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いわゆる河野談話について 河野太郎さんのブログから

2012年09月01日 | 東北アジアの平和



http://www.taro.org/2012/08/post-1257.php
河野太郎さんのブログです。 良い参考になると思います。



いわゆる河野談話について


2012年08月31日 14:35|外交問題

Q いわゆる従軍慰安婦に関する官房長官談話(河野談話)が今、問題になっていますが、この談話が出された経緯を教えて下さい。

A 宮沢内閣当時、当事者による訴訟の提起や宮沢総理の韓国訪問時に盧泰愚大統領からの問題提起などがあり、関係諸国などから強い関心が寄せられました。

そのため1991年12月より、いわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかを、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省がそれぞれ調査し、その結果を1992年7月6日に内閣官房内閣外政審議室がとりまとめ、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」として発表しました。

それによると、(ネット上に資料がないので下記引用します。誤字脱字があったらお許し下さい。)
「慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日本軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないため、軍人個人の行為を厳重に取り締まるとともに、速やかに慰安設備を整える必要があるとの趣旨の通牒の発出があったこと、また、慰安施設は士気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に対する影響が大きいため、慰安の諸施設に留意する必要があるとの趣旨の教育指導参考資料の送付が軍内部であったこと。

慰安婦の募集に当たる者の取締りについては、軍の威信を保持し、社会問題を惹起させないために、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うようにとの趣旨の通牒の発出が軍内部であったこと。

慰安施設の築造・監督については、部隊毎の慰安所利用日時の指定、慰安所利用料金、慰安所利用に当たっての注意事項等を規定した「慰安所規定」が作成されていたこと。

慰安所・慰安婦の衛生管理については、「慰安所規定」に慰安所利用の際は避妊具を使用することを規定したり、慰安所で働く従業婦の性病検査を軍医等が定期的に行い、不健康な従業婦においては就業させることを禁じる等の措置があったこと。

その他、業者が内地で準備した女子が船舶で輸送される予定であることを通知する電報の発出があったこと。

以上のように、いわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた。」と結論づけています。

それを受けて、同1992年7月6日に加藤紘一官房長官が、「慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められた」という内容の「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題に関する官房長官談話(加藤談話)」を発表しました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

政府は、さらに続けて、国内及び米国国立公文書館を含む関係資料の調査と元従軍慰安婦からのヒアリングを行いました。

1993年8月4日に内閣官房内閣外政審議室が「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題した調査結果を発表しました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

そのなかには、
「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。」という記載があります。

この調査結果を受けて、同8月4日に河野洋平官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話(河野談話)」を発表しました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html


Q 「河野談話」の何が問題となっているのでしょうか。

A 慰安婦の募集に強制性があったかどうかという点です。

河野談話は、内閣官房内閣外政審議室の調査発表を受けて、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」

また「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と述べています。

いわゆる従軍慰安婦に関する政府の関与があったことまでは政府の資料で確認できていますが(加藤談話)、慰安婦の募集に強制性があったかどうかについて、河野談話のいうように総じて本人たちの意思に反して行われたのか、本人たちの意思に反して行われたこともあったが、総じて行われたというほどではないのか、本人たちの意思に反して行われたことはなかったのか、で意見が分かれています。


Q 1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」発表までに政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述があったのでしょうか。

A 安倍晋三首相は、2007年3月16日付の質問主意書への答弁書の中で「調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述も見当たらなかった」と述べています。


Q 宮沢内閣の石原信雄官房副長官(事務)も文書が見つからなかったと発言していませんか。

A 2007年に財団法人平和のためのアジア女性国民基金から刊行された「オーラルヒストリー アジア女性基金」のなかで、当時の石原信雄官房副長官は以下のように述べています。

「通達とか指令とかいろんな資料を集めたんですけど、文書で強制性を立証するようなものは出てこなかったんです。」

「通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証できるような物的証拠は見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち十六人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことは間違いないということになりました」

「本人のヒヤリングで強制性の認定をしたのは大きな間違いだというご批判があるわけです。われわれは何度も聞かされてます。ただ私どもは、そこをどうするかは、内閣としても、政府としても、判断に苦慮したところなんです。だけども十六人のうち、自分の意思ではなく慰安婦にさせられた、その置かれた状況のもとでやむなく慰安婦になった、あるいは瞞されてなったという人が間違いなくかなりいる。これはヒヤリングを通して真実であることに間違いないという担当官の報告が出たのです。日本政府も韓国政府も、担当官にはなんらのプレッシャーをかけてないわけです。人道的立場でヒヤリングをやってもらい、その報告を受けたわけです。それを政府としては、彼らの心証を大事にしていこうと考え、それが強制性の認定につながったわけです。」


Q この元慰安婦からのヒヤリングの内容は公開されているのでしょうか。

A これまで公開されていません。


Q 河野談話は閣議決定されているのでしょうか。

A 閣議決定されていません。


Q では、河野談話はどういう性格のものなのでしょうか。

A 「内閣の意思」です。

前出の「オーラルヒストリー」のなかで石原官房副長官はこう述べています。
「あの表現は官邸の中で皆で相談して、最終的に決めたものなのです。当然外務省、厚生省、労働省など、関係する官庁には全部連絡して決めたわけですから、あれは内閣の意思でして、特定の人の意見ではない。内閣の責任で出した談話だということは間違いありません」


Q この「内閣の意思」は宮沢内閣以降どうなっているのですか。

A 宮沢内閣以降の歴代内閣はこれを踏襲しています。


Q 「河野談話」を修正、または撤回するためにはどうしたらよいのでしょうか。誰がやればよいのでしょうか。

A 「内閣の意思」は、総理大臣が明示的に踏襲すると発言しなくとも、明示的に否定しない限り、新しい内閣に引き継がれます。

「河野談話」を修正または撤回するためには、これまでの内閣の意思を変更するわけですから、「河野談話」に替わる内閣の新しい見解、意思を発表する、「河野談話」を踏襲しないという内閣の意思を明示する、または何らかの形での否定をすることが必要だと思われます。

内閣の意思をとりまとめ、総理または官房長官が新しい見解を発表するなどが必要です。

そのためには、1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」に替わる事実が出てくるか、あるいはこの調査結果を破棄するかということが必要になります。


Q 加藤談話及び河野談話については、談話を出した本人が意見を変えれば変更ができるのでしょうか。

A 歴代官房長官は、この問題に限らず、様々な問題について談話を発表してきていますが、いずれの談話も内閣の意思を表しているものであって、個人の意見を述べたものではありません。ですから官房長官談話の変更には、内閣の意思の変更が必要になります。

