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NEO進化論

2020-02-10 | 学問
 2月10日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


ウィン・ウィン王国を設立する前に

片付けて於かなければならないことがあります。

それはダーウィンの古典、

強い者だけが生き残ると言う進化論だ。

偉人ダーウィンが話すように、

自然淘汰にせよ、適応者にせよ、突然変異にせよ、

身体的、生物学的、社会的、倫理的な問題は全て、

自然界の法則と同じように、最適者という進化論にある。

植物連鎖を制した人類にとって、

最も聖なる闘争と競争が進歩的に見えたとしても、

長い目で見た文化の前進をもたらすのは、

遺伝子から見たネオ進化論である。

ここで一度視点を変えて、

二千年以上続く成熟した文化を持つ

日本の歴史から答えを導いてみたいと思う。

歴史のサイクルとして、

過去、

1、戦国時代。強い者だけが生き残る(やられたらやり返す)

2、江戸三百年の太平天国(借りは返す)

3、大政奉還、軍国主義(やられたらやり返す)

4、民主化と繁栄と自由化(借りは返す)

現代、

5、グローバル化による混乱と内戦(やられたらやり返す)

未来、

6、ウィンウィン社会による調和(借りは返す)

7、自然破壊による覇権争い(やられたらやり返す)

8、自然法による世界統一(借りは返す)

世界各国を見渡してみてもどこも似たり寄ったりだろう。


進化と適応。(借りは返す)

