酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

突然、思い出した。 「ヒルティの幸福論」

2020-04-16 | 文学
 4月 16日  木曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


あらゆる疑問と謎とに満ちた現生の生活に、

道理ある解決を与えられるものは、

ただ死想論による思想だけである。

ギリシャの格言には、

神々に愛される者は早く死ぬとある。

嫌われ者、世にはばかるだ。

死の問題は全ての人生問題のうち

最も重要なものであるに違いない。

これに対する我々の態度は、

人それぞれの性格をとりわけはっきりと現わしている。

また死に対する恐怖は、

あらゆる哲学のこの上ない試金石が存在する。

死の恐怖に立ち向かえない哲学あるいは、

せいぜい人生の無常についての暗い考察に導くに過ぎないような哲学、

死生観はまず実際的にも勿論たいした価値あるものではなく、

いずれにせよ、哲学としての目的を十分に満たすことはないし、

このような哲学はそれ自体すでに道理に適ったものでもない。

なぜなら、そもそも死というものが無ければ、

どうして合理的な人間的社会的状態が考えられようか。

実際、優れた人物であってもあまりにも長生きしすぎたために、

社会や人々にとって明らかに禍となった例が少なくないではないか。

死は元来、

進化の大調和をかき乱す烈しい不協和音のような禍ではなく、

それどころかむしろ一つの幸いですらある。

すなわち善と悪とが戦わなければならないような、

地上の世界がともかしも存在しうるということは、

およそ死、無くしては考えられないことである。

生死の大いなる思想なしに、

来世を信じるか否かの一点によって、

我々の人生哲学の全体が左右されるのである。

苦しい逆境はいつまでも続くものではなく、

その後、

もっと楽しい生活があるからこそ

それが出来るのとよく似ている。

それゆえ、

死それ自体はなんら恐ろしいものではない。

また、願わしからぬものでさえない。

なおも死を酷く恐れる者は、

未だ人生の正しい歩みを得ていないのであろう。

恐ろしいのは、ただ老年になって過去を顧みて

自分の生涯が全く誤った無益なものだったことを知るとき、もしくは、

赦されることのない大きな罪が山積みするのを知った場合だけである。


もういい加減、死の話も飽き飽きしてきたころだろう。

だが、これだけは知っておきたいことがある。

我々に必要なのは、

神の国の実現ではなく、

この地獄での正しい認識が何よりも重要なのだ。


あとそれとここで、

たまには一曲でも。


♬~「あの日僕にくれた 貴方の笑顔が」

♬~「生きる力と 勇気をくれたんだ」

♬~「星が見えない 孤独な夜でも」

♬~「貴方がいる ただそれだけで 強くなれる」~♬



     つづく。




コメントを投稿