談話を出した本人のその後の意見というものは、談話には関係ありません。




オバマ、DMZ視察。MBとの会談、共同記者会見では…

2012年03月26日 | 東北アジアの平和
★今日からソウルで核に関する国際会議が始まる。世界の首脳がソウルに集結、人類の未来を拓くために(?)、その脅威となっている核に関する話し合いをするという。折りしも今日26日は2年前天安艦が沈没した日。保守言論は陸海空の兵士を出演させ、敵殲滅を誓わせた。核会議と天安艦2周年、その向かう先は…?。


以下サランパンから、関連する二つの記事を載せる。 

追記
韓国外語大でのオバマの演説、流石と唸らせるがどうもしっくり来ない。…が、関連記事添付します。(3月27日) N


http://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/525296.html

天安艦の逆説…陸軍戦力を抜き出して西海5島 要塞化

2012年03月26日 | 東北アジアの平和
2012年03月26日08:19

天安艦の逆説…陸軍戦力を抜き出して西海5島 要塞化

原文入力:2012/03/25 22:35(1974字)

‘国防戦略’どのように変わったか
国軍目標‘危機管理’から‘局地戦勝利’へ
‘挑発された見合いで報復→十分な報復’変化
全面戦争へ飛び火する可能性 いつにも増して拡大


2010年3月26日夜9時22分
海軍2艦隊司令部所属哨戒艦である天安(チョナン)艦がペクリョン島近隣海域で真っ二つになった。 46人の若者の命を奪い去ったこの事件を契機に韓国社会と韓半島情勢は大きな渦に陥った。原因糾明過程で南の葛藤が深刻化され、南北関係には新冷戦期が到来した。 この事件は韓国軍国防戦略の枠組みも完全に覆し、その新たな枠組みを巡る種々の問題点が指摘されている。

■戦争抑止から戦争勝利へ

自主国防ネットワーク シン・インギュン代表は「天安艦事態の後、軍事的な面での最も大きな変化として‘比例性の原則’に代えて‘充分性の原則’が採択された点」と語った。 敵が挑発した見合いで懲らしめることから充分と判断されるまで報復する側に変わったのだ。 実際、天安艦と延坪島(ヨンピョンド)事態を体験した後、軍内部には‘二度とやらせない。できるものならやってみろ’という情緒が広まっている。 キム・クァンジン国防長官も「敵が挑発する場合、挑発原点はもちろん支援勢力まで懲らしめろ」と何回も強調した。 韓国軍の目標が危機管理から局地戦勝利に変わった形だが、軍事専門紙<ディフェンス21+>キム・ジョンデ編集長はこれを‘トルーマン方式’と‘マッカーサー方式’と説明する。 韓国戦争当時、マッカーサー司令官は中国本土爆撃を主張して3次世界大戦も辞さないと主張した反面、トルーマン大統領は前線を膠着させてもより大きな戦争は防止しなければならないと判断した。 韓国軍の軍事戦略がトルーマン式からマッカーサー式へ変わったが、その結果、局地戦が全面戦争へ拡散する可能性がいつにも増して大きくなった。

■武器体系不均衡も深化

天安艦・延坪島事態の後‘西北5島要塞化’作業が推進された。 K-9自走砲と多連装ロケット九龍(クリョン)、対砲兵レーダーと音響標的探知装備など先端武器が大挙配置された。 西北諸島防衛司令部が創設され海兵隊兵力も増強された。 ところが当時補充された装備の相当数は既存陸軍が運用中のものなどなので、この過程で合同参謀本部と陸軍本部が深刻な葛藤を生じさせもした。‘下の石を抜いて上石を積む’展示式戦力増強がなされたのだ。 更に局地戦に備えた最先端武器補充などが優先視され、既存在来式戦力運用に必要な武器供給が遅れたり取り消しになった。

 優先視された戦力補強の内容を調べれば憂慮はより一層大きくなる。 天安艦・延坪島事態の後、大統領府特命事業で推進された稲妻事業が代表的だ。 稲妻事業は既存運用中の多連装砲などに衛星航法装置(GPS)と地上基盤航法システム(GBNS)等を装着して北の長射程砲を精密打撃する構想で、大統領府が直接所要を提起した。 現在、国防科学研究所主導で開発が進行中だが、かく乱が容易な商業用衛星航法装置の使用などで不良論難が起き監査院も問題点を指摘したほどだ。 大統領府が所要を提起したこの事業を巡り軍内部でも 「そのように簡単に長射程砲を無力化できるなら今までなぜしなかったのか」 という冷笑的な反応が出てきている。

■漂流する‘合同性強化’

政府は天安艦事件1ヶ月余後、大統領直属で国家安保総括点検会議(委員長 イ・サンウ)を発足させた。 ここで15ヶの改善課題を出し、7月には国防部傘下から大統領直属に転換された国防先進化推進委員会(委員長 イ・サンウ)がこれを譲り受けて検討し、70ヶ余りの課題に細分化し、その年12月6日李大統領に報告した。 その核心は積極的抑制戦略向上と合同性強化であった。 ‘挑発が確実視される場合、あらかじめ措置する’積極的抑制戦略の流れで北核基地爆撃のためのステルス機の必要性が強調されたし、その結果として次期戦闘機(F-X)事業がはずみをつけた。 また、合同性強化を前面に出して合同軍司令官傘下に陸・海・空軍総長を配置する軍指揮構造改革案が提示され、合同参謀議長を合同軍司令官とする方案が確定した。 だが、軍上部指揮構造改革案はまだ国会を通過できずにいる。 海・空軍と予備役などの反対が激しかったためだ。 結局 "報復" の声は強まったが、実際に報復を後押しする戦力効率化や軍システム整備は道がまだ遠いわけだ。

イ・スニョク記者 hyuk@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/525183.html 訳J.S
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[社説]核安保会議は既存の「核」放棄を検討すべき

2012年03月26日 | 東北アジアの平和
2012年03月24日11:57

[社説]核安保会議は既存の「核」放棄を検討すべき

原文入力:2012/03/23 22:36(1381字)

