落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第5話 飛び込みの舞妓志願

2014-10-06 11:07:56 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第5話 飛び込みの舞妓志願





 静乃は15歳のとき、単身で京都の祇園にやって来た。
戦前や終戦直後の祇園では、小学校を卒業したばかり少女や、中学を終えたばかりの
女の子たちが、舞妓になるための修業に入った。
舞妓の最大のセールスポイントは、15~6歳の少女から漂う独特の「幼さ」だ。


 幼さの残る少女のことを、「おちょぼ」と呼んでいた時代が有る。
「ちょぼ」には、小さいという意味も含まれている。
江戸時代の末期。かわいらしい少女のことを、おぼこ娘というように呼んでいた。
京都や大坂の揚屋や茶屋などで、遊女や芸者の供や呼び迎えなどをしていた
15、6歳までの少女のことを、「おちょぼ」と呼んでいた時代も有る。


 祇園では将来への期待も込めて、「おちょぼさん」と、より丁寧に呼ぶ。
おちょぼは屋形に住んでいる誰よりも、早い時間から起きて日課の仕事をはじめる。
掃除。洗濯。お使いなどの雑務をこなしながら、舞妓になるための修業として
三味線や舞の稽古に通う。
稽古が終わった瞬間からまた、屋形の雑用で忙しく祇園の町の中を駆け回る。



 日が暮れても、仕事はまだまだたくさん残っている。
お座敷から姐さん達が帰ってくれば、着物の整理と着替えを手伝う。
最後になってからお風呂に入る。寝るのはたいてい朝方の2時か3時になってしまう。
屋形での忙しい毎日は、一年あまりにわたって続く。
やがて夜の日付が変わる頃。
茶屋街の灯も消えて高瀬川の川音だけが、川辺の桜の枝の間から聞こえてくる。
幼さが消えないおちょぼが遊客を送りながら、ドングり橋を渡り木屋町の中へ消えていく。
花街があるこのあたりの、いつもの見慣れた光景だ。


 「おちょぼ」は体裁の良い、祇園の奉公人だ。
月の光を照り返す鴨川の橋で辛い涙を落したあと、今夜もとぼとぼとした足取りで
屋形に帰っていく。
祇園で一人前の舞妓になるまでに、誰もが何度も通る涙の道だ。


 時代が変ると、中卒で祇園へやってくる女の子は少なくなった。
高校卒業か、それに近い年頃になってから、舞妓になりたいと祇園へやってくる。
そんな中、静乃だけは中学を卒業すると同時に、売れっ子の佳つ乃(かつの)を慕って
花街の世界へたったひとりで飛び込んできた。


 しかし、突然名指しをされた当の佳つ乃(かつの)ほうが、当惑をした。
毎年のこととして2月の末の頃になると、舞妓志願の少女達が京都の花街へやって来る。
中には両親にだまって、家出同然で祇園へやってくる少女もいる。
だが花街はそのような少女を、決して求めてはいない。



 花街ならではの、厳しい決まり事が背景にあるからだ。
中卒の場合なら、出身校の進路指導の先生の紹介状をちゃんと持参したうえで、
保護者を同伴してやってくることが、面接時の絶対的な条件になる。
または屋形(置屋)の知り合いからの紹介状が無いと、受け入れることが難しくなる。
運よく屋形が受け入れたとしても、舞妓としてデビュ―まで半年から1年ちかくがかかる。
その間、辛い修練と芸事の修業が、右も左もわからない少女たちを待ち受けている。
静乃は舞妓になりたい一心だけで、故郷を、家出同然で飛び出してきた女の子だ。


 何を聞いても、
「修学旅行で見た、佳つ乃(かつの)姐さんの、美しい着物姿に心の底から憧れました。
何でもいたしますので、どうぞ置いてください」の一点張りだ。
これには屋形の女将も佳つ乃(かつの)も言葉を失い、ほとほと困り果ててしまう。


 舞妓見習いとして採用するためには、身元のはっきりした保証人が必要となる。
だが天涯孤独で育ったという静乃は、そんな保証人は一人もいませんと断固として言い切る。
これにもまた、女将がほとほと困りましたねぇ、という表情を見せる。
「困ったねぇ」と女将が売れっ子芸妓の佳つ乃(かつの)と、こっそり目を合わせる。
はい、思案に暮れましたねぇと、佳つ乃(かつの)も、ふぅっと短い溜息を洩らす・・・

 
 
第6話につづく

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