落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (89)浪江町民を襲った「赤い舌」

2014-09-23 10:22:19 | 現代小説
東京電力集金人 (89)浪江町民を襲った「赤い舌」



 その後るみと女将さんは、市の体育館へ避難した。
従業員たちの無事と家族の無事を、避難先の体育館でかろうじて確認することができた。
冷静さを取り戻した女将が、体育館の外へ出る。
停電してるのにも関わらず、町の方向が明るいことに気が付く。


 燃料会社から漏れ出した油と、流された車から火がつき、大きな炎があがっている。
町中を燃やし尽くそうとしているような、すさまじい勢いがある。
夜空を赤く染めあげる、浪江の町の火災の光景だ。
翌朝になっても、一帯に燃え広がった炎が消えることはなかった。
津波のために道路が寸断されてしまった町に、消防車が駆けつけてくるはずがない。



 それでも女将さんたちは12日の未明から、ふたたび救助活動を再開させた。
前夜は、屋根の上に避難したり、腰まで水に浸かったりしながら助けを求める人のために、
10時半頃まで、必死の思いで救助活動を続けた。
だが余震がひどく、川も増水していたため、二次被害の危険性が生まれていた。
これ以上は危険だという判断が下された。
明るくなってから再開しようということになり、この日の捜索は打ち切りとなった。


 だが12日の未明。予期せぬ展開が浪江の町に発生をする。
そしてこの出来事が、やがて浪江町の人々のすべての人生を狂わせる出発点になる。
3月12日の朝、5時44分頃のこと。
浪江町の町長が役場の災害対策本部でテレビを見ていると、首相官邸の記者会見があり、
「福島第一原発から10キロ圏内の方は、至急避難して下さい」という発表があった。
町長がこのテレビを見たのは、全く偶然の出来事だ。


 国や県、東京電力から浪江町へ、危険だから避難しろという連絡は入っていない。
10キロ圏内には、およそ1万6千人の町民が生活をしている。
町は10キロ圏内に住む人達に避難を呼びかけるため、すべての消防車と広報車を動員した。
苅野小学校。大堀小学校。やすらぎ荘といった10キロ圏外の公共施設へ、
避難することを住民たちに呼びかける。
「一夜明ければ津波の被害に遭い、救助を待っている人たちを助けられるかもしれない」
と考えていた町民たちも、に後ろ髪引かれる思いで10キロ圏外への避難をはじめる。


 しかしこの日のうちに、致命的な事態が発生する。
12日午後3時36分。福島第一原発の1号機が、水素爆発をおこす。
「この場所じゃダメだ」と言う声が、10キロ圏の避難民たちから一斉に上がる。
3月12日午後6時25分。福島第一原発からの避難指示は、半径20キロ圏に拡大される。



 浪江町の西側。山間部にある津島地区には、役場の津島支所がある。
原発から27キロも離れているため、ここに避難すれば安全だろうと8000人余りの住民が、
津島へ向かって大移動を開始する。
安全なはずの津島地区に向かって大移動をはじめた数千人の住民たちを、今度は
空気中に放出された放射能雲、「赤い舌」が襲いかかる。


 「赤い舌」とは、高濃度の放射能が特に密集している状態を指す。
3月15日。福島第一原発から漏れ出た大量の放射性物質は、海から北西方向へ吹く風に乗り、
請戸川の谷筋に沿って上昇したあと、川の上流にある津島地区に向かって流れた。
「赤い舌」は谷間の地形をもつこのあたりを舐めつくした後、山脈にぶつかる辺りから、
この日降り始めた雪とともに、多くが地上に舞い降りた。


 残りの「赤い舌」は、風に乗り山塊を越えた。
飯舘村から伊達市、福島市あたりまで流れていったと推測がされている。
「赤い舌」は、安全なはずの津島地区の一帯を、高濃度の汚染地帯に変えてしまったことになる。
このため津島の住民2800人と、町からの避難者を合わせた1万1千人あまりの人たちが、
軽度とはいえ、全員が被ばくをするという状態を生んでいる。
国と東電からもっと早く、正確な情報が伝えられていればこうした悲劇は生まれていない。