報復的な行動を欠く集団は、

反復的な行動に従って闘争に敗れるだろう。

しかし個人が闘争に勝利したからといって

社会的な行動が無ければ長続きしない。

ある個人にとっての最適な戦略は常に

他の集団の行動に依存することである。

また同時に、

利己的と利他的のどちらが強いのかという問いに対して

一見、利己的な性質が勝るように見えるが、

実際には利他的が報復を仕掛けるならば、

集団による利他的が闘争に勝利すると考えられる。

なぜなら、自らの為の闘争よりも

誰かの為の闘争が潜在能力を発揮できるからである。

父親は家族の為なら強くなり、母親は子供の為なら強くなる。

社会は個人の為に強くなり、個人は社会の為に強くなるのだ。

現在の闘争と競争は、

他者の失敗という代償によって得られるが、

いかなる社会情勢においても、

利己的と利他的との間に差し引かれた利益が

闘争に掛かる費用よりも大きければ利他的行動は進化するだろう。

言い方を変えれば、

わざと敵を生かして己を磨けだ。

どちらがよりその場で最適者としての適応度が高いか。

植物連鎖を逃れた人類の進化には、

出費と利益、リスクとリターン、損得勘定が働いている。


    つづく。


目標はミーム(遺伝子)。

2020-01-03 | 学問
 1月 3日  金曜日

明けましておめでとうございます。 ミーム(遺伝子)です。


私たちの行動パターンは、

異なる性質を奇妙に合わせ持つ存在であり、

しばし、目標という力が創造性を発揮する一方、

目標から目を逸らした瞬間、恐ろしいものが見えるのです。


そこで重要なのは、一年の計は元旦にあり。

ミーム(遺伝子)を利用して目標を設定します。


1、どんな言葉にこだわりを持っているのですか。

2、忘れられない希望は。夢は。何ですか。

3、何をそんなに恐れているのですか。

4、何をどの様に正当化しているのか、解りますか。

5、何について語るのが好きで、何をタブー視するのですか。

6、自分自身のことを、どの様に見ているのでしょうか。

7、自分の感情をどんな風に処理していますか。

8、他者との関係に思い悩むものは何でしょうか。

9、誰を尊敬し、誰を見下しているのですか。

10、自分の社会的役割をどう認識していますか。

11、自分にとって一番価値あるものを心から大切にしていますか。

12、それについて表現したり、語ったりしていますか。

13、その価値を学問的思考や精神的修行で強化しているでしょうか。

14、その価値を信じて楽しんでいる自分が好きですか。

15、現実のどの部分に意識を集中していますか。

16、どんな基準を元に現実を解釈しているのでしょうか。

17、目を背けたい現実とは何ですか。

18、労なくして、楽しくなくて、得られるものがあるのでしょうか。




集団と個人とでは、

まずは個人の自立心を目指します。

なぜなら、

目的は優れた集団であり、烏合の衆では絶滅しかねるからです。

生物の全体としての適応度は、

最も状態の貧弱な部分の適応度によって決まっています。

進化の点から見て、

自然界は「利己的な遺伝子」と「利他的な遺伝子」が存在し、

どちらが有効かではなく、どちらも有効でありますが、

現時点では、この問題に決着はついていません。

しかし、個人主義による集団主義が、

私たちが生き残るために必要な「プロセス」ではないかと思われます。

なぜなら、

強い個人が集団との協調を可能にするなら、

より素晴らしい「結果」が生まれると思われるからです。


一度、知性を定義してみると、

1、知性は問題を解決する能力である。

2、知性は人間だけが持つ認知的で象徴的な能力である。

3、知性は不安的で常に目標を設定し成長し続ける必要が生じるものである。

実際、動物に備わる感情だけでは善悪の判断基準がずれるように、

目標が不明確だと混乱を招き自滅へと導きます。

どんな目標にしても、知的な反応をするにしても、

欲求である成長快楽を満たすミーム(遺伝子)が、

複雑化する情報処理には不可欠なのだと思われるのです。

成長欲求とは、赤ちゃんからお年寄りまで一生涯作用する、

正しく美しい人間の快楽の一つだと考えられるのです。

それがミーム(遺伝子)であり、

ミーム(遺伝子)があなたを覚醒させるのです。



    つづく。


 

歴史認識(結果と過程)。

2019-12-28 | 学問
 12月28日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


「歴史を忘れた民族に未来はない」

確かにいい文章だ。名言だ。

問題なのは、歴史が事実かどうかにある。

歴史に対して感情移入していてはただの子供であるからだ。

そこで、結果と過程。

もしかすると、

歴史修正主義とは結果修正主義のことかもしれないのである。

なぜなら、

歴史とは結果よりもプロセスが何よりも重要だからだ。

疑うなら例を挙げてみよう。

「当時、ヨーロッパは三十年戦争に突入し、

 イギリスは東インド会社を設立、

 オランダはジャワにバタヴィアを建設、

 ポルトガルは広州にマカオ創る。

 ロシアはヤクーツクに城塞を築き、

 スペインはマニラを占領。

 その時代、満州が統一、明から独立し、

 李朝朝鮮を従え、西安を占領、皇帝となる。

 明は北京を失い、紫禁城を捨て、万歴に亡ぶ。

 その時、日本に鎖国が認められたのは、

 秀吉による朝鮮出兵があったからである」・・・。

歴史は結果でもなければ感情移入でもない。プロセスが重要だ。

ところがどうしたことか。大多数の日本人が、

「結果がすべてだ!」という。

「プロである以上、結果を残せ!」と。

あなたも「そうだ」とうなずいていることだろう。

とにかく日本人は結果主義なのである。

間違えてはいけない。成果主義ではなく、結果主義だ。

違いは、そこにプロセスが欠けているところにある。

実際、日本人はプロセスとなると急に思考が停止する。

考えるという過程が無いから議論がない。

だからひたすら結果を出せと言い続ける日本人には、

議論が出来ないのである。だから想起も解らない。

想起が起きないから成果主義とは呼ばれない。

TVを見れば一目瞭然だが、日本人は議論が下手である。

まるで反抗期に見せるツッパリのようだ。

いい例が、国会質疑である。

あれは議論か? それとも反抗的発言なのか?

もしかすると、日本語が難しすぎるのが原因かもしれないが、

ひとまず、そのことは後にしよう。

一体、プロセスとは何ぞや? あなたはそう思ったに違いない。

結果が出なければ思考が停止する。なぜだろうか?

どうして、日本人にプロセスが無いのか?