 26日から2日間ソウルで核安保首脳会議が開かれる。2009年の4月にチェコ、プラハで‘核兵器がない世界’を標ぼうしたオバマ米国大統領が主導してきた核安保首脳会議は9・11テロの衝撃と危機感を背景にした核テロ対策会議と要約できる。しかし2年前のワシントン会議に続き2度目である今回の会議は、今も解決していない日本の福島原発事故の発生から1年ぶりに開かれるという点から核に対してより踏み込んだ議論が必要だ。 今回の会議では核の安全管理問題が主な関心事で、イランと北韓核問題も扱う予定だ。所期の成果を上げることを望むが、一方で懐疑的な面もある。かえって既存の核の既得権を強化して核による危険をさらに深刻化させる心配もあるためだ。
 核安保首脳会議は5大核兵器保有国の核の既得権を既成事実として前提にしている。これまで戦略(核)武器の縮小交渉など自らの縮小努力がなくはなかったが、ポーズにすぎなかった感がある。米国は包括核実験禁止条約(CTBT)を依然として批准せず未臨界核実験を続けてきた。自分たちの独占的な核既得権は維持したまま他国の核開発や保有禁止だけ強調する矛盾した姿勢では問題を解決することはできない。
 インド、パキスタン、イスラエルが核保有国になって、北朝鮮やイランが核開発に乗り出したのもこれと関係がある。このままでは核兵器がない世界に向かうことはできない。核既得権を守りながらその拡散とテロだけは防ぐというのは限界がある。
 また、福島以後のソウル会議が、人間の核管理能力に対する根本的な疑問とともに強まっている既存の原発政策に対する全世界的な問題提起や検討、代案摸索の努力をまともに反映するかも疑わしい。本会議に先立ち開かれる原子力インダストリーサミットの200余の参加者は世界原子力産業体の最高経営者と国際機構の代表ら、いわゆる‘原子力マフィア’という批判まで受けている核既得権者たちだ。政府は脱原発の市民運動に参加しようとする外国の活動家の入国まで許可しなかった。核の代案模索に進む、福島以後の世界的な動きとはかけ離れた態度だ。
 政府が乗り出した放射能被害の管理体系や原発の安全技術、濃縮技術、情報処理システム改善などの宣伝は、ソウル会議を‘原発ルネサンス’のための好機として捕らえようとする風に映る。これは福島事故が人類に投げかけた黙示録的な警告に反するものだ。人類史的転換期であることもある時期の大型国際会議を目先の商業的利益のための機会や北朝鮮に対する牽制用の政治的な糾弾の場にする愚を冒さないことを望む。
原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/524933.html 訳T.W .

オバマ大統領 25日にDMZ訪問=核サミット前に

2012年03月21日 | 東北アジアの平和

         オバマ大統領 25日にDMZ訪問=核サミット前に

               2012/03/21 08:16【ワシントン聯合ニュース】


米ホワイトハウスは20日、ソウルで開催される核安全保障サミット(26~27日)に出席するため訪韓するオバマ大統領が25日に、南北を隔てる軍事境界線がある非武装地帯(DMZ)を訪問すると発表した。AFP通信などが報じた。

 オバマ大統領は25日に訪韓し、3日間の滞在中に李明博(イ・ミョンバク)大統領や中国の胡錦濤国家主席、ロシアのメドベージェフ大統領と会談するとみられる。


※関連

次の記事も載っている。


         「衛星」計画 北朝鮮が金総書記死亡前に米国に通知

            2012/03/21 09:36 【ワシントン聯合ニュース】

北朝鮮が金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去数日前に、人工衛星「光明星3号」打ち上げと主張する長距離弾道ミサイル発射の計画を米国に通知していたことが20日、ワシントンの消息筋の話で分かった。

 この消息筋によると、金総書記死去前の昨年12月15日、北朝鮮当局者が衛星打ち上げ計画を米国に通知した。この時、米国側の関係者が北朝鮮との協議に乗り出し、「オバマ政権は衛星打ち上げを国連決議に直接違反すると見なすだろう」と警告した。また、こうした内容は米政府の当局者にも伝えられたもようだ。

 こうした米国の警告と、2月29日の米朝合意にもかかわらず、北朝鮮は衛星打ち上げ計画を発表した。これは、金総書記が米国の意志を試すために衛星打ち上げ計画を決定し、金正恩(キム・ジョンウン)氏ら後継勢力が金総書記の政策に徹底して従うと決めたことを意味するものだという。

 この消息筋は米政府関係者の話として、2月に北京で行われた米朝高官協議で米国務省のデービース北朝鮮担当特別代表が北朝鮮の金桂冠(キム・ゲグァン)第1外務次官に対し、北朝鮮がどう説明しようとミサイル実験は交渉中の合意内容に違反し、米国は交渉決裂と見なすという点を明確に示したと伝えた。金次官も、衛星打ち上げの場合は交渉全体が破局することを認識したという。

 同消息筋は「北朝鮮はひとまず米国と合意した後、米国が衛星打ち上げを理由に合意を破れば、全ての責任を米国に転嫁することにしたようだ」と分析する。


"平和の島、済州(チェジュ)を守ろう" 国際連帯 広がる

2012年03月12日 | 東北アジアの平和

2012年03月12日07:46


"平和の島、済州(チェジュ)を守ろう" 国際連帯 広がる




←去る10日午後、済州、西帰浦市(ソギポシ)江汀マウルの入り江で水中に飛び込んだ済州海軍基地建設に反対する活動家が海洋警察の制止を受けている。 この日警察が海軍基地工事現場であるクロムビ岩海岸で活動家が入ることを阻むためにカヤックを奪い、活動家は「泳いででも行く」として海に飛び込んだ。 ホ・ホジュン記者

米・英など平和活動家、海軍基地反対運動に参加
ユーチューブに動画を上げ、江汀マウルで支持闘争も


済州海軍基地建設工事で西帰浦市、江汀マウル、クロムビ岩海岸が破壊されているなかで、海軍基地建設反対運動に連帯する国際社会の動きが活発だ。コスタリカにある国連傘下の国際高等教育機構である国連平和大学(ユーピース)教授・学生・職員など26ヶ国出身の45人は韓国政府に済州海軍基地建設中断を促す動画を製作し、去る9日ユーチューブに上げた。 この動画で去る2000年ユネスコ平和教育賞受賞者であるトゥ スウィヒン名誉教授は「全世界人類の大切な自然遺産であり天恵の生態宝庫である済州道を守ってほしい」と促した。動画はこの大学の平和教育修士課程に在学中のムン・アヨン、チョン・セヒョン氏が企画・製作した。


 米国平和在郷軍人会所属エリオット アダムス前会長ら3人は来る13日、江汀マウルを訪問して村住民たちの闘争を支持し連帯の意を伝える予定だ。江汀マウルには外国人2人が留まっており、海軍基地反対運動を共にしている。英国の平和・環境活動家であるエンジ ジェルター(61・女)は去る9日の発破作業を阻み、クロムビ岩海岸に入って連行されもした。 昨年6月から江汀マウルで過ごし海軍基地反対闘争を国外に知らせているフランス国籍のベンジャメン モネ(32)は去る7日、カヤックに乗ってクロムビ岩海岸進入を試みもした。

 一方、統合進歩党青年比例代表候補であるキム・ジユン氏の‘海賊基地’発言に対する論難が起きるや江汀マウル住民と平和活動家が乗り出し、キム候補に対する攻撃中断を促した。 ムン・ジョンヒョン神父らは10日声明を出して「‘海賊’という表現は軍事基地建設を強行する李明博政府と海軍当局に対する鬱憤混じりの叫びで、この間 江汀マウル住民たちと活動家が使ってきた」として「キム氏を攻撃するのは‘海賊’表現でケチをつけて済州海軍基地建設反対世論を糊塗しようとするもの」と批判した。 済州/ホ・ホジュン記者、パク・ヒョンジョン記者 hojoon@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/area/523017.html 訳J.S