 政府は大金を投じた最新鋭の予測システム、「SPEEDI」を持っている。
3月12日には、福島原発から大量の放射能が漏れていたことを、既に把握していた。
だが政府がSPEEDIによる予測を初めて公開したのは、原子力緊急事態宣言から
2週間近くが経過した、3月23日のことだ。



 当事者でもある浪江町民の悲劇は、これだけでは終わらない。
3月14日11時ごろ、3号機が水素爆発をおこす。
さらに15日朝6時頃には、2号機。4号機も同じように水素爆発をおこしてしまう。
「これ以上は、津島ももうダメだ。もっと遠い安全な場所に避難しよう」という結論が出る。
3月15日朝7時。二本松市の市長にたいし、浪江町の町長が避難民受け入れの要請を出す


 40か所ほどの避難所が、隣接している二本松市から提供される。
午前10時からピストン輸送で、ふたたび二本松市に向かって全町民の避難がはじまる。
避難にともない役場の機能もまた、二本松市へ避難していく。
東京電力の社員が、ようやくこの段階になって避難中の役場へ出向してくる。
やって来たのは、二本松市出身という福島支店の社員が2人。
2012年10月、現在の浪江町役場の二本松事務所ができるまで、この職員は
ずっと常駐をしていくことになる。


 浪江町は震災以降、役場の移転だけでも4回を数えた。
浪江町の本所から津島支所。二本松市の東和支所。さらに二本松市の男女共生センター。
そして現在の二本松事務所という遍歴を繰り返した。
浪江町の役場はいまも地元へ帰れず、借り家住まいの行政活動を余儀なくされている。
それはまた避難をしている町民たちにも、同じことが言える。


 原発のメルトダウン発生からの一週間。
もっと正確な情報と、適切な避難指示が原発周辺の自治体に提供されていたら、
事態はもっと良い方向に改善されていたと思えてならない。
3.11の震災とその後に襲ってきた大津波は、たしかに、防ぎようが無い自然による天災だ。
だが福島第一原発のメルトダウンと、その後に政府と東電がとった放射能の対策は、
誰がどう見ても、明らかな「人災」そのものと言えるのではないだろうか・・・


(90)へつづく

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東京電力集金人 (88)老舗女将の心意気

2014-09-22 11:17:58 | 現代小説
東京電力集金人 (88)老舗女将の心意気




 あの日のことを思い出したのだろうか、るみの眼が遠くを見つめている。
るみが美人女将の居る月の輪酒蔵に勤めてはじめて、ようやく1年が過ぎようとした頃、
東北3県を、最大震度7の激震が襲った。


 遠くに、ごうっという地鳴りの音を聞いた。
「地震かしら?」と感じた次の瞬間、るみの足元がぐらりと動いた。
あっと思った次の瞬間、地底から突き上げてくるような強い縦揺れがやって来た。
弾き飛ばされたるみがかろうじて壁に手をつき、必死で転倒を堪えた。
揺れは収まるどころか、さらに時間とともに激しくなる。



 壁に手を着いたるみが、徐々に体制を低くして、ついに崩れるように床へうずくまる。
時間にしておよそ3分。縦揺れと横揺れを交互に繰り返した激しい揺れは、
人から身動きすることの自由を、完全なまでに奪い去る。
棚からは、次から次に物が落下してくる。
事務机の上に綺麗に並べてあった資料は、ことごとく四散した。
床にうずくまったまま身動きできずにいるるみのところへ、美人女将が飛んできた。


 「るみ。何してんのさ。津波が来るんだよ。愚図愚図しないで早く逃げるんだよ!」

 ほらと女将がるみの手のひらへ、自分の車のカギを握らせる。



 「帳簿と非常時に持ち出す物と、パソコンは積んだから、あんたは早く私の車で逃げなさい」



 「女将さんは!」と叫ぶるみに、「いいから、早く行きなさい」と女将が叱咤する。
「私は年寄りの手を引いて、徒歩で逃げるから、あとで寺の高台で再会しましょう」
と叫び、そのまま女将は、店舗から飛び出して表の通りを駆けていく。
月の輪酒造の従業員たちは、店舗のすぐ前にある駐車場を決して使わない。
徒歩で3分ほどのところにある寺の高台に車を置くことが、常に義務づけられている。


