落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (4)

2016-12-04 18:28:32 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (4)
(4)廃娼運動




 「はいしょう運動?、何ですか、それ?」


 眠っているたまの頭を、清子が手で触る。
無邪気な笑顔を見せる15歳の清子に娼婦のことなど、とうてい理解できない。
いや。娼婦という言葉自体を知らない。
無理もない。群馬で『廃娼運動』がおこったのは、明治のはじめの頃だ。


 
 「女性の人権を守るため、公娼制度を廃止しようと立ち上がった社会運動のことだよ。
 女が春を売る公娼制度は、男尊女卑の封建制度の時代に確立したんだ。
 江戸や大阪の都市部に、人口が集中し過ぎたためさ」


 「人口が集中し過ぎると、女が金で売られていくのですか?」



 「人口が増えても、男と女のバランスがとれていれば問題はない。
 でもね。おサムライの町の江戸は、男たちがあふれていた。
 仕事のない農家の次男や三男まで、働き口をもとめて都市部へ集まってきたからね。
 男があふれれば当然、欲望のはけ口が、あちこちにつくられる」


 「へぇぇ・・・そうなんだぁ。そんなこと、はじめて知りましたぁ」



 「明治のはじめ。矯風会や救世軍などの団体が、盛んに廃娼運動を展開した。
 群馬は全国に先駆けて、議会で廃娼宣言を出した。
 だけどね。廃娼運動が日の目を見たのは、ずっとあとの昭和31年(1956)のことさ。
 売春防止法が制定されて、ようやく遊郭と赤線地帯が一掃された。
 群馬はそうした動きに先駆けた県なのです」


 遊郭・娼婦・赤線という言葉の洪水に、清子が小首をかしげる。
たまもピクリと反応をみせる。
しかし。清子の懐の暖かに誘われて、またたまが、眠りの中へ落ちていく。



 「わからないか、お前の歳じゃ・・・。
 売春の温床だった赤線や娼婦という言葉は今じゃ、まったくの死語だものねぇ。
 ところでさ、お前。好きな男の子はいるのかい?」



 若女将が、清子を真正面から見つめる。
突然の質問に、油断していた清子の瞳がまん丸になる。
『おっ、面白そうな話になってきたぞ!』眠りに落ちかけていたたまが、うす目をあける。
たまの小耳がピクピクと、興味津々に動き出す。



 「おや・・・赤くなってきたところを見ると居るんだね、好きなひとが。
 よかったぁ。おまえももう、一人前の女だねぇ」


 「好きな人がいると、なんで一人前になるんですか?」



 「女はねぇ、おとなになると男に恋をする。
 こころからその人のことを好きになると、無性にその人の子供を産みたくなる。
 それが女という生き物なのさ。
 そういう想いをあたためながら、女はみんな、大人になっていくんだよ」


 「ふ~ん。それで女将さんは、いつみても、幸せそうな顔をしているんですね。
 ではもう、赤ちゃんがはじまったのですか!」


 たまの小耳が、ピクリととまる。
困った顔を見せた若女将が、ふたたび、清子の瞳を覗き込む。



 「お前は本当に、綺麗な目をしている。
 一点の曇りもない、きれいに澄んだ瞳だ。うらやましいほどきれいだね。
 あんたはまだ15歳。
 だけどあたしは、まもなく30歳だ。
 あんたと同じくらいの年頃のときは、お前と同じ目をしていた。
 でもね。簡単じゃないんだ、世の中というやつは・・・
 あっ・・・15歳の子供を相手に、愚痴をこぼしても始まらないねぇ・・・・
 何を言ってんだろ。バカですね、あたしったら」


 「若女将も大変なんですねぇ。なにかと悩みが多くて・・・」



 たまの小耳が、ふたたびピクピクと動く。
ふふふと笑いはじめた若女将が、懐からちいさな袋を取り出す。
『口をあけてごらん』清子にむかってほほ笑みかける。
袋の中から、ピンク色の飴玉をひとつつまみ出す。そのまま清子の目の前にかざして見せる。
釣られたたまがあわてて、小さな口を開ける。


 「ふふふ。お前じゃないよ、たま。生意気だねぇ、子猫のくせに」



 ポンと飴玉をひとつ、清子の口へ放り込む。




 「残りは、持っておいき。
 宇都宮の老舗で買ってきた飴玉だ。
 用事で出かけたついでに、買ってくるのさ。
 子供の頃から大好きだった飴です。
 哀しいことがあってもこいつを舐めていると、みんなきれいに忘れちまう。
 お前の瞳を見ていたら、あたしの小さかった頃のことを、いろいろ思い出しました。
 何かあったら訪ねておいで。
 わかるだろう、あたしのいるホテルは?」


 「はい。平家落ち人ゆかりの伴久ホテルです。
 あたし。ここへやって来た時から、若女将に憧れていました。
 着物姿を見た瞬間から、ときめいていました。
 だっていつも、背中姿が、とっても素敵に見えるんですもの」


 「おや。素敵に見えるのは背中だけかい。
 それじゃ聞くけど、あたしを前から見たら一体どうなるの?」



 「はい。美しすぎて、心臓が、口から飛び出してしまいます。
 頭の先から足の先まで、隙のない着物姿が、とっても刺激的です!」


 「うふふ。生意気なことを平然という変わった娘だねぇ。お前って子も。
 なんだかあたしまで、あんたのファンになりそうだ。
 気をつけて帰るんだよ。
 春奴お母さんに、よろしく伝えてね」



 じゃあねと若女将が、背中を向ける。
その背中へたまが、ニャァ~と甘えた声を投げかける。



 「おや。見送ってくれるのかい、たま。
 でもね。女同士の会話に、男のお前は出しゃばってこないの。
 無理か・・・・子猫にそんなことを言っても。
 歩くたびに迷子になっちまう子猫に、女の心理なんか理解できないよね、絶対に。
 うっふふ。また会おうね。ね、たま。清子」


(5)へつづく


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2 コメント

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女同士のいろんな機微 (信州屋根裏人のワイコマです)
2016-12-05 06:34:16
いつも感心しているのは、落合様の女性観
女性を書かせますと・・素晴らしい言葉が
並びますね、その一つ一つの言葉が素晴らしい
以前のお話は読んでないので・・でもこれを
初めての書籍として・・拝読させていただいています
いよいよ文庫化の準備ですね 期待してます
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ワイコマさん。こんばんは (落合順平)
2016-12-05 17:37:51
いつの間にか、フルタイムの農業になっています。
出勤は朝の8時。
帰って来るのは、午後の5時。
ビニールハウスで育てているホウレンソウが
最盛期を迎えたためです。
袋詰めは機械が自動でしますが、下ごしらえに
手間がかかります。
思いがけず、農業のフルタイム。
それなりに楽しみながら、働いております。
計量は
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