今年の1月27日のブログ、「軒下の、黒い居候」で紹介した猫のクロちゃんが、本当に久しぶりに姿を見せました。見なくなって2カ月くらい経つのかな。数日前、その場所でフゴーフゴーと威嚇するような声がしたので、縄張り争いかを思っていた。当然、わが家の殿は、フニャーフニャーと騒ぎまくっている。で、次の日は4月なのにとっても寒い日だった。クロちゃんは、妻が用意した箱の中で、日中はずーっとじっとしていた。その時は、わからなかったんだけど、次に日に動き回るクロちゃんを見て、すっげーガリガリにやせ細っていた。姿を見せない間、あんまり食べていなかったのか。ん、ん、ん?ということは、妻が椀に入れていたご飯は、普通に減っていたんだけど。誰が食べたのかい。ま、いいっかー。
やせ細った姿を見ると、さすがにノラ猫の生存の厳しさがわかるというものです。それに引き換え、人間は、抵抗も出来ない幼児を虐待して、死に至らしめる者までいる。猫や犬が、我が子を虐待なんて聞いたことがないからね。さらには、ひきこもりさんが、ネットを止められたことを腹いせに、家族を殺傷している。愚かなことだ。いや、もはや愚かと言うこともわからない、人間以下の存在でしかないのかもしれない。ノラ猫だって縄張り争いで、相手を傷つけることもあるだろうけど、決して殺すことはないはず。そりゃね、鳥とか、カエルとか、ネズミは捕獲時に殺しちゃうこともあるだろうけど。そういえば、わが家の殿ちゃんはカエル取りが得意で、岡山時代はよく取ってきたそうな。そして、取ってきたカエルをご主人に見せびらかす。ところがそのカエルは失神しているだけで、殿がご主人の前にカエルを置くと、気が付いたとばかりピョンピョン跳ねて逃げだそうとする。ご主人の娘さんは、カエルが大嫌いで度々大騒ぎになったそうな。そんなわけで、クロちゃん、わが家の軒下ではあるがゆっくりしなよ。
ところで、人間の話ですが、文明や文化が進歩して、なんでもかんでもが便利になっていますが、その分だけ人間の本質が、精神というか心が、人を思いやるやさしさが、退潮しているような。物だって、経費削減、効率追求で、粗悪な物が溢れている。じっくり、心を込めて、仕事をする。そんな人や生産過程から生まれたものが少なくなっている。デフレで、物の価値が下がっているけど、同時に仕事の価値が下がって、心まで削られているとしたら、悲しいことです。