済州・江汀は美港になるであろうか?拭い去れない火薬の臭い…

2012年03月11日 | 東北アジアの平和
写真ー2009年3月11日,韓米連合キリジョルブ/鷲演習参加のため釜山に入港した米核推進航空母艦ジョン ステニス号. [資料写真-統一ニュース]

★李時雨氏が統一ニュースに久々の寄稿、それも済州・カンジョンの爆破後に急いで書き上げたようだ。
写真作家、平和運動家、そして韓半島非武装地帯の案内人であり軍事問題に詳しい彼が、この状況をバッサリときって見せた。そこに見える為政者の意図は…。N


※例によって少し長めの文、ハングルの不自由な方は翻訳機能をご利用ください。

http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=97817

福島 終わらない災難-核廃棄物貯蔵庫 7年半で満杯

2012年03月10日 | 東北アジアの平和
★明日3月11日は東日本大震災1周年、ハンギョレの関連記事を転載する。N


[福島 終わらない災難] ③

永久未解決、核廃棄物 日本 核廃棄物貯蔵庫 7年半で満杯…"トイレのない家を建てた"


                    原文入力:2012/03/08 23:39(2562字)


 日本、本州の北東端、斧の形をした下北半島には一年を通して風が強く吹き、冬には雪も多く降る。 第2次世界大戦が終わった後、未開拓地に来た人々がこちらに根をおろし、貝の養殖をしたり乳牛を育てて暮らしている。 霊験あらたかな山として有名な恐山の寺には全国から観光客が多数訪れる。

"昨年は観光客が急に途切れました。"

 36年間こちらでタクシー運転手をしてきたというイシダ カツマサは 「昨年が最も苦しかった」と話した。 3・11大地震と福島原発事故はここまで大きな影響を及ぼした。


 去る2月27日、タクシーが記者を下ろしたところは半島のまん中のくびれた部分にある むつ市の東側海岸。 工事現場の垣根の向こう側では掘削機1台が1mを超えて積もった雪を押し出していた。 東京電力が80%を出資した‘リサイクル燃料保存株式会社’の使用済み核燃料中間保存施設工事現場だ。 福島事故以後、日本のすべての核施設工事は中断されたが、こちらは3月中に最も早く工事を再開する。 東京電力の尻に火がついたためだ。

←去る2月28日、日本、青森県、六ヶ所村再処理工場広報センターより眺めた工場煙突から水蒸気がたなびいている。工場周辺には計77基の風力発電機が設置されている。

 使用済み核燃料は100万kW級原子炉1基を1年間稼動すれば30tほどが出てくる。 それこそ放射能の塊りだ。 日本の電力会社はこれを原子力発電所内に保管しているが、余裕空間が全くなくなっている。 東京電力の場合、2010年9月現在で、3ヶ所の原子力発電所に5160tの使用済み核燃料を保管している。 保存空間の余裕は1210tでかろうじて3年半分だ。 そうした中で福島第1原子力発電所で事故が起き、使用済み核燃料を移す空間が急に必要になった。 東京電力はむつ市に3000tを保存できる建物を先に作り、追加で2000t規模の施設を作る予定だ。 使用期間は50年だ。

 スーパーマーケットを営むモトキ ボトク氏は「原子力発電所ではないから大丈夫じゃないんですか?」と今は仕方ないと言う風に話した。 その一方で彼は「六ヶ所村再処理工場や(プルトニウム燃料を使う予定の)大間原子力発電所はちょっと心配だ」と言葉を濁した。 二ヶ所ともむつ市から40kmしか離れていない場所にある。

 日本の電力会社の中で使用済み核燃料の中間保存施設を作っている所は東京電力(日本原子力発電が20%を投資)だけだ。 9ヶの電力会社全体として見れば、2010年9月現在で原子力発電所に1万3530tを保管していて、7年半の余裕しかない。 急いで保存施設を確保できなければこれ以上原子力発電所を稼動することもできない状況だ。東京電力は運が良かった。 財政事情が悪く冬になれば除雪作業さえまともにできないむつ市が2005年にこの施設を作ることを許諾した。 むつ市はその代価として60年間にわたり計1000億円(約1兆4000億ウォン)を受け取ることになる。 他の電力会社らは‘再処理工場’に一縷の期待をかけている。

9ヶの電力会社の中で東京電力だけが追加保存施設 建設中
一縷の期待 再処理工場、18回も竣工延期
稼動すれば汚染憂慮… "廃水濃度 原発の2700倍"

 2月28日午前、六ヶ所村使用済み核燃料再処理工場広報(PR)センター入口のガラスドアには1992年に開業したこちらに‘来館客200万人突破’を知らせる文書が貼られていた。こちらでは再処理工場とウラニウム濃縮施設など六ヶ所村の核施設を全て見ることができる。 広報館まで建ててこのように安全性を広報するのは、それだけ多くの憂慮を買っていることを傍証する。 案内員は「修学旅行客など月平均9万人が寄って行く」と説明した。

 電力業界が共同出資した会社である日本原燃の再処理工場は使用済み核燃料からプルトニウムとウラニウムを抽出してリサイクルし、高濃度廃液をガラスと合わせて固体の塊りにする所だ。 抽出したプルトニウムを核燃料として再び使い高水準核廃棄物の量は減らすということが目標だ。 しかし思い通りになってはいない。 1993年に着工し当初2005年に竣工する予定だった工場は、その間各種の事故で18回も竣工が延期された。 今年初めにも溶融炉を稼動して再び事故が起きた。 建設費も当初予想額の3倍に増えた。 反原発調査研究機関である原子力資料情報室の澤井正子氏は「再処理は中世の錬金術みたいな話」だと指摘する。

 工場の稼動に成功してもその過程で汚染拡散、事故危険を心配する声も絶えない。 再処理工場は本格稼動を始めれば年間18,000兆(テラ)ベクレルの液体トリチウム(三重水素)をはじめとして多くの放射能物質を海と大気に放出する。‘三陸の海を放射能から守る岩手の会’の永田文夫幹事は「試験運転中の2007年だけで75回にわたり原子力発電所廃水の平均濃度の560倍にもなるトリチウムを含有した廃水が工場から流れ出た」として「本格操業を始めれば廃水濃度が2700倍に高まる」と話した。さらに心配なのはプルトニウムなどを抽出してセシウムなど放射性物質だけが残った廃液の流出事故だ。永田氏は「2006年3月から約2年半ほど試験稼動した六ヶ所村工場にすでに240立方Mの廃液が貯まっている」として「その中に入っているセシウムの量だけでも福島原発事故で流出した量の57倍に達する」と憂慮した。