 「万が一の時、海に近い駐車場に車を置いていたのでは、逃げる時の足を失ってしまいます。
 大人の足で3分ほどの高台なら、津波が見えてからでも逃げられる距離です。
 そう信じて、毎日、高台に車を置いてください。
 うふふ。そんな日が来ないことをわたしは祈っていますが、準備有れば憂いなしです。
 これも先代が、海沿いに酒蔵を建てた月の輪酒造の、運命(さだめ)ですから」



 それが普段からの、美人女将の口癖だ。
そしてついにそれが、現実になる日が東北3県にやってきた。
女将から鍵を受け取ったるみは、無我夢中で車に飛び乗り、エンジンをかけ、
目の前の高台にある、寺の駐車場を一心に目指した。
寺にある高台は、海抜にして40数メートル。
十分な高さとはいえないが、過去の大津波でもここまで達したという記録は残っていない。
車を停めたるみが目撃したのは、はるかな高さに盛り上がっている沖の水平線の様子だった。
濁った水平線が、いままで見たこともないほどの異常な高さにまで達している。


 「あれが、津波・・・あんな凄い水平線の高さを、今まで見たことがないわ・・・」



 激しく鳴り響く町のサイレンと、防災無線の「早く逃げろ」と連呼する叫び声に
思わずるみが、身体のすべてを固くする。
るみちゃん!と女将に遠くから呼ばれて、るみがまた正気に戻る。
女将は階段の下にとどまったまま、つぎつぎに避難してくる人たちを高台へ誘導している。
「手伝って!」と言われ、あわてて駆け出し、転がるように階段を駆け下る。
「お年寄りの手を引いてあげて!」女将に指示された次の瞬間、とっさに近くに居た
老婆へ、すかさずるみが手を差し伸べる。


 「来たぞーっ!!」と言う声が、避難する人たちの最後尾から一斉に湧き上がってきた。
海に目を向けると、電柱や家を次々となぎ倒しながら、津波が坂道を迫ってくるのが見えた。
もはや女将と一緒に避難を誘導をしている場合ではない。
近くにいたもうひとりの老女の手をつかむと、さらに上にある山へと続く階段を
必死の思いで、るみは駆け上がった。
下から3段目のところに足を乗せた瞬間、津波はるみの足元にまで伸びてきた。
距離にして、あとわずか1メートルで階段の頂点だ。


「あのとき、あと1分でも判断が遅かったら…」
死と隣り合わせになった恐怖を抱きつつ、るみは必死の思いで、階段をさらに上へと駆け登った。
階段を駆け上がる途中に見えたのは、目を覆いたくなるような無残な町の光景だ。
海沿いの住宅はもちろんのこと、町が緊急時の避難所として指定していた公民館も、
あっというまに波にのまれ、眼下で海のもくずと消えていく。
避難を急いでいたおおくのひとたちも、なすすべもなく、あっというまに抵抗する時間も
与えられないまま、次々と濁った波の下に呑まれていく・・・


(89)へつづく

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東京電力集金人 (87)瓦礫の中の、月の輪酒造

2014-09-20 12:33:48 | 現代小説
東京電力集金人 (87)瓦礫の中の、月の輪酒造




 「驚いたでしょう。でもこれが、被災地の本当の姿なのよ」

 助手席に戻ったるみが暗い顔で、運転席の俺を見上げる。
「確かに驚いた。だけど、いまだに2000人以上が行方不明なのは事実だ。
充分に分かっていたつもりだったけど、捜索している姿を見るとやっぱり胸が痛くなる。
君のお母さんとお姉さんも、いまだになんの手がかりもないままなのかい?」


