連載小説「六連星(むつらぼし)」第2話
「響(ひびき)の身の上」
「美味しかった!オジサン。
たしかに、さっき出合った、怖い不良が絶賛するだけの事はあるわ。
出汁がちゃんとしていて、私、久々に感激をしました。
甘味は昆布で、ちゃんとカツヲの風味も出ています。
これこそ和食の本道だと言う、ほんとに丁寧なお仕事ぶりですね。
久々にこれが本物の蕎麦出汁というものに、出合いました」
「ほう~『通』だねぇ君は。見上げたもんだ。
若いのに、ちゃんと和食の良さがわかっているなんて、たいしたもんだ。
良質な味覚だね。いったいその若さでどこで覚えたの」
「お母さんの手料理です。
母は、今時の調味料などは一切使いません。
ちゃんとお水の時から昆布を入れて、沸騰する前に、お鍋から取り出しています。
その後に本節の鰹(かつお)を使います。
使うたびに削っているんだもの、いい香りもたっぷりとします」
「なるほど、たしかに本格的な和食の出汁のとりかただ。
今時ではありえないほど、凄すぎるお母さんの手料理だねぇ。驚いたなぁ。
で、君のお母さんという人は、いったい何をしている人なの」
「芸者さん。
湯西川温泉で、30年も生き残った芸者です」
「ほう、湯西川で芸者さんを30年。で、お母さんの、名前は?」
「母の源氏名ですか? それとも本名のほうかしら?
もしかしたら私のお母さんのことを知っているみたいですねぇ、今の反応は。
オジサンが、お母さんが良く語っていた昔馴染みの同級生でしょうか・・・・
年格好も、母とおなじくらいに見えるもの」
「と言うことは、お母さんは、ここ桐生の出身かい?」
「はい。その通りです。
なんだか・・・・もうすっかりと、私のことがばれてるみたいな気配がします。
母が芸者をしていると聞いても、オジさんはまったく驚かないし、
なんだか、私が来るのが前々から、解っていたような雰囲気さえあるもの。
それでは先に、私の方から白状をしちゃいます。
実は、家出をしてから今日で、もう10日目になりました。
東京で短大時代の友達の所を転々として遊んできましたが、
それにも飽きて早々と、そろそろ帰ろうかななどと、里ごころが生まれました。
お母さんが、あてにしていたカードも止めてしまったために、
旅費のほうも、あっというまに無くなりました。
仕方がないので、ドキドキしながらオヤジたちを騙しながら、
此処まで戻ってきたんだけど
ふと、ここが、お母さんの生まれ故郷だということに気がつきました」
「数はいずれにしても、オヤジたちを騙してきたのは本当の話だったのか。
まぁそれはいいとして、それで、桐生では何をするつもりなの」
「まだ右も左もわかりません。
何も決めてはいませんが、とりあえず、お母さんが暮らした
古い家並みばかりだという、桐生の景色を満喫したいと思います。
のこぎりの形をした、三角屋根の織物工場っていうやつを
沢山見たいと思います」
「それなら、この奥の方にたくさんある。
本町の1丁目から2丁目にかけてが、そう言う建物たちの一帯だ。
伝統的建築物保存地区と呼ばれていて、この夏のあたりには
群馬県で正式に承認をされる見通しになっている。
お母さんが小学生のころに暮らしていたのは、赤いレンガ工場の近くだよ。
そこには、とっても細い路地がある。
その路地を入って、一番奥に有る、蔵を改造した昭和生まれの
古い民家が、お母さんが暮らした家だ」
「なんで知ってんのオジさんは。そんなことまで・・・・」
「オジさんのほうが、あまりに突然すぎる偶然にびっくりだ。
君が書き置きをして家出をしたその夜に、もう、お母さんの清ちゃんから電話が有った。
娘が桐生に立ち寄るような事があったら連絡をしてくれって、頼まれた。
そのおかげで、清ちゃんに子供がいるという事実にも、その時に初めて知ったのさ。