 ‘死の灰’を抱いた核廃棄物を片づける所がなく、それを再処理するという計画はより大きな危険を抱いているという日本の原子力発電所産業の現実に対して、日本の市民運動家は「トイレのことを考えずに家を建てた」と指摘する。‘親環境’で包装された核発電の恐ろしい後ろ姿だ。 六ヶ所村・むつ市(青森県)/文・写真 チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/522704.html 訳J.S

韓半島平和フォーラム新年大討論会ーキムジョンウン体制と韓半島の進路

2012年02月28日 | 東北アジアの平和

★懐かしい人物の出演に、飛ばし読みしたが…。あまりにも膨大な内容に圧倒され訳には取りかかれなかった。

丁世鉉氏の語り口は、相変わらずの軽やかタッチ。堅い講演、討論会でも笑いを取るすべを心得ていらっしゃる。

タイトルは

ーキムジョンウン体制と韓半島の進路

韓半島平和フォーラムの共同代表・白楽晴氏が開会の挨拶をした。林東源先生の姿がないのは少々さびしいが、「失われた10年」(所謂金大中、ノムヒョン時期を指すー現政権側の表現)を支えた統一部長官経験者、学者らの発言には、迫力があり重みもある。 N

http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6573

 


憲法裁判所ー'インターネット上での「政治的意思表現禁止」は違憲"

2012年01月07日 | 東北アジアの平和

★昨年こんなニュースが載った。当ブログにも関連する憲法判断だが、現政権でこの判断がどう解釈され実行されるのか。韓国の2012年は、選挙の年。この憲法判断が、今後どのような影響を及ぼすのか、見守りたい。 N

 

 

                             SNS選挙革命予告

 

    憲法裁判所'インターネット媒体を通した政治的意思表現禁止条項、限定違憲"、と判断

 

                                         2011-12-30 CBSイム・ジンス記者

 

 

 

憲法裁判所がインターネット媒体を通じて特定候補者支持や反対意見を表現することを禁止した選挙法条項に対し限定違憲と決定、来年度(2012年)総選挙と大統領選挙において、ソーシャルネットワークサービス(SNS)選挙革命の可能性を示唆した。

 

憲法裁判所は29日、インターネット媒体を通じて特定候補者支持や反対意見を表現することを禁止した選挙法条項を、限定違憲だと判決した。 インターネットを通した政治的表現の自由が、過度に制限されてはいけないという判断だ。

 

これに伴い、来年度総選挙と大統領選挙ではツイッターやフェイスブック、ブログ、eメールなどインターネットを通した選挙運動が自由になる。 こうなればSNSをはじめとするインターネット選挙運動が、今後選挙構図を決める重要な変数に浮上することが予想される。


“ナコムス”ニューヨーク公演-"カカがキラー? 私たちがカカキラー?"

2011年12月08日 | 東北アジアの平和

★第一報がオーマイニュースに載った。以下、ほんのさわりの部分だけ紹介する。 N

“ナコムス”ニューヨーク公演


                                               "カカがキラー?  私たちがカカキラー?"


                                                                       11.12.08 チェ・キョンジュ


"身辺の危険をどの程度受けるか?",
"カカがキラーを向けたことがあるか?"

この質問にナコムス進行者のキム・オジュン<タンジ日報>総帥は

"身辺の脅威は考えない、国家機関が管理してくれると考える。 …私たちの対話内容を実際大統領府がそのまままねる。 盗聴にあっていると考えるが、別に心配しない。"

続いてキム・オジュン総帥の返事は、もう少し具体的だ。

"何かあった時に盗聴をするのではない。 24時間盗聴している。 国家機関に声を知らせたい方々は、私に電話をしてください。(笑い)
明け方に番号の思い当たらない電話がきたりもする。 '夜道、気を付けろ'、と。
 そう言われなくても私は(夜目が悪くて)夜道には気を付けている。"

会場の450人余りが、一斉に手をたたいて、爆笑!
'身辺の脅威'に関するコワい話なのに、全く深刻性がない。


▲去る6日夜10時40分頃(現地時間)、ニューヨーク、マンハッタンで
ナコムスの第一声が、こんなやり取りから始まった。まさにギャグコンサートを見るように... 。
政治に全く関心のなかった市民が、 期待していたより面白かった、何かをしなければならないと思った、と感想を漏らす。

以下略

 


民族の未来・ 朝鮮族出身ソウル大教授の3代

2011年11月24日 | 東北アジアの平和

[朝鮮族大移住100年]<2部>④民族の未来 朝鮮族出身ソウル大教授の3代

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23cho1原文入力:2011/11/22 20:48(4541字)


←ソウル大 初の朝鮮族出身 カン・グァンムン教授


カン・グァンムン(38・写真)教授はソウル大 初の朝鮮族出身教授だ。慶北(キョンブク)に根を置いた彼の先祖は日帝時に中国、遼寧省に渡り吉林省鷹河口に定着した。 民族学校に通った彼は中国の名門 北京法大を卒業し、日本に渡り東京大学で修・博士学位を受けた後、今年初めソウル大法大教授として任用された。 彼が経た東アジア3国は今日の朝鮮族を鋳造した。彼が考える朝鮮族の未来を‘1人称’話法で再構成した。

23cho0ディアスポラの夢‘超国籍民族共同体’


地図を広げて指先に辿ってみる。慶北霊泉(ヨンチョン)、大邱(テグ)、ソウルをすぎて平壌(ピョンヤン)へ、新義州(シンウィジュ)を経て中国、瀋陽まで。 なぞっていく指でさえめまいがする。その遠い道をどうやって来たのだろうか。「汽車に乗ってきただろう。」祖母はそう答えた。大人たちに手に引かれて満州へ向かった12才の少女は車窓の故国の風景の代わりに巨大な汽車にだけが心に残っただろう。


少女は満州で娘に育ち同族の男性と結婚した。食べ物が無尽蔵だと聞いて故郷を後にしたが、夫婦の暮らしはとても厳しかった。吉林省と遼寧省の広い土地を移動しながらいつも新たに畑を耕した。「手を動かさなくては何も得ることができなかった」祖母は私に話した。「学ぶことが最も重要で。」祖父も私に話した。地べたに這いつくばるようにして生きてきた彼らは私に土地を離れるように言った。土地の束縛から抜け出しなさいと。


私は汽車に乗り故郷を離れた。北京大で法学を勉強した。日本の東京大で修・博士学位を受けた。 去る3月ソウル大法大教授として任用された。 瀋陽、北京、東京を経てソウルまで。 遠いその道程で私はどこにも属しなかったがすべての所に属した。私は緊張し葛藤する東北アジアで一生を流浪して代を引き継ぎ漂った。民族・国家の境界を行き来しながら民族・国家の束縛に対する思いが深まった。