 「うん」と小さくうなずいたるみが、下を向き、唇を噛む。
あの日。成人式の晴れ着を見に行ったるみの姉とおふくろさんは、遮るものがない
海岸通りのこの道で、背後から巨大津波に襲われている。
もう少し早く目の前の高台にたどり着いていればと、いまでも悔やまれると言う。
同じように避難の道を急ぎながら、寸前で大波に呑まれてしまった犠牲者の数は多い。
おそらくるみのおふくろさんも、姉さんも、歯がゆい思いの中で命を失ってしまった
そんな犠牲者のひとりだろう。


 あの日、激震に襲われた東北3県に、大津波がやってくることを予測したものはいない。
3.11のあの日。気象庁は、津波の高さを3メートルから最大で6メートルと発表した。
マグニチュードの大きさを、正確に把握していなかったためだ。
さらに断層の動く時間が長過ぎたため、津波の高さ予測を当初から見誤っている。
3メートルから最大で6メートルなら、防潮堤を越えないから大丈夫だと判断し、
逃げ遅れてしまった人たちは大勢いる。



 だがあの日の大津波は、気象庁の予測をはるかに上回った。
侵入口が狭まる湾口部や、複雑な地形をもつ湾内において、さらに津波は高くなる。
岩手県宮古市では、最大高さが40.5メートルを記録した。
各地で堤防を乗り越えた大津波は、海岸部の奥深くまで雪崩のように侵入した。
予測をはるかに超えた大津波が、逃げ遅れた大勢の人たちを巻き込んで、人的被害をさらに
大きなものにさせた。


 「まっすぐ行って」


 るみが乾いた声で指示を出す。
福島第1原発から10キロ圏内にある請戸の漁港は、避難指示解除準備区域の中にある。
漁港は津波で、壊滅的な被害を受けている。
陸に打ち上げられた漁船はあの日のまま残り、湾内に停泊している船は一隻も見えない。
破壊された防波堤は、復旧工事の真っ最中だ。
漁港の周辺にあったはずの住宅は、コンクリートの土台だけが残されている。


 「海岸沿いに、もう少しすすんで」



 るみが案内しているのは、港に近い場所で操業していた酒蔵、「月の輪酒造」だ。
漁港を過ぎると、道は根こそぎ破壊された防波堤から離れて、小高い丘に向かって進んでいく。
傾斜の道を5分ほど走ると、急に目の前がひらけて広い駐車場に出た。
目の前には黒々とした板壁の母屋があり、隣には土壁の蔵がそびえている。
高校を卒業したばかりのるみが、美人女将に憧れて、杜氏を夢見て就職をした酒蔵だ。

 
 外見からは、被害の様子が見えない。建物が倒壊しているわけではないからだ。
あれだけの大地震があったとは思えないほど、何故か、静かな雰囲気が周囲に漂っている。
酒蔵の入り口が開いているので、何気なく顔を入れ覗き込んだ。
外見には異常がないので、酒蔵の被害も軽微かと思いきや、それは大きな勘違いだった。
うす暗い酒蔵の中をぐるりと見回した瞬間、思わず出すべき言葉を失った。


 土壁はいたるところで壊れ落ちている。明り取りの窓も、ものの見事に崩落している。
大きな亀裂が無慈悲に走り、さらには、屋根を支えている巨大な梁も見るからにズレている。
従業員に怪我はなかったというが、この崩落の直下に人がいたら命に関わる
事態になっていただろうとと、だれもが容易に推測をするだろう。
ゴソッと落ちている土壁の塊りを見て、あらためて俺の背筋に冷たいものが走った。



 3月11日のあの日。
月の輪酒造では、前年から仕込んだ酒の出荷を祝う行事が、午後の4時から予定されていた。
毎年行われる、酒蔵挙げての恒例行事だ。
この行事がはじまる1時間ほど前、マグニチュード9のあの大激震がやってきた。
丹精込めて育ててきた新酒も、長年守ってきた酒蔵も、あっという間にがれきの中に
見ている間に、埋もれてしまった。


