落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第一章 (4)神童・房吉(前)

2012-11-12 13:46:53 | 現代小説
舞うが如く 第一章
(4)神童・房吉(前)




 話が、少し時代をさかのぼります


 利根郡では
「東入(そうり)に過ぎたることが二つある、
賢和(けんな)の筆に、後の房吉騒動。」とうたわれました


 賢和は戸倉(とくら)の出身です。
江戸に出て、書家の三井親和(しんな)の門弟となり
書の達人といわれ、いまでも出生地や近在のあちこちに
見事な作品群が残されています。



 房吉は、幼い時から法神に学び、
その奥義を伝授された後に、諸国を遍歴しながら、
さらに武者修業を重ねました。
請われて江戸に出て道場を開き、
多くの門人を養成しました。




 生涯・不敗の剣士として今も燦然(さんぜん)とその名を残す
法神流の伝説の剣士のひとりです。
江戸で活躍し始めたころから、房吉は自らの剣法を
「深山・法神流」と名乗りました。
門弟も多く、江戸では二つの道場が開かれて、
その名はますます時勢に乗りました。




 もともと、神童と呼ばれました。
生まれは寛政2年、1月3日、赤城の大沼から流れ出る
沼尾川に沿った深山村です。
その先祖は、源頼信の子、須田小太郎季末の後裔と称して、
家は代々裕福で、祖父の名前は、治佐衛門といい、
たいへんに腕の立つ剣士でした。

 父の源内は、医を業として、
母は、利根郡多那村の裕福な農家から嫁いできました。
夫婦仲は睦まじく、一男一女に恵まれましたが、
長男の房吉が6歳になろうとする矢先に、流行り病に冒されて
手当ての甲斐もなく、若くして母が亡くなりました。



 父・源内はおおくの後妻の話を断り続けます。
医業の傍ら、二人の子供の世話をする父と、祖母とに支えられて
房吉少年は、闊達(かったつ)に幼年時代を過ごします


 祖父の治佐衛門宅での、出稽古に訪れていた法神が
房吉を認めたのは、10歳前後の時でした。
ほかの子供たちよりも、頭一つ抜きんでた恵まれた体格と、
明らかに利発そうに輝く、その涼しい目元が、
ことのほか、法神翁には気にいったようです。



 少し勝ち気で慢心の傾向もありますが、
房吉少年は、常に明朗闊達に振る舞い、また辛抱も良く、
勉学にもいそしみ、何事にも秀でていたのです。


 祖父もまた、法神流の達人です。
最初は祖父に剣法を学びましたが、短期間のうちに頭角を現し、
たちまちのうちに師を越えてしまいます。
これより先は、法神翁が自ら竹刀を取り、
房吉少年に稽古をつける日々にかわりました。



 この天才剣士の出現は、地元の深山村はもとより
法神翁の多くの門下生たちを通じて、
早くも赤城周辺に、その名前が広まり始めました。



 15歳で寺子屋に入りますが、
同じころに桐生の絵師・鳳斎東里の門下にもはいります。
画名を孔聖劉霊といい、墨絵の世界でも
その非凡な才能を発揮しはじめます




 多岐にわたる修練を積むうちに、
わずか17~8歳にして文武に秀でた若者としての名声がひろがり過ぎたため、
さすがの逸材にも、序々に慢心の気配が漂いはじめます。





・本館の「新田さらだ館」こちらです http://saradakann.xsrv.jp/

最新の画像もっと見る

コメントを投稿