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康宗憲・三千里鐵道顧問の再審無罪

2015年09月10日 | NPO三千里鐵道ニュース

再審で無罪が確定した康宗憲氏(2015.8.13,韓国大法院)



日本の各紙でも報道されましたが、「三千里鐵道」顧問の康宗憲氏が韓国の大法院(最高裁)で、再審裁判の無罪確定判決を勝ちとりました。本人の同意により、氏が「在日韓国良心囚同友会」の会報に寄稿した文章(一部加筆あり)を掲載します(三千里鐵道事務局)。


再審の無罪が確定して思うこと


2015年8月13日午前10時20分、韓国大法院(最高裁)第二部における宣告をもって、私の再審裁判はすべて終わりました。判決は呆気ないものでした。担当大法官(判事)が事件番号と被告(私)の姓名を確認し、一言、「検事の上告を棄却する」...。それだけです。1分もかかりませんでした。

 でも、私にはその一言だけで充分でした。この一言を聞くために、2年7ヶ月も待ったのですから。在日韓国人“スパイ”事件の再審上告審で、これまでの最長記録は1年8ヶ月でした。何の取り柄もない人間ですが、自慢にならない記録更新をしたことになります。

 なぜ、こんなに判決を引き延ばしたのか、私にはわかりません。死刑確定囚としては、初めての上告審だったからかもしれません。その間に主任判事が3人も交代しましたが、13人の大法官の中でも特に保守傾向の強い判事ばかりでした。また、現政権下で反動的な差し戻し判決が続いていることもあってか、前日に会ったシム・ジェファン弁護士は「最悪の事態も覚悟して下さい」と、いつもの深刻な表情で私の緊張を目一杯に高めてくれました。

 しかし、私は無罪(検察の上告棄却)を予測していました。高裁判決を覆すだけの新たな証拠も提出されていないし、紆余曲折はあっても、韓国民主化の成果である「過去事件の真相究明」という歩みを、決して後退させる事はできないと確信しているからです。大法院の判決文を読んで、その思いはさらに強まりました。判決文の一部を引用します。

 「原審(ソウル高裁)はキム・ヒョンジャンの法廷証言を、信憑性のある状態でなされたものと見なすことができないので証拠能力を認定しないと判断した。他の証拠も、捜査権限のない陸軍保安司令部捜査官により、長期間の不法拘禁と拷問、暴行、脅迫などで取得したものであるか、あるいは、その影響による心理的圧迫感や精神的強圧状態が持続された検察の取り調べや第一審法廷で取得したものであるから、その証拠能力がないか、有罪と認めるだけの証明力を認定できないと判断した。
 原審のこうした判断は正当であり、検察が上告理由で主張するような論理と経験の法則に関する違反は見られず、自由心証主義の範囲を逸脱したり、伝聞証言の証拠能力に関する法理を誤解したと見なすだけの違法も存在しない。
 よって、本件に関与した大法官の一致した意見で、検察の上告を棄却する」。 

 ソウル高裁の裁判は、1年近くに及ぶ困難な法廷闘争でした。私を何としてでも“入北して朝鮮労働党の工作員になった者”に仕立てようとした極右勢力と検察が、獄中で隣室にいた国内政治犯に“証言”までさせたからです。彼は法廷での証言後に訪日し、東京・名古屋・大阪の民団本部で“従北分子、康宗憲の正体を暴く”といった趣旨の時局講演を行いました。『民団新聞』や『統一日報』が、一斉に私を誹謗中傷するキャンペーンを展開したのは言うまでもありません。

 状況は困難を極め、連中のあまりの執拗さに挫けそうにもなりましたが、皆様のご支援を受け何とか克服することができました。そして、保守と革新がしのぎをけずる韓国社会の現状で、私に無罪を宣告したソウル高裁の判決文こそ、司法部の良心を示す証だと思います。今回、大法院もその判断を受け入れるしかなかったのです。

 先日、『朝日新聞』のファン・チョル論説委員から「8月30日に国会議事堂を囲んだ若者たちの姿を、どう評価するのか」と取材されました。彼らの行動はまさに、40年前の私たちの姿です。ファン論説委員は私の言葉を次のようにコラムで表現しました。今の私の心境が、よく反映されていると思うのでこれを結びにします。

「努力しても、今は成果が出ないかもしれない。でも歎く必要はない。訴えは蓄積され、きっと実を結ぶ。わたしの無罪も、人々が世代を継いで積み重ねた民主化の結晶だったのではないでしょうか。」(9月7日付『朝日新聞』名古屋版夕刊)。