「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第4話 無言詣り
宵山の夜(山鉾巡行の前日)。
午後10時を過ぎると、恒例の「日和神楽」がはじまる。
屋台に太鼓と鉦(かね)を積み、祇園囃子を奏でながら四条寺町の御旅所までを往復する。
宮司から巡幸の晴天と無事の御祓いを受けたあと、お礼にお囃子を奉納する。
御旅所をあとにした屋台はそれぞれの町内を練り歩きながら、山鉾の元へ戻る。
「長刀鉾」だけが四条寺町を超え、祇園さん(八坂神社)までやって来る。
八坂神社で奉納を終えると行列が南門から出る。行先は祇園の花見小路。
神楽の行列が近づいてくると、人々が一斉に露地先に顔を出す。
鉾の長老と地元の旦那衆たちが、「おめでとうございます」と声をかけ合う。
用意された軽食などを摂りながら、ゆっくりと日和神楽の行列が花見小路を進んでいく。
行列が四条通りに抜ける頃には、とっくに夜中の一時を過ぎている。
「もう11時半やで、今年はえらい遅いなぁ。どこぞでひっかかってんのとちゃうか」
「ほんまどすなぁ、○△ちゃん、あんたちょっと角まで見て来てくれへんか」
街角でぶつぶつ言いながら待っていると、しばらくしてどこかの仕込みちゃんが
息を切らせて駆け戻って来る。
「来やはりました。今、一力さんの前どす」
そんな報告から間もなく、祗園囃子が遠くのんびりと流れてくる。
明けて17日。待ちに待った神幸祭の日がやって来る。
八坂神社の神事は、この日の山鉾巡行からクライマックスを迎える。
八坂神社に祀られている、中御座(六角形をしたスサノヲノミコト)。
東御座(四角形をしたクシイナダヒメノミコト)。
西御座(八角形をしたヤハシラノミコガミ)の3基の神輿が、八坂神社から外へ出る。
それぞれ指定されたコースを通りながら、四条の御旅所までを練り歩く。
それから一週間。八坂神社からやってきた3基の御座は、四条の御旅所で夜を過す。
24日の還幸祭の日。3基の御座は、ふたたび古巣の八坂神社へ戻って行く。
この17日から24日までの七日の間。
女性たちによる、「無言詣り」の風習が始まる。
この日をこころ待ちにしていた女性たちが、四条の御旅所の前にひっそりと集まる。
祈る期間は、神幸祭の夜から還幸祭までの間の七日間、と厳格に決められている。
7日7夜。毎夜欠かさずにお願いすれば、どんな願い事も叶うと伝わっている。
そうした言い伝えを信じ、いまも多く女たちが、熱心に御旅所の前で祈りを捧げる。
「無言詣り」には、きわめて厳格な掟が存在する。
四条大橋から御旅所までの往復の間、ひと言も口をきいてはいけないと定められている。
最後の日だけ、御旅所へ2回お参りをする。
最後まで無言を守り、無事に結願の日までたどり着いた者だけ、願い事が叶う。
その最終日。熱心に祈っている女たちの中に、見覚え有る美しい横顔が有ることを、
通りかかった路上似顔絵師が、たまたま、見つけ出してしまう。
「あれは・・・
たしか、佳つ乃(かつの)姐さんところの、妹芸妓だ。
ああいうのを一心不乱と言うのだろうなぁ。ずいぶん熱心に祈っているもんだ。
名前は確か、静乃とか言ったっけ。恋多き年代になると女の子は大変だなぁ。
おっとっと、うっかり声をかけたりしたらやばいよな。
せっかくの満願が、俺のたったひとことでご破算になっちまうからな」
佳つ乃(かつの)の妹芸妓にあたる静乃は、将来を期待されている舞妓の一人だ。
舞も見事に上達し、この頃では先輩芸妓たちでさえ一目を置くという。
なによりも機転の利いたやわらかい受け答えぶりが、祇園に生きるための天性を感じさせる。
この子は間違いなく近い将来、祇園を代表する名芸妓のひとりになるだろう・・・
22歳になった静乃のことを、祇園の人たちはそんな風に見つめている。
だが、無事に結願を迎えた売れっ子舞妓の清乃が、この日からわずか2日後のこと。
誰もが考えていなかった突然の、青天霹靂といえる行動に出る。
祇園の町を、激震が駆け抜けていくことになるのだが、その話はもう少し先で書く。
まずは静乃について、もうすこし詳しく書く必要がある。
中学を卒業した静乃が祇園へやって来たのは、路上似顔絵師が京都へたどり着くはるか前。
いまからおよそ7年ほど前に、話はさかのぼる。
第5話につづく
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