 月の輪酒造は、この地に長年にわたり根を下ろした酒蔵だ。
あの日、6代目を受け継いだ女将は、港から車で5分ほどの場所にあるこの酒蔵の中にいた。
地震の多い地域だけに慣れはあったものの、土蔵の壁が次々と壊れる様子を見て、
「これは間違いなく大津波が来る」と女将は、はっきりと確信したと言う。


 火の元を確認し、車にパソコンを積んだ後、女将は高台にある寺へ従業員を避難させた。
この時るみは、事務所でたったひとりで、呆然としていたという。
「何してんの、あんた。命が欲しかったら、さっさと此処から逃げるんだよ。」
ほら愚図愚図しないで、と女将に罵倒されて、ようやくるみは激震の放心状態から、
いつもの正気を取り戻したという。

 「でも、その先のことは、よく覚えていません」と、るみは語る。



(88)へつづく

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東京電力集金人 (86)3姉妹の本音 

2014-09-19 13:59:46 | 現代小説
東京電力集金人 (86)3姉妹の本音 




 地震と津波と原発、すべての厄災の直撃を受けた町、それが浪江の町だ。
浪江町では津波で151人が亡くなった。そのうち、33人が今も行方不明のままだ。
長引く避難生活の中でさらに320人が震災後に亡くなり、関連死として認定をされている。
居住地に戻れず、県内外に避難している町民の数は、2万1000人を超えている。


 3姉妹が両親の手がかりを探していた請戸(うけど)地区には、
漁港を中心に商店や住宅が立ち並ぶ、かつては、とてもにぎやかな港の風景があった。
波消しブロックの上で手を停めた長女の眼から、ぽろりと涙がこぼれて落ちた。
「悔しいし、悲しい。いつまで経ってもこの気持ちは、胸の中から消えませんねぇ」
ゆっくりとつぶやいたあと、町並みがすっかり消えてしまった一帯をしみじみと眺める。
 

 「あの日。助けようと思えば、助けられる命が、それこそたくさんありました。
 でもね。3月12日の朝に町から、全員に対して、突然の避難指示が出ました。
 夜が明けたら救助に行こうと思っていたのに、それがまったくできなくなってしまいました。
 このへんにはねぇ、見渡す限り、住宅がたくさん建ってたんですよ」



 長女が、あの日の出来事を振り返る。
捜索活動が中断してしまった3年前のあの日のことを思い出し、長女は「ただただ悔しい」
と唇を噛み、はらはらと涙を落とす。
巨大津波に襲われた2011年3月11日。
請戸地区のがれきの隙間や、屋根の上からは、助けを求める声がいくつも上がっていた。
同時に町の南にある第1原発では、メルトダウンの緊急事態が刻々と悪化していた。
浪江町は町のほぼ半分が、第1原発から20キロの圏内にある。


 翌12日の早朝。浪江町の町長は、国や県の指導が出ない中、
10キロ圏内に住んでいた町民たちに、急いで避難するよう独自の指示を出した。
救出や捜索活動どころか、迫りくる放射能から自分の身を守ることで精いっぱいだった。
請戸地区で警察による本格的な捜索活動が始まったのは、それから1カ月後のことだ。



 野ざらしだった多くの遺体は、損傷が激しく、外見からでは身元が判別できない状態だった。
放射性物質が付着している可能性があるからと、遺体にはホースで水がかけられた。
死者の尊厳はもとより、その光景を見てしまった遺族の尊厳もまた同じように踏みにじられた。
助けてやれなかった。捜してやれなかった。
原発の事故さえなかったら、もっと早く捜せてあげたのに・・・
身内の遺体が見つかった遺族にも、見つからなかった不明者の家族にも、
同じように、こころの中に悲痛な深い傷が残った。


 それから3年。合同捜索の現場には、地元の有志と消防団員たちに混じり、
両親の手がかりを探す、3人の若い姉妹の姿があった。
行方不明のままの鈴木文雄さん(当時60歳)、十四代(としよ)さん(当時58歳)夫妻を探す
長女の幸江さん(25歳)、次女の春江さん(23歳)、三女の美保さん(20歳)の3人だ。