子供が居ることにも驚いたが、それが偶然たった今会った君とは、もっと驚きだ。
で、どうする・・・・
頼まれた通り、お母さんに連絡をしたほうがいいのかな? 」
「見逃してもいい、と今、私には聞こえました。
それって私の、気のせいですか? 」
「なるほどね・・・・
清ちゃんが言うように、君はたしかに頭の回転は速いようだ。
お母さんも一応は心配をしていたが、強制的に送り返してくれとは言ってない。
もう大人だから、あの子の判断に任せてくれと頼まれた。
しかしそれでも急に娘に家出をされて、私の前から消えてしまうと、
いつかは手離なすつもりで育ててきたくせに、
やっぱり、どうにも寂しくなるから不思議ですと、それとなく笑ってもいた」
「ふ~うん、そうなんだ。母らしい」
「で、どうする。帰るなら湯西川へ、今からでも送ってやるが」
「オジさんが、かくまってくれるなら、少し桐生に住みたいな」
「か・・・・かくまう!。俺が?・・・・え、ここへ住むって?」
「あら。それはオジさんの、想定外なの? 」
どうにもこの子には、俊彦も先手を取られっぱなしです。
俊彦が、言葉に詰まり進退にもきわまって、腕組をして天井を見上げてしまいます。
ちょうどその時、若頭の岡本が若い連中を引き連れて、入口の古い格子戸を開けました。
岡本の顔を見た瞬間、電気仕掛けの機械人形のように椅子から立ちあがった響(ひびき)が、
再び、あっというまに俊彦の背中へ隠れてしまいます。
「まだ居たか。目障りな、この小猫は。
人の顔を見るたびに、いちいちトシの背中になんぞ隠れるんじゃねぇ。
それじゃあまるでこの俺が、歳甲斐もなく、お前さんを
いじめているように見えるだろうが。
これでも俺はこの界隈じゃ、仏の『欣也』さんで通っている男だぞ。
あまり恥をかかせるんじゃねぇ。
いつまでも逃げ回っていると、本当にとっつかまえて、
お前さんを食っちまうぞ! 」
俊彦の背中で、響がますます小さく固まり怯えています。
「しょうがねえなぁ、おい!」振り返った岡本が、若い衆のひとりに耳打ちをします。
「へいっ」と短い返事を残して金髪の若い男が、格子戸を開けると、
脱兎のごとく表へ飛び出していきました。
「トシ。いつものやつを俺には、2人前つくってくれ。
若いもんには、なんでもいいから旨そうなやつを適当に見繕ってやってくれ。
なんだよ。小猫の奴は、もう夕飯は済んでいるのか・・・・
腹を減らしているだろうと思って、せっかく英治を使いに出したのに。
それじゃあ、『あれ』を買ってきても、どうやら無駄になりそうだ。
おい、ひとっ走り追いかけていって英治には、花でも用意をするように言いつけろ」
命令されたもう一人の男が、さらに脱兎のように飛び出していきます。
ようやくトシの背中を離れた響が、今度は厨房の柱の陰から店の様子を窺っていました。
「おい、ビール!」その大きな声に、残ったもう一人が鋭く反応をします。
一足飛びに足を踏み出した男が、瞬時のうちに響の目の前にすっ飛んできました。
あわてた響が、厨房の反対側の壁まで、あっというまに飛びのいてしまいます。
「こらっ。小娘!。
全くお前さんは、チョコチョコと目障りに逃げ回る小猫だ。
別にそいつは、お前さんを捕まえに行ったわけじゃねぇ。
そいつはただ、そこにあるビールを取りに行っただけの話だろうが。
ほんとうに、まったくもって気に入らねえ小猫だ。
おい、トシ。
飯を食わせたら、そんな面倒臭い小猫はさっさと放り出せ。
それも、なるべく遠くまで行って、捨てて来いよ。
いいか。街の外まで行って、さっさとそいつを捨てて来い」
「それがさぁ・・・・岡本よ。
実は仔細が有って、いつの間にか、ここでかくまうことになっちまった」
