘をしていた。
 ゴキブリの子供と勘違いをして、大騒ぎをしていたんだ。
 こいつはホタルの成虫だと説明して事なきを得たが、その時になって初めて気が付いた。
 24時間、照明をつけっぱなしにすることで、ホタルの促成養殖が可能になるってな」


 「え、でもまだ、4月の後半です。
 今の時期にホタルが成虫になるなんて、有りえるんですか?。
 とうてい、信じられませんが・・・」


 「ホタルは通常、4月の中旬から下旬にかけて、サナギになるために陸に上がる。
 ミズゴケのある土の中に潜り、成虫になるための準備をはじめる。
 そして、雨上がりの夜の8時頃、成虫となって夜空を自在に飛びはじめる。
 早いものは5月の半ば頃から飛び立つ。
 光を放ちながら、およそ2週間ほど、ホタルとしての命を謳歌する。
 ホタルが夜空を舞うピークは、5月の末から6月の半ばまでだ。
 夏の風物詩と呼ぶよりも、初夏の先触れと呼ぶほうが正しいだろう、と俺は思っている」



(72)へつづく


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