歴史から学ぼうと思う。

過去、日本は大陸や海洋民族から文化を取り入れ、

江戸時代は、和魂漢才、近代では、和魂洋才、現代では、和魂米才である。

勘の良い人は薄々気づいたかも知れないが、

どうやら、日本にプロセスが欠けているのは、

一貫して他国の結果を学び真似をしたに過ぎないのが原因だと考えられる。

例を挙げれば、

名古屋の発展は、東京と大阪のモノマネであるという、

発展にたどり着くためのプロセスよりも、

結果良ければすべて良いのだ。

なるほど。通りで日本人はモノマネが好きな訳である。

本物よりもそっくりさんに人気が集まる理由だ。おもしろい。

話を戻して、

歴史修正主義も同様、

結果しか見ずにプロセスも考えずに感情移入になるのであれば、

思考が停止すれば当然、感情が押し寄せてくるのは理解できる。

または無関心か。ここでは無関心は省略して、

歴史感情移入を分かり易く例えるならば、

江戸時代の人が何を考え、どう行動したかが

正しい歴史認識でありプロセスであるように、

「あの時、こうすべきだ」、それは現代の課題であって、

黒船が捕鯨船だとか、インドから来たとか、親日だったとかは、

私たちの歴史観であって後付なのである。

ここで「ハッと」した人もいるだろう。

それこそが歴史修正主義なのかもしれないのである。

この問題定義、なかなかおもしろそうだ。


今日は結論が出なかったが、

重要なのは結果ではなくプロセスだから、

「それもまた、良し」 としようか。


   つづく。


陽明学と日本の社長さん。

2019-12-09 | 学問
12月9日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


韓国の行動パターンのリストを作ったとしても、

その答えは常に一つしか出ない。「逃げること」だ。

厳密に言えば「逃げること」は困難への対策ではなく、

あくまでも国難を遠ざける方法に過ぎない。

おそらく「逃げること」が韓国にとって

最適な行動基準なのだろう。

まさに、「無責任ヒーロー」にとって

逃げ足の速さこそが捨て身攻撃なのである。




陽明学について。

日本の社長たちが何故、中国に憧れるか?

考えてみたいと思います。

おそらく近年は陽明学を過激思想だと敬遠されがちだが、

50歳以上の経営者たちには愛読書の一つである。

例を挙げれば、

安岡正篤が政界のご意見番であったり、

三島由紀夫の「革命哲学としての陽明学」や、

大塩平八郎の「殺身成仁」、

中江藤樹の「良知」、西郷隆盛の「敬天愛人」、

吉田松隠の「天下のために立志し、聖人たるや絶学を受け継ぐ」、

ご存じ 「知行合一」「格物致知」 だ。


王陽明と言えば、「無善無悪」

「極端な善は無く、極端な悪も無い」という風に、

「もっと自由で自在に目の前にある「現成」を持って

「格物致知」を志し、「良知」を行え」であり、

李卓吾の「童心」、「童心に戻って天人合一せよ」と成る。


なぜ、この様な陽明学が日本で発展して行ったのかだが、

一つは、

偉大なる漢民族が万歴に滅び、この時に日本が鎖国に入る。

二つ目は、

家光が「日本書紀」、光圀が「大日本史」の号令を出す。

だから、「朱子学 ー 陽明学 - 水戸学」である。

私が好きな林羅山、熊沢蕃山、佐藤一斎、本居宣長たちに影響を与え、

幕末の志士たちを動かし、徳川が始めた国学が、

江戸幕府250年に革命をもたらす。


ところで、日本の社長さん達はご存じだろうか?

陽明学という言葉は中国には無い。

中国陽明学とは今の中国以前の話で、現中国には存在していない。

だから、現在の中国で「知行合一」「格物致知」と言えば「危険人物」だ。

中国に憧れるには正しい歴史認識が必要である。

日本の特色や持ち味を中国にそのモデルを求めて近づくことを「慕夏主義」といい、

日本はもっと中国に成るべきだと確信することを指す。

しかし、現在の中国には「陽明学」も無ければ「論語」も無い。

現中国人思想とは、中国が勝戦国、日本は敗戦国だ。

お人好しの日本人社長は「勝利品」となる。


それよりも、せっかく陽明学を身に付けているならば、

日本こそが真の中国になれば良いではないか。

東アジアを日本が軸となり源となって、

「八紘一字」「大東亜共栄圏」「五族協和」という

日本型による中華思想が望ましく美しい。

こちらの方が陽明学らしいと思うのですが、

日本の社長さん達のご意見を伺いたいものです。



   つづく。


夏休みこども相談室。(令和元年)

2019-08-24 | 学問
 8月24日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


断交は韓国にとって自滅への道となる。なぜなら、

感情のもつれで一番厄介なのは身内だからだ。

どうやら韓国は道徳的選択をすることが不可能なようです・・・。




夏休み企画。こども相談室です。

質問1.

