落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第2話 団栗橋(どんぐりばし)

2014-10-03 09:55:01 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第2話 団栗橋(どんぐりばし)



 
 団栗(どんぐり)橋は、京都・四条大橋のすぐ下流に架かっている静かな橋だ。
片側2車線があり、周囲の道路に比べ幅広い歩道を備えている鋼鉄製の四条大橋に比べると、
ひとつ下流のこの団栗橋は、渡る人の数も極端に少なくなる。
だがこの橋のたもとから眺める景色は、京都の風情をぞんぶんに満喫させてくれる。
鴨川沿いに建つ家並みの様子は、絵を描く人の意欲を心の底からくすぐる。


 まったく立ち停まろうとしない四条大橋の人の流れに、嫌気を覚えた路上似顔絵師は、
一本下流の団栗橋に、あたらしい居場所を求めて下ってきた。
たまたま橋の下から眺めた鴨川沿いの景色が、彼を一瞬で陥落させてしまった。
以来ここが彼のあたらしい仕事と、息抜きの両方の場所として定着した。


 5月に入ると鴨川の川原に、納涼のための川床が現れる。
納涼床の出た鴨川河畔の初夏の風景は、またとないスケッチの好材料になる。
さらなる景色を求めて、四条よりさらに南の五条大橋の近くまで歩いていったが、
路上似顔絵師に、あたらしい収穫はなかった。
団栗橋の下から見るような、スケッチ心を掻き立てる風景には出会えなかったからだ。
結局、団栗橋の下の日影に戻り、すっかり見慣れた四条大橋あたりのたたずまいを
せっせとまた、描きはじめた。
風が少し強めに吹くと、橋の下は肌寒ささえ感じる。
5月の橋の下には、そんなのどかさと涼しさがまだそこかしこに残っていた。



 だが梅雨が明けると、そんなわけにいかなくなる。
本格的な夏を迎えた京都は、とにもかくにも蒸し暑くなる。
そんな日は涼しく描ける場所を探して、いつものようにまた団栗橋の下へ潜り込む。
目の前には、親子で水遊びする人や、浅瀬の中でアユを釣る人などがいる。
肩を寄せ合い、何やらささやきあっている若いカップルなども、ちらりほらりと目に入る。


 四条大橋の下流に、いつものようにカメラマンの姿が見える。
鳥が魚を捕る瞬間をカメラに納めようと、銀色の傘で日差しをさえぎりながら、
ずっと座ったまま、シャッターチャンスを狙っている。
「物好きだなあ」と今日も思ったが、こんな暑い日に川原でスケッチをしている者のほうが
よっぽども変わり者だと見られているだろうと、思わず筆を停め苦笑いを洩らした。
団栗橋の下は、釣り人たちの休憩ポイントになっているらしい。
川から上ってきた人に「釣れましたが」と聞いたら、むすっとして「釣れへん」と
つれない返事だけが返ってきた。


 暇を見つけて川沿いのスケッチを楽しんでいるが、彼の本来の仕事は路上の似顔絵師だ。
彼がこの一帯で似顔絵を描き始めてから、丸3年になる。
もちろん一枚500円という売り上げだけでは、生活していくことに無理がある。
夕方6時から深夜まで、祇園街の片隅にある、バー「S」でアルバイトをしている。
『S』というバーは、秘密めいた雰囲気と店の古さが売りもののだ。
60を過ぎたパイプ好きのオーナーが、慣れた手つきでカクテルのシェイカーを振っている。


 場所が場所だけに、花街関係の常連客も多い。
白粉を落とした祇園の芸妓や、上七軒の女性たちがなぜか頻繁にやってくる。
彼は老オーナから腕を見込まれて、ここで厨房の一切をまかされている。
別に和食の修業をしてきたわけではない。
学生時代に、神楽坂の料亭でまかないを作っていたことが、役に立っているだけだ。


 団栗橋で見かけた美人芸妓の佳つ乃(かつの)も、ときどき素顔のまま
古いだけが取りえの、このバー「S」へ顔を出す。
もちろん、いつだってひとりだ。
誰にも内緒の、息抜きのための時間なのだろう。
パイプ好きな初オーナーと小1時間ほど、はた目から見ればまるで、
親子のように見える会話を交してから、嬉しそうに帰っていく。
芸妓のときの白塗りの顔もいいが、化粧を落として、まったくの素顔を見せた時にも、
この人にはやはり、別嬪さんの凛々しい横顔がある。


 「坊や。またね」と流し目で厨房を覗きこみ、悪戯っぽくウィンクされた瞬間、
路上似顔絵師は、あまりものなまめかしさに脳天を貫かれた。
以来彼は、祇園の美人芸妓、佳つ乃(かつの)の、熱狂的なファンのひとりになった。 

 
第3話につづく
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