もし生きておられれば祖母はこう言っただろう。「私たちの孫、立派だね。」 2005年1月10日午後8時41分、祖母は最期の息をひきとった。吉林省の兄弟が東京の私に電話で便りを伝えた。私は号泣した。 祖母が故国を離れその孫が故国に帰ってくるまで70年余りかかった。帰ってきて座っているとその時期が深く胸にしみる。


私、カン・グァンムンはソウル大初の朝鮮族教授だ。
慶北出身の祖父母は日帝時に中国、吉林省に渡り歴史の荒波の中で民族教育をした。


祖母の故郷は慶北霊泉、祖父の故郷は慶北安東(アンドン)だ。異郷万里にきても朝鮮族は血のルーツを探して百年佳約を結んだ。慶北出身の夫婦は八人の子供をもうけた。彼らはそれぞれ別の村で生まれた。 私の父その兄弟の故郷はすべて違う。 それは大騒ぎの歳月だった。


1950年代‘大躍進運動’とその後に続いた大飢饉、60年代の‘文化革命’に至るまで祖父と祖母は生き残るために繰り返し土地を移動した。 その時期を体験した朝鮮族は往事を口にしない。 直接体験しなければとうてい共感できないものがあることだ。 祖父は孫の私に過去の代わりに未来を語った。 学んで身につけることがどれほど重要なことかを説教した声が今も耳に残っている。 安定した土地で孫が暮らせることを祖父は切実に期待した。
若かりし頃、祖父は国民党と相対して戦った‘中国解放戦争’に参加した。後に中国共産党にも加入した。 理念が先であり、民族はたいしたことでなかった。それが全てではないということを祖父は文化革命の時に知ることになった。 中国政府は北韓・南韓とは異なる‘中国人朝鮮族’のアイデンティティを祖父に付与した。 民族意識が強かった数多くの朝鮮族が共産党から‘闘争’(公開批判)を受けた。地方末端公務員だった母方の祖父も闘争の威嚇を避け遠く黒龍江省に引っ越した。「私たちの祖国は中華人民共和国だ。」朝鮮族学生たちが勉強する中国語教材の冒頭に今も記されている。


祖母は中国を祖国だとは考えなかった。それでも中国に感泣した。「よその国に来てこのくらい豊かに暮らせるんだな。」 祖母は感激まじりの声で話したりした。建国直後の中国は朝鮮族全員に土地を分けてくれた。日帝・漢族土匪・国民党、さらには朝鮮の地主らもそのようにはできなかった。 後に土地を国有化したが、80年代以後には再び土地を分配した。中国は‘よその国’だが故郷を離れた異民族に生きる道を開いてくれた‘有難い国’でもあった。 朝鮮族が中国が好きなのは理念ではなく土地に対する感謝だ。そのような理由を理解していない一部の韓国人は朝鮮族を共産党側だと追い詰める。歴史を知らぬが故にむやみに悪口が出てくるということだ。


祖父・祖母世代は中国政府が提供した土地を基盤に民族教育を始めた。朝鮮族は漢族よりさらに熱心に耕し、さらに多くの収穫を上げた。その金で延辺(ヨンビョン)大学を作り、ハングルで書かれた民族新聞を発行した。日帝強制占領期に国外へ移住したのは米国・日本の同胞も同じだったが、自治・教育・言論であまねく民族共同体を作ったのは朝鮮族だけだ。


23cho2←‘複合的コリア共同体’を形成し朝鮮族を通じて我が民族が国境・国籍を越えて東北アジアの中心になることができると信じる。


私は高い教育熱のおかげで北京大を卒業し東京大で博士学位を受け韓国にきた。
70年ぶりに祖父母が離れた故国に帰ってきたのだ。


私はその熱気の中で育った。吉林省梅河口(メハグ)朝鮮族第11中学校時期、先生たちの関心事はひたすら勉強であった。 私たちは反復される試験に夢中になった。先生は‘競争の冷酷さ’、‘人生の失敗’を挙論して幼い私たちを急き立てた。すでにその時から私たちは漢族と妙な競争を行なっていた。私たちは彼らより、さらにできなければならなかった。 すべての民族学教はどの漢族学校より教育熱が高かった。


私たちは韓国語・中国語・日本語を全て習った。偏らずにすべての言語を習得するまで先生は苛酷なほどに私たちを圧迫した。彼らは私たちが特定言語に限定されて育つことを願わなかった。全く新しい生活を送らなければならない幼い朝鮮族の運命を彼らは予感したのだろう。 朝鮮族はいかなる為替危機にも屈しない。 私たちの祖父がそうしたように私たちも迫り来る時期を勝ち抜かなければならなかった。 私たちの‘超国籍アイデンティティ’はとうとうたる‘民族的自負心’の上に形成された。


東北アジアで一生を流浪し代を引き継いで漂った。

朝鮮族は100年間に進行された民族分散を今や新しい共同体に進化させたい。


入試地獄に耐え抜いた私は北京大法科大学に入学した。その時初めて私は東北に集団居住していた朝鮮族の限界を見た。朝鮮族の大学生は概して無知だった。ただ大学入学が目的だっただけで、大学で何をどのようにするのか悩んでみたことがなかった。それは私たちと私たちの両親の水準を越える質問だった。 世界は東北はもちろん中国より広かった。


その頃、故郷では異常事態が始まった。民族学校は予想できなかった方式で早く壊れた。学生が不足し門を閉める学校が出てきた。 生き残った学校の地位と水準も急激に墜落した。 朝鮮族が新たに進出した大都市には民族学教がなかったり、あっても私立学校だけだった。 公立民族学校とは比較にならないほど劣悪な環境だった。


民族アイデンティティに対する懐疑も大きくなった。この頃、若い朝鮮族の両親たちは中国主流社会で豊かに暮らすことを目標にしている。何のために朝鮮族アイデンティティに固執するのかという考えが広まっている。それは民族に対する離反ではなく主流に対する劣等感だ。朝鮮族は中国現代史のすべての局面ごとにとりわけ積極的に参加した。母方の祖父は抗日戦争に参加したし、祖父は国共内戦に加担し、従祖父は韓国戦争の戦線に出て行った。さらに産児制限まで朝鮮族は漢族より熱誠的に参加し朝鮮族の人口自体が減った。その土台には中国内少数民族の劣等感がある。少数は変化に敏感だ。そうでなければ絶滅するからだ。


今の朝鮮族の若い両親たちは劣等感から子供たちを解放させようとしている。中国の少数民族に留まらず世界の舞台で自由に能力を発揮する夢を見ている。中国はその舞台に向かう土台となる。中国の地位が高まっている。世界的水準の大きな変化を全身で乗り切ってきた朝鮮族にとって‘G2時代’はただ事ではない。