現代の社会問題、引きこもる大人達と子供達について。

「戦国大名」 に聞いてみました。

・・・意見が一致したようです。「どう対応しますか?」

・・・「家を燃やせばよい。退路を断つのである。」

なるほど。ごもっともです。厳しい現実です。

カフカの「虫」あれは引きこもりを表しているのかもしれません・・・。


質問2.

「勉強が好きになれません。どうすればいいですか?」

偉人の福沢諭吉先生に聞いてみました。

・・・「現代教育はコピペの達人。」
・・・「過去問や前例による積み重ねのようにみえる。」

なるほど。本来、学問のすすめとは独学のすすめ。

国語は、人を動かすものであり、

算数は、感情に調和をもたらすものであり、

理科は、自然をうまく利用するものであり、

社会は、集団生活を維持するものであり、

経済は、みんなで旨い飯を食うためにあり、

政治は、困難を正しく導くためにある。

音楽と体育は感情を感性へと高め、変態性を爆殺させないためである。

・・・わかりました。


質問3.

「怠け者が後を絶ちません。この現象をどう捉えますか。お聞かせください!」


そうだ! 日本の高度成長期を支えた先人達に聞いてみよう。

・・・・・・・・。

「怠け者か、働き者かは唯一つ。死ぬまで本を読むことだと思います」


確かに怠け者には本棚がないし、

活躍する人ほど本を沢山読む人達なのに。

やはり、死ぬまで勉強なのですね。



最後の質問。

 「なぜ、今どきの子供は生意気で可愛くないのですか?」

今度は江戸時代の子供たちに聞いてみました。

・・・・・・・・。

・・・生きていけないからだそうです。

子供の長所 「かわいさ」 が無ければ大人に虐待されるからです。

なるほど。

子供が可愛いのはつまり大人次第という訳か・・・。



   つづく。



GDP借入金総生産(Gross.Debt.Product)