「か・・・かくまう!何を言ってやがる。 正気かトシ。
お前も歳の割には、やることが大胆だ。
こんな若いじゃじゃ馬をかくまったうえに、愛人にして相手をするとなると、
3日と持たずに、名誉の腹上死をする羽目になるだけだぞ。
やめとけ、やめとけ。こんな小生意気(こなまいき)な小娘は、
ただただ元気がいいだけで、ろくな寝床のテクニックもありゃしねぇ。
色気も足りないが、技術はもっと足らねえぞ。
こんな、小便臭い小娘なんぞと『やる』くらいなら、
人形とでもやったほうが、よっぽどもましと言うもんだ。なぁ、トシ」
(小便臭い小娘・・・・)
これにはさすがにカチンときて、響の顔色も変わります。
目をつりあげた響が、勢いよく厨房の壁を離れました。
俊彦の傍へ寄ってくると、怖い顔をしたまま、まな板の上に置いてある
切れ味が鋭く磨きぬかれた包丁を無言のうちに、むんずと手にします。
一体何がおこるのかと、一同が、固唾をのんで響を見守ります。
やがて・・・・『お手伝いをします』と言うやいなや
そこにあったネギを気合もろとも響が、一刀両断に断ち切りはじめます。
勢いあまったネギは厨房のあちこちへ激しく乱れ飛び、包丁は、ものの見事に
まな板にしっかりと食いついてしまいました。
「・・・・おそるべき怪力だな。響。
ネギを見事に切断したうえに、そのまま包丁がまな板に食い込むとは、
こんな光景は・・・・俺も、初めて見た」
そこへ花束と、湯気の上がる新聞紙の包みをぶら下げた金髪の英治が
息を切らせたまま、ようやくの思いで戻ってきました。
呆気にとられてたまま、凍りついて響を見つめていた岡本が、やがてサングラスを外します。
息を切らして立ちつくしている英治から、まず、花束を受け取りました。
荒い息をしたまま、両手を腰に当てて厨房で仁王立ちをしている響を、
苦笑しながら、岡本が手招きをします。
「なるほど・・・・小猫とはいえ、あまりいじめすぎると
誰にでも噛みつくということが、俺にもよくわかった。
手打ちと行こうぜ。そこの可愛いお嬢ちゃん。
田舎だが桐生の繁華街は小粋な街で、真夜中まで開いている花屋も有る。
こいつはたった今、お嬢ちゃんにプレゼントしようと思って、そこで買わせたものだ。
ついでと言ってはなんだが、こっちの包みは、そこの屋台のシュウマイだ。
見た目は悪いが、そこの屋台のシュウマイは、ソースで食うとめっぽう旨い。
仲町じゃ、ちっとは名の知れた屋台の名物だ。
どうだ・・・・お嬢さん。この二つでおじさんと手打ちをしょうじゃねえか」
響が、両腕のシャツをまくりあげながら、大股で厨房から出てきました。
ドンと勢い良く踏みだしてきた響の足の勢いに押されて、少し気おくれをしたのか、
岡本が花束を抱えたまま、半歩ほど後ろへ下がってしまいます。
「お花もシューマイも、両方ともよろこんで頂戴をいたします。
それではビールなどで、とりあえず手打ちの乾杯などを、いたしたいと存じます。
岡本のおじ様・・・ 正田 響と申します。
どうぞこれをご縁に、長くご贔屓(ひいき)をお願いいたします」
にっこりと笑い、岡本の目の前で涼しい笑顔を見せてから、
響が、優雅にビール瓶とグラスの両方を持ちあげました。
さすがに響も、湯西川で育っただけのことはある、芸者の血を引く大和なでしこです・・・・
(3)へ、つづく
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
・連載中の新作は、こちら
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (35)一世一代の大芝居
http://novelist.jp/62449_p1.html
(1)は、こちらからどうぞ