‘複合的コリア共同体’を形成し
朝鮮族を通じて我が民族が国境・国籍を越え
東北アジアの中心になることができると信じる。


朝鮮族大移住のために中国東北地域の朝鮮族民族共同体が急激に流失している。 その結果、先祖が切り開いた東北3省の根拠地を失いかねず、朝鮮族自体が消える恐れもある。ただしそれを肯定のエネルギーに変える機会が残っている。 朝鮮族が世界各地に進出し小さいながらも新しい民族共同体を作り、緩いが地球的なきずな関係を作ることができないだろうか。


それは去る100年余りの間に進行された韓民族の分散を巨大で新しい共同体に進化させることでもある。中国居住韓国人は80万~90万人だ。日本にも在日同胞社会がある。 移住朝鮮族が韓国人・在日同胞などと交流し‘複合的コリア共同体’を形成することができる。 その夢は南北問題にまでつながる。北韓が門戸を開ければ吉林省延辺に韓国人と北韓人が集まるだろう。若い朝鮮族らも中国東北地域に再び集まるだろう。 延辺は中国沿海・内陸大都市を追い抜く東北アジアの中心都市になるだろう。


朝鮮族は国境・国籍に規定される近代国家のアイデンティティを根本的に揺さぶる。 国籍がなぜ当然のことなのかという問いを朝鮮族がすでに投じている。民族国家の固定観念を朝鮮族を通じて押し倒すことができる。朝鮮族は国境や国籍に関係なく新しい文化を作りながら、各国にいる私たちの同胞らと同じ民族というアイデンティティを維持している。 朝鮮族を通じて私たちの民族は東北アジアの中心になることができる。


すでに遅れてしまった見込みのない夢でもありうる。今、東北には人がいない。 朝鮮族ディアスポラ(大移住)が葛藤する東北アジアに新しい活力を吹き込むまでには解かなければならない課題が多い。その責務の一部が韓国人たちにもある。私は今本を書いている。 30代朝鮮族の韓国定着記だ。年末に出版される予定だ。 韓国人が私たちを通じて新しい未来を見てくれればうれしい。 土地を求めて四方天地を流浪して、土地の束縛から抜け出すために再び異郷万里を漂った私たちは朝鮮族だ。<終わり>


文・写真ユ・シンジェ記者 ohora@hani.co.kr


原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/506663.html 訳J.S★


ある在日中国朝鮮族の物語

2011年11月20日 | 東北アジアの平和

★今日は日曜日、時間に余裕のある方はご一読をお勧めします。リンク先のハンギョレサランパンに、在米中国朝鮮族に続き在日のチェさん一家の物語がつづられています。

保守はもとより進歩言論でもそんなに扱われることの無かった在外同胞についての、本格的取材に基づいた記事、転載します。 N

 

←東京の代表的な庶民の町 上野に位置した朝鮮族食堂‘千里香’にソラン朝鮮族第一中学校を卒業した同窓が集まった。左側からチェ・インウォン、チェ・ヤングク、イム・チョル、キム・オンニョ氏

1980年代末から朝鮮族の若者たちは日本に留学に出た。韓国で日雇い仕事をして金を稼ぐ朝鮮族の両親たちが子供の留学費用を作ってくれた。現在日本には5万3000人余りの朝鮮族が滞留している。 その内33%が留学生だ。 日本で就職した人は27%だが、相当数は留学直後に現地で働き口を得たケースと推定される。最高学歴のエリートが日本滞留朝鮮族の主流をなす。韓国滞留朝鮮族の大多数が日雇い労働に従事していることと比較される。 中国東北地域で農業をした朝鮮族1世代、外国に出て下層労働を担当した2世代に続き、修士学位以上の高学歴に韓国語・中国語・日本語に全て堪能で世界を自分の舞台としようとする朝鮮族3世代が登場したのだ。

19HI0‘スメバ ミヤコ’。チェ・インウォン(33)氏は中国朝鮮族学校でその言葉を習った。 正しい意味は日本に来て悟った。‘自分が住む所が故郷’または‘なじめば故郷’という日本のことわざだ。 今のチェ氏の心情だ。 大地震の恐怖さえ東京を離れる理由にはならなかった。 東京は暮らしながらなじんでしまった彼の2番目の故郷である。


勉強のできる朝鮮族の青年たちは中国の大学を卒業して日本留学に出る。
韓・中・日語が可能だから日本では出世の道が開かれる。


彼は中国、吉林省、ソラン市の農村の村で生まれた。韓国に行った未亡人の母が彼の学費を作ってくれた。北京交通大を卒業した後、日本の横浜国立大で修士課程を終えた。 日本最大の生活用品製造業者に就職し中国輸出業務を受け持っている。 中国国籍の本社職員はチェ氏一人だ。 会社は日本人の入社同期を抜いて彼を一番最初に係長に昇進させた。 民族差別はなかった。 むしろチェ氏を配慮した。 去る3月の大地震直後、会社は被害復旧のために非常事態になった。 それでも日本人の部長はチェ氏の休暇を許した。「分かったよ。 行って来いよ。」 一人息子を心配する母親に会いに韓国に行ってくるというチェ氏の話に躊躇なしに答えてくれた。


日本は彼に全てのものを与えた。 韓国は違った。 母親に会いに正月や秋夕(チュソク)の時に韓国に行けばタクシー運転手からしてチェ氏を無視した。チェ氏の話し方は韓国人と違ったし、そのようなチェ氏をタクシー運転手はためらいなく無視した。「今後も韓国で仕事をするつもりはありません。 私たちの両親が韓国で蔑視されたことを考えれば韓国には行きたくもないし。」 早くに父親と死別したチェ氏にとって‘私たちの両親’とは朝鮮族の壮年層全体を意味する。彼は‘差別’ではなく‘無視’という単語を選んで繰り返し力を込めた。 朝鮮族の歴史的・文化的自尊が韓国人により傷ついたという意だ。


チェ氏は来年には日本永住権を受け取る。 韓国で家政婦として仕事をしている母親も日本に迎えるつもりだ。 100年前、日帝によって満州へ強制移住させられた朝鮮族の子孫は今は日本で心の平和を得ている。


歴史は時に逆説の人生を産む。中国人は中等学校で英語を習う。中国東北地域の朝鮮族学校だけが日本語を第1外国語として教える。日帝侵略と満州国時期を体験した朝鮮族の中には日本語を駆使するエリートが多かった。 中国建国以後にも彼らが民族教育の一つの軸を担当したし、その脈は今も続いている。日本語は韓国語と文章構造が同じだ。 朝鮮族の学生は漢族の学生よりはやく日本語を覚える。