2019-03-24 | 学問
 3月24日 日曜日

 おはようございます。 グリーン・DE・クリーンです。


夢?のお告げによると、

2019年に大暴落が起きると世界がひっくり返るらしい。

なんでも、すべての条件が出揃っているからだそうだ。

まあ、未来がどうなろうが知ったことではないのだが、

重要なのは、その時の対応だ。

現在のGDPとは国内総生産ではなく、借入金総生産だからである。

日本だけの笑い話ではない。全世界がそうなのだ。

それでいて誰一人、問題解決の糸口を見出せないでいる。

結論を急ごう。

イエス様のお力をお借りする。それ以外に助かる方法はない。

以前にも話したのですが、

大暴落が起きた時に、すべての借入金を 「チャラ」 にすると。

財政赤字や企業負債、個人の借金をすべて 「チャラ」 にするのである。

何も驚くことはない。イエス様なら必ずそうなさるからである。

イエス様は身をもってこう宣言したのである。

「すべての借入金が帳消しとなり、人々の罪が救われる」と。

そしてその後、磔のめに。嘘だと思うなら調べれば分かる。

実際、2008年のグローバル金融危機を思い出してみよ。

あの時、銀行や大企業はまさに債務を棒引きにしてもらったではないか。

つまり、世界規模の金融危機を応用して、

現在ある債務整理を行うことは善行なのである。卑怯ではない。

なぜなら、金融業界とは元々、

この種の財源赤字による債務免除という制度がないと混乱するシステムだからである。

事実、金融業界自体、陰でこっそりと

悪事を働いているのだから、文句はいえないだろう。お互い様だ。

重要なことなので結論を繰り返すが、

世界規模の金融危機時には、「見えざる手」 を使ってでも救わざるを得ないのである。

信じるか信じないかは現代人の勝手だが、

ある一部の民族の一人勝ちにさせたくなければ

準備くらいはしておいた方がよさそうだ。



    つづく。


世界経済の統一を考える。

2019-03-16 | 学問
 3月16日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


宗教統一は、死の恐怖を克服し、ミーム(遺伝子)に目覚め、

この世が地獄だと悟り、女性たちが活躍するならば

達成するものだと一先ずそうして置くことにして、

次は、世界経済統一の番である。

結論から言えば、

ウィン・ウィンの関係である。これで終わりなのだが、

どうやら問題があるようだ。

ウィン・ウィン思考法が解らないことである。

なるほど。そういうことなのか。だったら

少しだけ、もったいぶって説明します。


1、愛が無ければ二人の関係は・・・。

2、感情では善悪の判断が・・・。

3、金と女を追いかければ・・・。

4、過去の記憶は否定的な・・・。

5、怠け者は犯罪者予備・・・。

6、集団貢献=『個人主義』=孤立主義・・・。

7、「ウィンチュー」の反対は「自己チュー」・・・。


これら七つの大罪を好む者は、

ウィン・ウィンではいられない人達だ。

そうではない。逆だ。

勘のいい人はお気づきだと思いますが、

まずは、勘のいいあなたからウィン・ウィンをどうぞ。


現在経済学とは、

資本論にせよ、唯物論にせよ、社会主義にせよ、MBAにせよ、

どれも何かが欠けているように思われるのだが、

だからと言って、これらすべてが間違っているとも思わない。

どれも、頭の良いユダヤ人が考え出しただけのことはある。流石だ。

気がかりなのは、対立好きなところである。

根っからの資質なのか、それともこの世の法則か?

重要なことなので繰り返しますが、

そうじゃない。ウィン・ウィンだ。


幸運なあなたにだけこっそりお伝えすると、

自信や勇気がなくても平気である。なぜなら、

考える人と行動する人が必ずしも同一人物である必要がないからだ。

協力し合うからこその自信や勇気、お金や笑顔は

自然と共にやってくるウィン・ウィン自然法だからだ。


難しく考えることは何一つたりともない。

なまじ中途半端な知識人ほど何でも難しく考えがちだが、

特別なスキルも犠牲や代価も、ほんのちょっとで良いのである。

その「ほんのちょっと」とは、

1、私のブログを読み、(マネは学習)

2、あなた流にアレンジをし、(感性力)

3、私を超える。(楽しんでね)

「守・離・理」にある。

お疑いになるかもしれないが、

私なんて全然大した人物ではない。勘の虫だ。

女性の人達に嫌われるのを覚悟で言うと、

男なんてみんな一緒。どれも虫ばかりだ。

そして善い虫はすでに絶滅している。

残されたものは悪い虫だ。

従って、世の男性たちに必要なものは、

愛、もちろんウィン・チューである。

私に足りないものそれは、ウィン・チューだ・・・・・・・・。


    つづく。


相対的関係性。(この世の法則)

