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日本人に愛があるのか?

2019-12-24 | 
 12月24日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


韓国はキリスト教?であるから、

当然、隣人愛があるはずだ。

愛が無ければキリスト教徒とは呼ばれない。

重要なのは日本に愛があるかが問題だ。

新渡戸稲造の「武士道」曰く、

日本人には隣人愛の概念が欠けていると説明されているが、

冗談じゃない! とんでもない誤解だ。

日本人独自の愛とは具体的な形で表されているのである。

隣人愛と自己愛とが融合しようとするはっきりした強い愛が存在している。

それが、「義理と人情」である。

義理は隣人愛、人情は自己愛だ。

義理のしがらみ、情の綱というように、

義理は公事、人情は私事、義理は利他的、人情は利己的、

義理が忠義となり名誉であり誇りとなって愛である。

「利得にさときものは、義理にうとく候」と昔はいう。

だから日本人は高倉健が大好きだ。

「義理と人情、秤に掛ければ義理が重たい男の渡世」。

自己愛と隣人愛とでは少しばかり隣人愛が重いのである。

一風変わった愛の表現ではあるが、具体的で判りやすい。

もちろん、女性にだって「義理と人情」は存在する。

まして女性でも人情よりか義理を重んじる文化、美しい愛だ。

現代、「世間知の無い世の中だ」と言われる理由には、

「義理と人情」が薄れてゆく、愛の無い社会だと言えるのである。

極論で言えば、任侠道とは「愛」、仁義は「愛」なのである。

自信をもって言う。

日本人こそが、具体的な愛の形で溢れている社会なのだ。

他にもある。

感情を内に秘めることを美徳とする日本人ならではの

「わび」「さび」とは、感情ではなく感性であって、

世界では「アイラブユー」が感情表現となるが、

日本人は「忍ぶ恋」が感性的な愛の表現となる。

どちらが良いかは感情による判断だが、

感情だけでは善悪の判断がつかないように、

感性では共感することが日本独特の文化的な愛となる。

感情を外に表す外国と、感情を内に秘める日本との違いだ。

愛には新しい理解と現実を生み出す力としての役割を持ちうる。

事実、私たちは愛することが出来ることだけを見ている。

憎しみだって愛の一種だ。

愛についての私たちの見方は、

私たちの感情的見解と言葉のやり取りで決まってゆく。

従って、愛を口に出さなければ愛が無い人になる。

どちらにせよ、私たちの愛を認識する際の概念となるのだ。

「義理と人情」それは、

広い意味で人間の相互依存関係の具体的な構造であり、

ウィン・ウィン愛なのである。



    つづく。



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