http://novelist.jp/61553_p1.html
「響(ひびき)の身の上」
「美味しかった!オジサン。
たしかに、さっき出合った、怖い不良が絶賛するだけの事はあるわ。
出汁がちゃんとしていて、私、久々に感激をしました。
甘味は昆布で、ちゃんとカツヲの風味も出ています。
これこそ和食の本道だと言う、ほんとに丁寧なお仕事ぶりですね。
久々にこれが本物の蕎麦出汁というものに、出合いました」
「ほう~『通』だねぇ君は。見上げたもんだ。
若いのに、ちゃんと和食の良さがわかっているなんて、たいしたもんだ。
良質な味覚だね。いったいその若さでどこで覚えたの」
「お母さんの手料理です。
母は、今時の調味料などは一切使いません。
ちゃんとお水の時から昆布を入れて、沸騰する前に、お鍋から取り出しています。
その後に本節の鰹(かつお)を使います。
使うたびに削っているんだもの、いい香りもたっぷりとします」
「なるほど、たしかに本格的な和食の出汁のとりかただ。
今時ではありえないほど、凄すぎるお母さんの手料理だねぇ。驚いたなぁ。
で、君のお母さんという人は、いったい何をしている人なの」
「芸者さん。
湯西川温泉で、30年も生き残った芸者です」
「ほう、湯西川で芸者さんを30年。で、お母さんの、名前は?」
「母の源氏名ですか? それとも本名のほうかしら?
もしかしたら私のお母さんのことを知っているみたいですねぇ、今の反応は。
オジサンが、お母さんが良く語っていた昔馴染みの同級生でしょうか・・・・
年格好も、母とおなじくらいに見えるもの」
「と言うことは、お母さんは、ここ桐生の出身かい?」
「はい。その通りです。
なんだか・・・・もうすっかりと、私のことがばれてるみたいな気配がします。
母が芸者をしていると聞いても、オジさんはまったく驚かないし、
なんだか、私が来るのが前々から、解っていたような雰囲気さえあるもの。
それでは先に、私の方から白状をしちゃいます。
実は、家出をしてから今日で、もう10日目になりました。
東京で短大時代の友達の所を転々として遊んできましたが、
それにも飽きて早々と、そろそろ帰ろうかななどと、里ごころが生まれました。
お母さんが、あてにしていたカードも止めてしまったために、
旅費のほうも、あっというまに無くなりました。
仕方がないので、ドキドキしながらオヤジたちを騙しながら、
此処まで戻ってきたんだけど
ふと、ここが、お母さんの生まれ故郷だということに気がつきました」
「数はいずれにしても、オヤジたちを騙してきたのは本当の話だったのか。
まぁそれはいいとして、それで、桐生では何をするつもりなの」
「まだ右も左もわかりません。
何も決めてはいませんが、とりあえず、お母さんが暮らした
古い家並みばかりだという、桐生の景色を満喫したいと思います。
のこぎりの形をした、三角屋根の織物工場っていうやつを
沢山見たいと思います」
「それなら、この奥の方にたくさんある。
本町の1丁目から2丁目にかけてが、そう言う建物たちの一帯だ。
伝統的建築物保存地区と呼ばれていて、この夏のあたりには
群馬県で正式に承認をされる見通しになっている。
お母さんが小学生のころに暮らしていたのは、赤いレンガ工場の近くだよ。
そこには、とっても細い路地がある。
その路地を入って、一番奥に有る、蔵を改造した昭和生まれの
古い民家が、お母さんが暮らした家だ」
「なんで知ってんのオジさんは。そんなことまで・・・・」
「オジさんのほうが、あまりに突然すぎる偶然にびっくりだ。
君が書き置きをして家出をしたその夜に、もう、お母さんの清ちゃんから電話が有った。
娘が桐生に立ち寄るような事があったら連絡をしてくれって、頼まれた。