2019-02-08 | 学問
 2月8日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


類似して対立する二つの事柄には、

互いに影響し合いながらやがて融合し、

再び離れてゆくものである。

普遍的な法則とは、社会はいかなる困難な現象にも妥当し、

同時に現実の世界をそうした相対的な全体の中で卓越して選び出せる総体でもある。

可能な限り社会現象が対応していること、可能な社会構成が全体として有限であること、

反復からの表面に出現する、時と共に相対的関係性の中で最良の世界からその都度、

次のより良い世界に変化するという法則を理解するという要求を満たすことが重要である。

夫婦で例えるなら、初めは個別する二人が惹かれ合って融合し、やがて離れてゆく。

相対的可能性の中から選び出して実現させる社会が人間の物語になるという観点から見れば、

法則の理解不足を確認するものであることがわかる。

相対的関係性は私たちが考える以上のものを生み出し続ける。

偉大な思想、夫婦関係、企業契約といった確定された事柄だけが

公的行為という優越性を以ってこの現実を構成している訳ではなく、

多様な個人の人生経験、個人の役割が量においても質の中に圧倒的な存在を主張している。

法則の管轄と社会の管轄の中間という昔ながらの正当なやり方には、

逆に変革できるものであるかのようにも見えるその一つが、

一度、融合すれば今度は逆方向に進むという相対性理論。元には戻れないのだ。

創造的なものと融合し相まみれて逆方向へと進み出す現象である。

経済で例えるなら、資本主義と共産主義は、始めは反発し対立し競い合うが

経験と共に引かれ合い妥協し融合する。やがて一つのウィン・ウィン思想が誕生する。

その後、再び離れて行くが、今度は互いに逆方向に離れ出す。

資本主義は元の資本主義には戻らずに共産化へと進み、

共産主義も同様、資本化への道を選択する。

現代はそのどちらでもなく融合点に当たる、ウィン・ウィン主義の時代である。

相対性理論という威厳ある法則の妥当性、

すなわち創造の計り知れない卓越性を明確化することで、

利用されずに放置されている社会的過信を気づかせてくれる。

現実と法則という二つの様態による社会変化、あるいはこれを望ましく思う者には、

21世紀の社会変動を、到達されたものから変化される未来志向による、

まだ到達されていないものに向かって歩み始める時代の先駆者として記述される。

これは時代転機には適している。動くものは止められないのだ。

自然法則を取り出して一般化できるという安心感である。

相対的関係性が機能するには、時間が密接に関係するにしても、

相対する量、対比するものの質は、類似して競い合うことからしか理解ができない。

集団生活はその背後に見え隠れする

自然的伝達の意思を持っているという推測によって社会秩序を保ったのである。

神秘主義や啓蒙思想、合理的理論からなる対抗関係という競争が取り除かれても、

意識として知覚されないような相対的関係性というものが存在するのである。

人類が考え出した規則によってあらゆるものを定義しようとする、

偉大な思想の中心的な命題には明らかに反するものであるのだが・・・。

いずれにせよ、

ウィン・ウィン思想も二つに分断されて離されて行くものであろう。

来た道とは違う、逆方向に向かって。


     つづく。


センター試験について。(受験生は見ないで)

2019-01-28 | 学問
 1月28日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


毎年、この時期になると不思議な現象が訪れる。

センター試験だ。

おそらく、牙を抜かれた若者たちの社会構成員化、労働秩序なのだろう。

若者を手っ取り早く支配するには何よりもセンター試験が有効だ。

偏差値や出身校など支配する側からすれば最高だが、

支配される側は、もううんざりだ。

幸運に恵まれた者だけが、次の課題へと続けられるのだが、

その裏で「気に入らない」いう反感だけで脱落する者もいる。

仮に、判定が良くても、期限付きだ。

多くはここで人生を終える・・・。

一度でも失敗すればすべて終わりだ。一刻たりとも気が抜けない。

これまでの努力が何もかも全部、失うのだ。

仲間と喜びを分かち合うか? 一生癒えることのない傷を残すか?

人生の分かれ道である 「選別」 が行われる。

それにしてもよく考え出されたシステムだ。

「偏差値」。 面白すぎて笑いが止まらない。

センター試験の背後に見え隠れする不吉な影には、

成長を必然とする若者たちの信念と同じく独善的である。

確かに、我々の社会には一人前という証が必要なのは分かるにしても、

センター試験が支配的であっては何のための教育か。笑わせるな。

本来、教育とは感情を感性に高める教育であり、

感情面の代替に共通認識を通じて社会性を育成する。

したがって、過去問のコピーは教育と呼べない。

教育において社会が投げうる最も重要な問いは、

社会は未だ不完全であることだ。

現在の様々なイデオロギーや政策、欲望社会など

浅はかな見解に基づいていることが多い。

社会の目的が曖昧なまま、やみくもに展開する科学の過程の産物だ。

必ずしも近代を高く評価できないのだ。

教育に必要なのは、

自立と友愛の精神を教え論すことで自由社会を主張する。

文化や時代を問わず、若者は同じように幸福を学習する。

個人の主観的感情よりも共感的感性を権力の至上の源泉と見なす。

良きにせよ、悪しにせよ、

私たちが何を感じるかによって決定される因果律である。

ほとんどの人は、自分の感情や思考、好き嫌いを混同している。

感情とは本来の自分自身では決してない。

社会生活の多くがこうした感情的判断ミスによる勘違いなのだ。

私たちの怒りはただの思い違いなのである。

センター試験での意思決定は、

感情的なシステムに支配されているのである。

元々、教育とは権利であり成長欲求を満たす快楽で

知的好奇心を育む環境が学校である。

優れた英知を体得することは、アートでり芸術であり、

それらの技能を獲得し、新しいテクノロジーの開発に貢献する。

それが最終的かつ絶対的な真理と公言するには早いが、

集団社会は最も重要な疑問に関して共通認識を公に認めるという点で無類の英知を受け継いできたのも事実だ。

したがって教育無償化には、教育から得た利益は研究発展の為に再投資すべきである。

しかし現在は、

教育が社会に影響を与えるのではなく、

センター試験が教育に影響を与えるという。

なんでも、その方が企業ウケが良いらしい。

18歳に選挙権が得られて良かった。

予想では、センター試験は今後も継続されると思われます。

「腐ったミカンの方程式」?

