酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

いじめ問題を考える。第7回目

2017-07-25 | メンタルヘルス
 7月25日 火曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


イジメ問題を考えている内に気づいたことは

どうやら、その根源には 「移民問題が影響している」 と気づき、

子供たちだけで解決出来る問題だとは思わずに、大人たちにこそ責任があるのだから、

イジメの課題は現在世界中で混乱を撒き散らしている移民問題を解決することだと考えるのです。


世界が大きく一つになろうとしている時代の転換期であることは認めるとして、

おそらく私たち現代人がグローバル社会に対応出来ていないのが現状であるから、

移民社会をいかに克服するかによってイジメ問題もよりたやすく解決されるのではないかと考えるのです。


一度、解かり易く二つに分類してみると、「旧市民」と「新市民」とに別けられる。

グローバル市民とポピュリズム大衆がそれである。

そして何より大きな違いは、アイデンティティーの違いであると仮定した場合、

新市民である移民たちに欠けている思想とはアイデンティティーを明確にすることだと結論付けます。

なぜなら、アイデンティティーの欠如によって「今」が一番大切で「今」しか考えておらず、

その点、ポピュリズムたちには「過去があり未来」が大切なのです。

移民たちの主張をよく分析すると、歴史、伝統、文化という「過去」がない。従って「未来」が描けない。

逆に、「旧市民」たちのイデオロギーには「感謝」が受け継がれてゆく「大いなる連鎖」にあるのである。

だから当然、政策が違ってきます。

まず重要なことは二つの考え方があるという認識なのです。

どちらが正論なのかは時代によって変化すると思われるから、

どちらを主張しても対立しか起きていない現状の中では、いつしかヘイト・差別・人権などが「まやかし」に見える。


ヘイトスピーチについて意見を言えば、

「帰れ!」 がなぜヘイトに当たるのかというと、

帰るところが無い人に向かって 「帰れ」 というのがヘイトスピーチであって、

帰るところがある人に 「帰れ」 と言ってもレイトスピーチにはならないのだから、

帰る場所があるのか、それとも帰りたくないのかが明確に解ればヘイトスピーチが悪用されなくてすむ。



兎に角、これらを統括して現在思いつく移民問題の解決策には、

「どこで死ぬか!」 が何よりも重要だ。

移住した地で死ぬのか? それとも祖国で死ぬかを契約すれば移民対策もお互いに同意し易くなるのである。

移民たちのアイデンティティーが中途半端で、受け入れる側のイデオロギーも中途半端ではどちらも傷付き憎しみ合うのが現状だ。

勿論、いつ死ぬかどこで死ぬかは誰にも解からないが、少なくとも以前の日本人ならば 「ここで骨を埋める」という気概があったように、

移民たちに必要なのは 「どこで死ねますか?」 この問いに答えることである。


一度、移民を受け入れたのなら、その後の生活や家族、人権問題などに対応するのが先進国のルールであるように、

人権にせよ、自由にせよ、社会保障にせよ、その土地での法律に従えない愚か者には与えられないものであるから、

移民が成功すればそれで終わりであっては混乱を招くし受け入れられないのが世界各国の事情である。


したがって、「新市民」に必要なのは、移民許可書と同時にその国でのアイデンティティーの教育がウィン・ウィンだと考える。

当然、子供たちの学校教育も同様にアイデンティティーの教育がイジメ問題解決への糸口になる。

現在の日教組は移民教団だから、先生自身のアイデンティティー教育が最優先課題だ。

先生たちの歪んだアイデンティティーではそれは教育とは呼べずにイジメだからだ。

つまり、学校内でのイジメとは日教組によるアイデンティティーの無さが原因だと結論付ける。

なぜなら、反日教育はアイデンティティーではない。それは地獄でのイデオロギーだからだ。


確かに、急激なアイデンティティーの変化は人格やその後の人生を混乱させる要素になるかもしれないが、

そもそも好きでもない国へ移民すること自体が社会混乱の原因だから、

移民することが悪いのではなくて、移民後の対応が悪いだけなのである。









    つづく。










コメントを投稿