そのおかげで、清ちゃんに子供がいるという事実にも、その時に初めて知ったのさ。
子供が居ることにも驚いたが、それが偶然たった今会った君とは、もっと驚きだ。
で、どうする・・・・
頼まれた通り、お母さんに連絡をしたほうがいいのかな? 」
「見逃してもいい、と今、私には聞こえました。
それって私の、気のせいですか? 」
「なるほどね・・・・
清ちゃんが言うように、君はたしかに頭の回転は速いようだ。
お母さんも一応は心配をしていたが、強制的に送り返してくれとは言ってない。
もう大人だから、あの子の判断に任せてくれと頼まれた。
しかしそれでも急に娘に家出をされて、私の前から消えてしまうと、
いつかは手離なすつもりで育ててきたくせに、
やっぱり、どうにも寂しくなるから不思議ですと、それとなく笑ってもいた」
「ふ~うん、そうなんだ。母らしい」
「で、どうする。帰るなら湯西川へ、今からでも送ってやるが」
「オジさんが、かくまってくれるなら、少し桐生に住みたいな」
「か・・・・かくまう!。俺が?・・・・え、ここへ住むって?」
「あら。それはオジさんの、想定外なの? 」
どうにもこの子には、俊彦も先手を取られっぱなしです。
俊彦が、言葉に詰まり進退にもきわまって、腕組をして天井を見上げてしまいます。
ちょうどその時、若頭の岡本が若い連中を引き連れて、入口の古い格子戸を開けました。
岡本の顔を見た瞬間、電気仕掛けの機械人形のように椅子から立ちあがった響(ひびき)が、
再び、あっというまに俊彦の背中へ隠れてしまいます。
「まだ居たか。目障りな、この小猫は。
人の顔を見るたびに、いちいちトシの背中になんぞ隠れるんじゃねぇ。
それじゃあまるでこの俺が、歳甲斐もなく、お前さんを
いじめているように見えるだろうが。
これでも俺はこの界隈じゃ、仏の『欣也』さんで通っている男だぞ。
あまり恥をかかせるんじゃねぇ。
いつまでも逃げ回っていると、本当にとっつかまえて、
お前さんを食っちまうぞ! 」
俊彦の背中で、響がますます小さく固まり怯えています。
「しょうがねえなぁ、おい!」振り返った岡本が、若い衆のひとりに耳打ちをします。
「へいっ」と短い返事を残して金髪の若い男が、格子戸を開けると、
脱兎のごとく表へ飛び出していきました。
「トシ。いつものやつを俺には、2人前つくってくれ。
若いもんには、なんでもいいから旨そうなやつを適当に見繕ってやってくれ。
なんだよ。小猫の奴は、もう夕飯は済んでいるのか・・・・
腹を減らしているだろうと思って、せっかく英治を使いに出したのに。
それじゃあ、『あれ』を買ってきても、どうやら無駄になりそうだ。
おい、ひとっ走り追いかけていって英治には、花でも用意をするように言いつけろ」
命令されたもう一人の男が、さらに脱兎のように飛び出していきます。
ようやくトシの背中を離れた響が、今度は厨房の柱の陰から店の様子を窺っていました。
「おい、ビール!」その大きな声に、残ったもう一人が鋭く反応をします。
一足飛びに足を踏み出した男が、瞬時のうちに響の目の前にすっ飛んできました。
あわてた響が、厨房の反対側の壁まで、あっというまに飛びのいてしまいます。
「こらっ。小娘!。
全くお前さんは、チョコチョコと目障りに逃げ回る小猫だ。
別にそいつは、お前さんを捕まえに行ったわけじゃねぇ。
そいつはただ、そこにあるビールを取りに行っただけの話だろうが。
ほんとうに、まったくもって気に入らねえ小猫だ。
おい、トシ。
飯を食わせたら、そんな面倒臭い小猫はさっさと放り出せ。
それも、なるべく遠くまで行って、捨てて来いよ。
いいか。街の外まで行って、さっさとそいつを捨てて来い」
「それがさぁ・・・・岡本よ。
実は仔細が有って、いつの間にか、ここでかくまうことになっちまった」