腐ったのは教育か? それを知らずに食べた学生か?

もしや! まさかね。

学生が不良であるはずがないから。



    つづく。


テンデ モノニ ナラナイ(湯川秀樹の言葉)

2019-01-26 | 学問
 1月26日 土曜日

 おはようございます。 ミーム(遺伝子)です。


第二回 ミーム(遺伝子)セミナー開催!

本日は仕法を変えまして、(いつも同じではつまらない)

失敗を恐れない、気にしない、楽しみましょうの巻です。

方法=失敗を10回積み重ねると、どうなる?

儀式

目を閉じ、思考を停止させて、

自らに宿る神と、大いなる神とを融合さます。

「ブルル」と来たら、疑わずに任さます。


・・・ミーム・・・すぐに来ました・・・。


上等だ! 体育館の裏に来い!・・・失敗作です。

今日、何食べた? SNSだ。・・・失敗です。

料理とブログはよく似ている。どちらも素材と工夫と愛情が重要だ・・・。

人はなぜ? ダマされるのだろうか? 欲張りだからかな・・・。

交渉とは説明力。説明しないと負け・・・。

地獄も認めれば楽しい。バカは認めれば愉快だ・・・。

地政学は逆転するとコーランに書かれている・・・。

行動とは、1、ハングリー、2、気分次第、3、愛情・・・。

かたいもの好き。脳、意思、その他・・・。

一番無防備な時は、慌てる時だから慌てたら危ないサイン・・・。

狼の群れに餌を与える、困っている集団を助ける・・・。

クリームチーズ、そこがミソ・・・。

スーパーマーケットを運営する社長は偉い!・・・。

感情が抑えられない。子供脳だ。テレビ脳だ・・・。

二足の草鞋とは二倍働くこと・・・。

怠け者が行きつくところは犯罪である・・・。

税金にリターンが感じられるシステム作り・・・。

見栄っ張り税、欲望税、ハッタリ税、消費税・・・。

日本の瓦屋根は鱗。未だ未完成。キラキラ好きかもね・・・。

子供に読み聞かせるのは、言霊だ・・・。

お子様ランチを説明できれば残さず食べます・・・。

台風が多い時は、暖冬?・・・。

暖冬が続くと、冷夏?オリンピックに合わせよう・・・。

モーセ・イエス・モハメッド・お釈迦様が三途の川で待っている・・・。

地方再生。都会の人が地方では先生だ・・・。

お客様が神様ではなく、客がお店にサービスする良い関係・・・。

マジック。ビックリ、ワクワク、スゴーイが入場券・・・。

お寿司が大好きな理由は、すし職人の心意気・・・。

数で勝負すれば全滅する。感情的でみさかいない・・・。

セックスすると飽きる人と愛着が湧く人とに分かれる・・・。

一時間ずーとバックを続けることは罰ゲームか?・・・。

官僚に足りないのは「こわもてエリート」だ・・・。

日本人は意気地が足りないだけ、ただそれだけ・・・。

大いなる神よ! 我に、無限のパワーを与えたまえ!・・・。


・・・来てるのかな?・・・


いかがでしょうか。

失敗作もこれほど集めると何だかよく分かりません。

もう、失敗なんかどうでもいい気分です。

テンデ モノニ ナラナイ。上等です。

ポイントは楽しむことですから、

失敗とは楽しんだ数ということになります。

もしかしてもしかすると、

失敗を100回重ねると奇跡が起きるかも!!!。


第2回 ミームセミナーでした。

3回目もよろしくお願いします。


  つづく。


解かった! みんなミーム(遺伝子)に目覚めたいんだ!

2019-01-24 | 学問
 1月24日 木曜日

 おはようございます。 ミーム(遺伝子)です。


やった! みんなミーム(遺伝子)が大好きだ!

ミーム(遺伝子)とのつながり方を知りたいのかな?

そこで、

開催! 第一回 ミーム(遺伝子)セミナー!

まずは、ご挨拶。


「遺伝子を読み解くことは使命である。

私たちは何のために生まれてきたのか?

