落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (81)富岡町の田圃にて

2014-09-13 12:30:28 | 現代小説
東京電力集金人 (81)富岡町の田圃にて




 Jビレッジを超えると、「楢葉工業団地入口」という大きな交差点が近づいてきた。
事故の直後。ここには立ち入り制限の最初の検問所が設けられていた。
ここから先が20キロ圏の「警戒区域」にあたるため、立ち入り禁止の境界線にされたわけだ。
だがその後の見直しをうけて、富岡町が避難指示解除準備区域に指定されたため、
当初の検問所は廃止され、ここから数キロほど北へ移動している。


 我が家へ帰れることになっても、富岡町の実態はいたって深刻だ。
わずか68平方キロメートルあまりの狭い町内が、長期にわたって人が戻れない
「帰還困難区域」、居住が制限される「居住制限区域」、帰宅のための準備に入れる
「避難指示解除-準備区域」の3つに、区分をされてしまったからだ。


 自宅へ帰れる人と、帰れない人が町の中に生まれたため、これまでの人のつながりが
崩壊してしまう危険性が出てきた。
辛うじて絆を保ってきた地域社会のつながりが、今回の再編計画の見直しにより、
帰れる人と帰れない人の2つに、区分をされてしまったからだ。


 帰還が可能の「避難指示解除準備区域」にも、厳しい現実が待ち構えている。
出入りは自由になったが、帰還する住民たちを待ち受けている現状は、震災前の富岡とは
似ても似つかぬ姿に変貌しているからだ。
場所によっては相変わらず、放射線量の高いままの一帯が残っている。



 町の中には、高濃度を示す「除染」した表土を詰めた黒いコンテナバックが、
いたるところに、うず高く積まれている。
地震と津波の影響により、寸断されてしまった上下水道の設備は、いまだに破壊されたままだ。
警察や消防機能が存在をしていないために、治安維持のために住民自身が自主的に
パトロールをしなければならない状態が続いている。


 「ねぇ。田圃で、トラクターが仕事をしている・・・・」


 荒れ放題の土地が続く中、田圃の上で、一台のトラクターが土をかき混ぜている。
人が戻れるようになったとはいえ、周囲の様子は見るからに荒れ放題のままに荒れている。
立入禁止をしめす鉄管のバリケードが、まるでガードレールのように、国道の脇を、
延々とどこまでも続いている。


 るみが「停めて」と、目で俺に合図した。
言われた通り、麦わら帽子姿でトラクタに乗っている男性の田圃の脇で、車を停めた。
乾いた土をかき混ぜている麦わら帽子の男性は、路肩に止まった俺たちの車に一瞥をくれたあと、
何事もなかったかのように、ゆっくりそのまま次の土掻きに回っていく。
るみが助手席のドアを開けて、田圃の畔に降り立った。
数分後、一周を終えたトラクターが、るみがにこやかに立っている畔に近づいてきた。


 るみがちょこんと頭を下げると、麦わら帽子の男がトラクターを止めた。
「群馬ナンバーだね。道にでも迷ったかい。
わざわざ群馬から、こんなところまで新婚旅行の最中かい。珍しいのにもほどがある」
と男が白い歯を見せて、るみに笑いかける。



 「群馬じゃありません。あたしの出身は、浪江町です」とるみが答えると
「なんだ。それじゃ新婚さんの里帰りか」とまたまた目を細めて、大きな声で男が笑う。
「いえ、それも外れです。まだ結婚式を挙げる前なんですけど、わたしたち」と、
るみが可愛くはにかんでみせれば、
「それじゃ、田舎へ帰って、両親に結婚式の報告でもするのか?」
と、男がるみの顏を覗き込む。
「はい」と嬉しそうにるみが応えると、「そいつは、実に目出度いことだ」と、
男が頭から、ゆっくりと麦わら帽子を脱いだ。


 「じゃ、せっかくだからお茶でもするか」と、運転席から降りようとする男に、
畔からるみが手を差し伸べる。


 「ありがたいね。自分の実の娘にも、手を差し出されたことは無い」と男が笑う。
「娘さんが居るのですか!」とるみが驚くに、
「おう。もっともいわきに避難したままで、もう2度と此処には戻ってこないがね」
と笑った後「あんたほど、別嬪じゃないがね」と、男が苦笑いを見せる。

 「そっちの、将来の婿殿も一緒にどうだ。
 何もないが、暖かいお茶と握り飯くらいなら用意してある。遠慮すんな」



 福島県の2010年度のコメの収穫量は、約44万5千トン。全国4位に位置している。
震災の年の2011年。放射能による汚染が懸念されたが、1700か所に及ぶ放射能の
検査の結果、「安全宣言」が出された福島のコメ。
だが、現実はそれほど甘くはなかった。
コメ仲買業者の倉庫には、売り先の決まらない新米が次々と運び込まれ、山積みにされた。
例年なら収穫前に契約を交わしていた得意先が、ことごとく取引の中止を表明したためだ。


 汚染された福島産牛肉の流通が発覚して以来、全国に広がる「福島産」を敬遠の動きが
安全なはずの米にも、悪影響の影を落とした。
西日本の業者は「福島の米はタダでもいらん」と言いきった。
別の業者は、福島の弱みにつけ込むように当然のように、破格ともいえる大幅な値引きを求めた。
安全なはずのコメが売れない現実に、産地はどう立ち向かえばいいのか、
コメの生産者たちは原発の事故以来、おおいに苦悩してきたという。


 男性は富岡町に避難指示が出た時、たったひとりで此処に残ることを決意したという。
奥さんと一人娘をいわき市の仮設住宅に送り届けたあと、単身で、この地へ舞い戻った。
長年コメ農家として暮らしてきた自らの生活を、守り、貫き通すためだと、
はっきりと俺たちに言い切った。



 「だがな、震災の翌年は、田圃の作付けさえままにならなかった。
 作ってもどうせ売れないだろうという悲観が有るし、県や役場も、田植えは自粛しろという。
 長年、米だけを作って生きてきた百姓が、ほかに何を造れと言うんだ。
 季節が来ると、またこうして田圃を耕して、田植えのために水の準備をする。
 そうすることでまた、米作りのための一年が始まるんだ」


 尾根に残るかすかな残雪を見上げながら、男が、にっこりと俺たちを振り返った。



 「せっかくだ、富岡駅まで行って見な。
 震災のあの日のまま、まったく時間が止まって、残骸だけがやたらと残っている。
 俗にいう、震災のホットスポットみたいな場所だ。
 もっとも最近は残念なことに、なにやら、絶好の観光スポットのように人が訪れ始めた。
 浪江町出身のお嬢さんなら、また観光とは違った光景が、きっと見えることだろう。
 ありがとうよ、久しぶりに、いい休憩になった。
 気を付けて行きな、お嬢さん。
 まるで、いわきに居る娘が戻って来たみたいで、嬉しかったさ、俺も」


 じゃなというとまたトラクタに乗り込み、男がゆっくりと麦わら帽子をかぶったあと、
エンジンを軽快にスタートさせた。


(82)へつづく

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