「か・・・かくまう!何を言ってやがる。 正気かトシ。
お前も歳の割には、やることが大胆だ。
こんな若いじゃじゃ馬をかくまったうえに、愛人にして相手をするとなると、
3日と持たずに、名誉の腹上死をする羽目になるだけだぞ。
やめとけ、やめとけ。こんな小生意気(こなまいき)な小娘は、
ただただ元気がいいだけで、ろくな寝床のテクニックもありゃしねぇ。
色気も足りないが、技術はもっと足らねえぞ。
こんな、小便臭い小娘なんぞと『やる』くらいなら、
人形とでもやったほうが、よっぽどもましと言うもんだ。なぁ、トシ」
(小便臭い小娘・・・・)
これにはさすがにカチンときて、響の顔色も変わります。
目をつりあげた響が、勢いよく厨房の壁を離れました。
俊彦の傍へ寄ってくると、怖い顔をしたまま、まな板の上に置いてある
切れ味が鋭く磨きぬかれた包丁を無言のうちに、むんずと手にします。
一体何がおこるのかと、一同が、固唾をのんで響を見守ります。
やがて・・・・『お手伝いをします』と言うやいなや
そこにあったネギを気合もろとも響が、一刀両断に断ち切りはじめます。
勢いあまったネギは厨房のあちこちへ激しく乱れ飛び、包丁は、ものの見事に
まな板にしっかりと食いついてしまいました。
「・・・・おそるべき怪力だな。響。
ネギを見事に切断したうえに、そのまま包丁がまな板に食い込むとは、
こんな光景は・・・・俺も、初めて見た」
そこへ花束と、湯気の上がる新聞紙の包みをぶら下げた金髪の英治が
息を切らせたまま、ようやくの思いで戻ってきました。
呆気にとられてたまま、凍りついて響を見つめていた岡本が、やがてサングラスを外します。
息を切らして立ちつくしている英治から、まず、花束を受け取りました。
荒い息をしたまま、両手を腰に当てて厨房で仁王立ちをしている響を、
苦笑しながら、岡本が手招きをします。
「なるほど・・・・小猫とはいえ、あまりいじめすぎると
誰にでも噛みつくということが、俺にもよくわかった。
手打ちと行こうぜ。そこの可愛いお嬢ちゃん。
田舎だが桐生の繁華街は小粋な街で、真夜中まで開いている花屋も有る。
こいつはたった今、お嬢ちゃんにプレゼントしようと思って、そこで買わせたものだ。
ついでと言ってはなんだが、こっちの包みは、そこの屋台のシュウマイだ。
見た目は悪いが、そこの屋台のシュウマイは、ソースで食うとめっぽう旨い。
仲町じゃ、ちっとは名の知れた屋台の名物だ。
どうだ・・・・お嬢さん。この二つでおじさんと手打ちをしょうじゃねえか」
響が、両腕のシャツをまくりあげながら、大股で厨房から出てきました。
ドンと勢い良く踏みだしてきた響の足の勢いに押されて、少し気おくれをしたのか、
岡本が花束を抱えたまま、半歩ほど後ろへ下がってしまいます。
「お花もシューマイも、両方ともよろこんで頂戴をいたします。
それではビールなどで、とりあえず手打ちの乾杯などを、いたしたいと存じます。
岡本のおじ様・・・ 正田 響と申します。
どうぞこれをご縁に、長くご贔屓(ひいき)をお願いいたします」
にっこりと笑い、岡本の目の前で涼しい笑顔を見せてから、
響が、優雅にビール瓶とグラスの両方を持ちあげました。
さすがに響も、湯西川で育っただけのことはある、芸者の血を引く大和なでしこです・・・・
(3)へ、つづく
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
・連載中の新作は、こちら
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (35)一世一代の大芝居
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