5月26日 金曜日
こんばんは。 酒好きの思想家です。
一流と二流について考えてみたいと思います。
1、無中になって想起する者が一流。 我欲に囚われ衝動的な行動をする者を二流。
2、内なる神と大いなる神とを融合させることが出来る者を一流。 神頼みで心ここに非ずが二流。
3、社会貢献に命を懸けられる者は一流。 現実から逃げ出す言い訳を思いつく者が二流。
なぜかと言うと、
偉大な功績とは自らの力だけでは成し得ず、到達できないものだからである。
芸術にせよ、一流のスポーツ選手にせよ、大企業にせよ、
一流の人たちはみな、自らの力を超えた何かの力によって幸運を得ていると気づいている者だからである。
したがって、独りよがりであっては何事も上手くは行かないし、準備不足と言う訳である。
私たちの長所とは、自らを助ける為にあるのではなく、多くの人に貢献する為にある。
実際、短所では多くの人を同時には助けられないからである。
長所というものは、自らを放れなければ得られないという、なんと合理的なシステムだろうか。神業である。
だから、どんなに頑張って自分探しを続けていても長所がいつまでたっても見いだせないのは、自らのことしか考えられない子供だからである。
テロ行為も同様、二流の行動と言える。一流は自らよりも弱い者を無差別に殺したりはしないからだ。
もし仮にテロを企てるのなら、自らよりも強い者を標的にする。例えば鬼退治に行くなどがよい例だ。巨人ゴリアテの右足にしがみ付くのがよい例だ。
なぜ、テロが起きるか考えてみると、
現実があまい社会、現代があまい世界だからと考えられる。
なぜなら、現実が厳しければテロどころの話ではないからだ。つまり社会のバランスである。
このバランスが乱れると悪事が多発すると考えるのである。
では、どうすればいいのか。
この世が地獄だと認識すれば全ての問題のカギが見えてくる。
私たちは地獄に堕ちていると気づけば全ての理不尽も謎が解ける。
世界中のインテリたちの頭の中もスッキリすることだろう。
現実から目を逸らさない者が一流。見たいものしか見ない者が二流。
つづく。
こんばんは。 酒好きの思想家です。
一流と二流について考えてみたいと思います。
1、無中になって想起する者が一流。 我欲に囚われ衝動的な行動をする者を二流。
2、内なる神と大いなる神とを融合させることが出来る者を一流。 神頼みで心ここに非ずが二流。
3、社会貢献に命を懸けられる者は一流。 現実から逃げ出す言い訳を思いつく者が二流。
なぜかと言うと、
偉大な功績とは自らの力だけでは成し得ず、到達できないものだからである。
芸術にせよ、一流のスポーツ選手にせよ、大企業にせよ、
一流の人たちはみな、自らの力を超えた何かの力によって幸運を得ていると気づいている者だからである。
したがって、独りよがりであっては何事も上手くは行かないし、準備不足と言う訳である。
私たちの長所とは、自らを助ける為にあるのではなく、多くの人に貢献する為にある。
実際、短所では多くの人を同時には助けられないからである。
長所というものは、自らを放れなければ得られないという、なんと合理的なシステムだろうか。神業である。
だから、どんなに頑張って自分探しを続けていても長所がいつまでたっても見いだせないのは、自らのことしか考えられない子供だからである。
テロ行為も同様、二流の行動と言える。一流は自らよりも弱い者を無差別に殺したりはしないからだ。
もし仮にテロを企てるのなら、自らよりも強い者を標的にする。例えば鬼退治に行くなどがよい例だ。巨人ゴリアテの右足にしがみ付くのがよい例だ。
なぜ、テロが起きるか考えてみると、
現実があまい社会、現代があまい世界だからと考えられる。
なぜなら、現実が厳しければテロどころの話ではないからだ。つまり社会のバランスである。
このバランスが乱れると悪事が多発すると考えるのである。
では、どうすればいいのか。
この世が地獄だと認識すれば全ての問題のカギが見えてくる。
私たちは地獄に堕ちていると気づけば全ての理不尽も謎が解ける。
世界中のインテリたちの頭の中もスッキリすることだろう。
現実から目を逸らさない者が一流。見たいものしか見ない者が二流。
つづく。
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