 津波が来たとき自宅には両親と、兄弟でただ1人の男性だった東京電力社員の
清孝さん(当時24歳)が居た。
地元の工業高校を出て、福島第2原発に勤めていた弟の清孝さんは、
たまたま半日の休みを取って自宅にいた。
弟の清孝さんの遺体だけが、1カ月後の捜索で付近から見つかっている。



 3姉妹は海にほど近い自宅跡に花を供え、今日も手を合わせる。
「早く見つけてあげるからね」と、姿の見えない両親に向かって話し掛ける。
浜をゆっくりと歩き、砂を掘り返し、がれきをひっくり返して、手がかりを探し続ける。
あれから3年がたち、今日は自分たちだけの力で、行方不明の父と母の手がかりを捜しはじめた。
だがそれは見つけることの難しさを、あらためて実感する空しいだけの作業でもある。


 結婚して長女の幸江さんは、東京に住んでいる。
春江さんは仙台で暮らし、独身の美保さんは福島県伊達市で避難生活を送っている。
浪江町は、いまだに全域が避難区域として立ち入りが制限されている。
請戸地区は比較的放射線量が低いエリアとされているが、そう簡単に帰郷ができるわけではない。
復旧と復興のための作業は全く進んでいない。
壊れた家屋はそのままで、打ち上げられた漁船が、今もあちこちにあの日のまま点在している。



 長女は「請戸を離れて暮らしていることもあり、父と母が亡くなったとは考えたくはない。
受け入れたくないという心理がずっとこの胸にあります」と苦しい気持ちを語る。
どんな死であれ、愛する家族の遺体を抱き締め、きちんとした形の弔いを果たしてから、
少しずつ死を受け入れていくのが人間としての「喪の作業」なのだろう。
浪江に限らず、行方不明者をもつ家族は皆、この当たり前の喪の手続きができないまま
空しく、流れていく時間だけを見つめていく。


 「あらためて私たちだけで捜索してみて、手がかりを見つけることが
 難しいということが良く分かりました。
 3年前と全く変わっていないこの町の、こんな何もない景色を見せつけられると、
 震災直後の喪失感が、なんだかまたよみがえってきます。
 少しでもいいから、両親の手掛かりになるものがほしいという気持ちはあります。
 だけど3年もたってから捜すというのは、やっぱり遅すぎるような気もします。
 切ないですね。なんか、うまく言葉にできません。ごめんなさい」



 長女は、複雑な想いで顔を曇らせる。
警察庁のまとめによれば、東日本大震災の行方不明者は、青森1人。岩手1142人。
宮城1280人。福島207人。茨城1人。千葉2人の、合計2633人。
多くはすでに死亡届が提出され、戸籍上ではすでに亡くなった形になっている。
だが中にはこの3姉妹のように、わずかでもいから、それぞれの想いで今も愛する家族の
手がかりを、探し続けている人たちが居る。



(87)へつづく

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東京電力集金人 (85)浪江町へ入る

2014-09-18 12:37:24 | 現代小説
東京電力集金人 (85)浪江町へ入る




 双葉町の出口でふたたびスクリーニング検査を受けた後、車は、俺たちの旅の目的地、
浪江町の入り口にさしかかる。
町に入るためには厳重に設置されているゲートで、通行許可書を提示する必要がある。
群馬ナンバーであることにまず、疑問の目が向けられた。
だがここでもるみの住所が、浪江町であることが功を奏した。
「本籍地は、居住制限区域ですか。充分に気をつけて走行してください」と
係官に見送られ、俺たちは無事に町の中へ入ることが出来た。


 福島第1原発から直線で9キロに立地している浪江町は、町内のほとんどが
「帰還困難区域」と「居住制限区域」の2つに区分されている。



 帰還困難区域とは、「5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを
下回らないおそれがあり、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルトを越えている
危険な地域」のことだ。
要するに、当分の間、人は住めませんと宣言されたようなものだ。
浪江町の場合、8割近くがこの「帰還困難区域」に該当している。
避難したままいまだに仮設や避難先で暮らしている住民の数は、およそ2万1000人にのぼる。


