酒好き文化風俗研究者

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自分史。この十年を振り返って。

2020-03-22 | 日記
 3月22日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


何かに取り付かれたような生活が10年間続いた。

一体、何を求めていたのだろうか?

自分自身でもよく解らない。

暗して破滅的で絶望的な社会の裏側に答えが見つかるものだと

一つひとつ丹念に探し求めた。

安定した生活の道のりは程遠く、また興味も湧かなかった。

家族は崩壊した。肉体は酒付けだった。

職を転々とし、友達も寄せ付けなかった。

テレビも見なければ、メールも返信しなかった。

そこまでして何を得たというのだ?

それなのに奇妙なことに断絶の下からどうゆうわけか

様々な要因が頭の中に集まってきた。

鋭い洞察力や気づき。問題解決への強い傾向。

ウィンウィンによる一つの捉え方。自然法則への探求。

平和と平等への執着。そして物書きへの関心。

これらすべてに加えて、

どんなことをしてでも必ず真実を見つけようという断固たる決意だった。

ソクラテスの言う、

「探求し学ぶ者は、魂が生前に得た記憶を想起させること」それを実感した。

文章は書くにつれ、新しい理解と新しい現実を創り出す役目を持ちうる。

事実、私たちは見たことを書くのではない。

書くことが出来ることだけを見ているのだ。

世界についての私たちの見方は、

私たちの神経システムと言葉のやり取りによって決まっている。

どちらも私たちが世界を認識する際のフィルターとなる。

私自身の文章法はそんなフィルターを外すことから始まる。

言葉との出会いを直感的に楽しむのだ。

まず第一に、文章を散文にして楽しむ。

第二に、散文をミックスしてアレンジを加える。

第三に、使えるものは何でも使う。

第四に、死ぬまでに独自の聖書を完成させる。

これがいわゆる、人生においての卒論であり博士論文だ。

内容次第では神様に昇格できるかもしれない・・・。

書くことの喜びそれは毎日を充実させ、心を満たし、成長欲求を刺激する。

日常生活の中から生まれ、文化と縁を切ることなく、

言葉の快適な文学へと結び付くものとして、

自身が躁うつ状態になりかけるのを助け、

人間関係が不安定になるのを補う。

お互いの歴史観、文化論、心理的基盤の動揺などを読み取り、

お互いの好みや価値観に共感しながら、

言葉との関係を成長快楽に結び付ける喜びである。


よく、質問されることなのですが、

「どうしてそんなに書けるのか?」と。

これにはいつも決まった返事をしています。

「私たちの脳は自分で考える以上に優れていて、

 自分では書けないことでも脳が勝手に書いてくれる」のだと。

それがどうゆう時かは、もちろん利他的な状態である時なのです。

自己中心的な状態では、いびつな文章しか浮かばず、それでいて時間がかかる。

だから他人の文章を読めばすぐに解ります。

隠しても無駄というわけです。

言葉はコミュニケーション能力の一つですが、

人を動かすのが文学であり、文学が文化となって文明となる。

今日のブログも指が勝手に動いて止まらない状態ですが、

無理やり止めて終了。

現代の時刻、朝4時すぎ。



   つづく。



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