中国東北の朝鮮族農村の村に閉じ込められていた日本語使用者は1980年代に新たな転機をむかえた。 80年代初期に執権した中曽根康弘日本総理は‘留学生10万人誘致政策’を推進した。 日本の知的・文化的影響力拡大を念頭に置き、アジア各国の学生に留学の門戸を開放した。 日帝統治から始まった朝鮮族の日本語の実力は日本保守政治家の政策によって花開いた。 朝鮮族重点学校(成績上位学生たちだけが入学する名門学校)卒業生の半分が日本に進出する事態まで起きた。 日本留学は勉強のできる朝鮮族学生たちの夢になった。

小平はそのような朝鮮族エリートらにエンジンを付けた。文化革命以後、事実上廃止された中国の大学入試が1978年の改革・開放政策と共に復活した。出身成分などにより決定されていた大学入学機会をすべての中国人に開放したのだ。 ただ少数の学生だけが延辺(ヨンビョン)大など民族大学に進学できた朝鮮族は北京・上海など内陸の中国名門大に視線を転じた。


すでに彼らの教育熱は中国56ヶ民族の中で最も高かった。延辺(ヨンビョン)朝鮮族自治州の場合、1952年に小学校,1958年に中学校を義務教育化した。 1950年代に民族大学3ヶ所の設立を終えた。 今でも民族別人口比で見る時、朝鮮族の大学生が漢族の3倍、他の少数民族の5倍を越えている。 子供を民族大学または、中国内陸大学に進学させた後、日本に留学させるのは80年代中盤以後すべての朝鮮族両親の夢になった。


チェ氏とともに吉林省ソラン朝鮮族第一中学校を卒業した80余人の中で15人が日本へ留学したり就職した。(表参照)その中の1人のチェ・ヤングク(33)氏はソラン朝中理科班を卒業した。超中(中学校)・高中(高等学校)の間、ずっと日本語を習った。それは日本企業に就職する上で決定的に役立った。 吉林省で大学を卒業して3ケ月後に日本の情報通信企業に就職した。 中国、大連にある支社で2年間仕事を学び東京の本社に移ってきた。


日本企業にとって朝鮮族は‘高級人材’だ。 1990年代から中国投資を始めた日本企業は日本語と中国語に堪能な人材を求めた。 朝鮮族エリートがそれに応えた。 「高中(高等学校)を終えた朝鮮族の上昇欲求が制度的障壁で詰まっていたが、中国に投資した外国系企業がその道を開けた」とパク・グァンソン中国北京中央民族大教授は分析する。


日本朝鮮族5万3千人の内33%が留学生で大多数が日本での就職に成功している。
「蔑んで無視する韓国では仕事をするつもりはありません。」


日本企業の賃金は中国はもちろん韓国企業よりはるかに高い。チェ・ヨングク氏は現在、約500万円(約7300万ウォン)の年俸を得ている。 中国、天津の韓国大企業中国法人で課長として仕事をする2才上の兄より年俸が高い。日本滞留9年目の今年の初め、チェ・ヨングク氏は3500万円の‘マンション’(高級アパート)を購入した。東京西郊の相模原のマンションは妻と3才の娘が一緒に暮らすに充分だった。一生、農作業をしていた両親とともに暮らした吉林省ソランの古い田舎の家とは比較にもならない。


吉林省の農村の村の田舎の家から東京郊外のマンションへ向かう中間に韓国がある。中国と日本で同時多発的に開かれた身分上昇の機会を握るためにはお金が必要だった。朝鮮族が農業で稼げる所得は今でも年間3000~4000中国元(約54万~72万ウォン≒5万円)程度に過ぎない。 80年代中盤から始まった朝鮮族の‘韓国ブーム’は日本または中国内陸大都市に子供を留学させようとする苦闘でもある。 日本で会った朝鮮族留学生の大多数の両親は相変らず韓国で仕事をしている。


朝鮮族の未来を担った‘日本留学派’がまだ解決できていない問題がある。日本が彼らに提供した機会は多いが、しっかりと定着するにはまだ足りないことがある。 東アジア3国が朝鮮族に上書きした‘ガラスの天井’がある。ソラン朝中卒業生のイム・チョル(34)氏は中国最高の名門 北京大で政治学を専攻した。 学科の漢族同窓は大部分が公務員になった。 イム氏は日本留学を選んだ。 中国は‘関係・人脈'が支配する社会なので朝鮮族公務員の限界が明らかだと考えた。 イム氏は日本の早稲田大学で政治学修・博士学位を受けた。


朝鮮族エリートが中国最高権力側に接近できない歴史の根は深い。1930年代‘民生団’事件の時、中国共産党は朝鮮族民族主義指導者らを日帝のスパイに追い立て粛清した。 1960年代‘文化革命’時期には抗日運動家出身の朝鮮族指導者が改良主義者にされて大挙粛清された。 以後、数十年間、賢い朝鮮族の若者は文科の代わりに理科を選んだ。 チョン・シンチョル中国社会科学院教授は「中国の他の少数民族とは違い朝鮮族には‘領袖人物’がいなくて、民族のエリート集団が形成されえなかった」と分析した。 民族の運命を切り開く政治的指導者グループがなかったという意だ。


しかし企業分野を別にすれば日本の高位層もやはり異民族には排他的だ。イム氏は先日、一緒に北京大を卒業した朝鮮族の友人に会った。 彼は日本で弁護士試験に合格し日本最大規模の法律会社で仕事をしている。 成功街道を走っているとばかり思っていた友人は苦々しい顔で話した。「いくら熱心に仕事をしても(法律会社の役員級弁護士には)絶対に上がれないのだ。」彼の年俸は同じ経歴の日本人弁護士の半分にも達しなかった。


そして韓国. 彼らの先祖の本来の故郷である韓国は日雇い労働に疲れた彼らの両親をむやみに蔑む国であることを朝鮮族最高エリートは骨の髄まで深く知っている。

世界を舞台とする朝鮮族3世の面倒見は
韓国で金を稼ぐ両親たちの役割だ。
彼らの夢は‘子供の成功’だ。


東京のある研究所で仕事をするイム氏はこの頃、大学教授の席を探している。日本の大学に固執するわけではない。 彼は韓国語・中国語・日本語・英語に堪能だ。 どこの国に行っても関係ないと考える。 どうせ帰る故郷はない。 日本に進出した15人のソラン中同期の中で8人が中国に帰ったが、故郷の吉林省ソランに定着した友人は一人もいない。 彼らの両親もやはりソランの農村の村を離れて久しい。


その村には思い出が宿っている。 子供たちはこちんこちんに凍りついた川でソリに乗って石を独楽にして疲れるまでふざけた。しかしもう青年になった彼らは思い出だけでは生きられない。 故郷の村には働き口がない。


東京/文・写真ユ・シンジェ記者 ohora@hani.co.kr


原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/506172.html 訳J.S