  昨年の7月。日中の7時間だけに限り、町中へ立入りすることが許可された。
これを受けて浪江町の副町長は避難先から週3回、町役場へ通っている。
同じように、浪江町のなかでも比較的、放射線量が低い場所にある役場には34人の職員が
避難先から通いながら、町民の帰還と町復興のための準備を進めている。

 だが実際には、浪江町のほとんどの区域が帰還困難区域に指定されているため、
自由に立ち入れる区域は、大幅に限られている。
原発から10キロ圏内にある請戸地区は、あの日、大きな被害を受けた地区のひとつだ。
津波で失われた33人の行方が、今も判明していない。
原発事故ため漁港周辺での捜索が、1カ月以上も遅延したことが大きな原因だ。



 「右へ曲がって」


 るみに促され、漁港が有るはずの方向へハンドルを切っていく。
るみが最初に見たいと言ったのは、請戸(うけど)漁港に近く、海沿いに残されている
はずの、酒蔵、月の輪酒造の建物だ。
高校を卒業したばかりのるみは、杜氏でもあるここの美人女将に憧れて、酒蔵の門を叩いた。
酒に関してまったく無知識のるみを、女将は優しい眼差しで迎え入れてくれたという。
「女が杜氏になるのは、大変なこと。ましてや古くからの伝統や格式にうるさい世界です。
それでもよければ、ここで修業しなさい。わたしのことをお母さんだと思って」と女将が、
優しくほほ笑んでくれたことが力になったという。


 「建物が残っていると、いいんだけど」、助手席からるみが身体を前方に乗り出す。
目の前の視界が開け、太平洋の大海原が広がってきた。
漁港の建物を中心に、商店や住宅が立ち並んでいたはずの光景は今はまったく残っていない。
ただ、土台のコンクリートと、打ち上げられた漁船だけが、目の前の荒れ地にひろがっている。
ふと目をそらした瞬間、波打ち際を黙々と歩く、数人の人たちの姿が目に入った。


 ゆっくりと歩きながら長い棒のようなもので時々、海岸の砂を突いている。
「何してるんだろう、あの人たちは・・・」思わず気を取られ、車のスピードが落ちてきた。
「見たい?。じゃ、車を停めて」と、るみが助手席で小さくつぶやく。



 「被災地の現実の姿よ。でも、お願いだから、絶対に目をそらさないでね」


 意味深な言葉を口にしたるみが、静かにドアを開け、外へ出た。
つられたようにエンジンを切り、俺も思わず、ドアを開けて運転席の外へ飛び出した。
あらためて周囲を見回すと、何もない荒れ果てただけの地平線と、青々とした春の水平線が
俺の眼に飛び込んできた。
先ほど見た長い棒を持った一団は、今度は波消しブロックの上を歩いていた。


 上着の襟をかき合わせたるみが、波消しブロックの上をひょいひょいと歩いて行く。
最後尾を歩いている人へるみが、背後から静かに語りかけた。



 「なにか、手がかりのような物が、見つかりましたか?」


 「ないねぇ、残念ながら。
 何かあると助かるんだが、なにしろあれから3年以上も経っているからねぇ。
 亡くなった人には気の毒だが、こうなると、気休めみたいなもんだね、あたしたちの。
 そういうあんたも、此処で身内の誰かを亡くしたのかい?」


 「わたしの母と姉が、車ごと、このあたりで津波に呑まれています」


 「そうかい。それじゃあんたも同じだね。つらいよね。
 でもさ。みんな似たか寄ったかの体験をしているんだ、ここに集まっている人たちは」



 初老の婦人が手にした棒で、波消しブロックの上で捜索を続けている人たちの姿を指さす。
「ほら。あんたと同じくらいの年頃の3姉妹がいる。
あの子たちも両親をここで、あの日の津波で亡くしたんだ。
弟さんだけ、一か月後にここで遺体で見つかったが、両親の手がかりはいまだに無いのさ。
だからこうして、休みがとれた時は3姉妹で探しに来るんだ。
そうかい。あんたのお母さんとお姉さんも、行方不明のままなのかい、切ないねぇ」




(86)へつづく

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