その答えは、ミーム(遺伝子)にある。

死の恐怖を克服する唯一の方法はミームなのである。

神仏や宗教、偉人たちを理解する能力もミームであり、

自らを、世界を、人類を救い出す能力もまたミームにあるのです。


ミーム(遺伝子)に現れる「神の概念」「一人一宗」について説明すると、

宗教とは違い、まして現宗教を混乱させるものでもありません。

一言で話さば、「神との一体感」 ですから心配はいりません。

一人ひとりがミーム(遺伝子)に目覚めるなら

間違いなく、過去の世界観が引っくり返ることとなり、同時に、

私たちは集合体であり、繋がった存在であることに気づくことでしょう。

そして最後に一曲。

♪~♪「きっとこの世界の共通認識は、言語じゃなくて遺伝子だと思う」

♪~♪「理屈ではないところで生命は、通じ合える力を持ってるはず」♪~♪。

これをもちまして挨拶とさせていただきます。」



堅い挨拶はさておき、

さっそく本題に入ります。

では、レッスン21.

もうすでにみなさんは、

思考を停止することや、夢中、無中について理解していると思います。

感情を感性に、日常生活をアートに、そして閃くスキルを身に付けたことでしょう。

これまで学んだことは自力本願がメインでしたが、ここからは他力本願に移ります。

アートから一気に芸術にまで高めて行きます。人智・英智・霊智の三位一体です。

準備はいいですか?

いつも通り、お手本から。真似してください。

儀式。

思考を停止し、二つの神を融合させ、「ブルル」繋がりました。


・・・ミーム・・・来てます・・・。


質問=現代社会をイエス様なら何と言われますか?

愛があれば何でも許される。愛がないから上手く行かないだけである。


・・・遺伝子・・・感じます・・・。


質問=お釈迦様でしたら何と言われますか?

この世が楽園と見間違えていては、苦悩が増すばかりである。


・・・ボイス・・・聞こえます・・・。


質問=預言者モハメッド様でしたら如何でしょうか?

アジアをイスラム経済圏へと導くことで解決されるだろう。


こんな感じです。

真似が出来たでしょうか。

何度も繰り返しますが、

コツは、一回で成功しようとは思わずに、

失敗を10回繰り返すことを楽しむのです。

難しく考えなくていいですよ。料理と同じで

いずれ簡単なレシピになりますから。

真似が出来なくても次に進みます。

「守・離・理」 の 「離」 に移ります。

一体と成った二つの神に名前を付けて、オリジナルにします。

自分にとってワクワクするイメージ・キャラで良いです。

例は、「ウィン・ウィン姫」でも「AI・ブルー」でもOKです。

そのイメージキャラとの繋がりが、もう一人のボイスです。

そしてさらに次へと進みます。

「守・離・理」 の 「理」 です。

二つの神が融合している状態ですから、

不屈の信念、大いなる大儀、無敵の英知であるはず。

そうでなければ、嘘だとすぐにばれてしまいます。

現実から目を背けては得られない真理です。

この段階で、

遺伝子(ミーム)と繋がらない場合は、

悪用しようと考えているか、感情的かのどちらかであるはず。

利己が利他であり、利他が利己であることを体得した貴方なら大丈夫です。

お手本は、ウィン・ウィンこそが正義の中の正義です。

実際、ウィン・ウィン思考が身に付くと他の正義が歪んで見えます。


では、真似してください。

儀式。 「思考、融合、ブルル」


・・・ミーム・・・来てます・・・。


質問=グローバル企業の税金対策と各国との関係について。


税金と呼ばずに、投資と考える。

私たちの税金は投資である。だからリターンが必要だ。

ふるさと納税が良い見本である。リターンが明確だ。

企業も同様、各国からリターンを得られるシステムがあれば

誰も税金を悪く言わずに済む。ウィン・ウィンだ。


・・・遺伝子・・・感じます・・・。


クレジットは未来志向だ。夢と希望で満ち溢れている。

反対に、返済する過去は苦しみと憎しみで一杯だ。

過去はできるだけ早く忘れるべきである。

我々の歴史とはクレジットかもしれないのだ。

滞納するか裏切るかがその国の信用だ。



どうでしょうか。

逆に、ウィン・ウィンでない場合は、

遺伝子(ミーム)は自己破滅を選択するのです。破滅大王です。

それでも構わないと言うなら、

せめて、サイコパスには教えたくない。危険ですから。

だから、レッスン1~20を省略しました。

サイコパスには解からないからです。

解かるのはパラノイアの人たちです。

パラノイアの人たちに目覚めてもらいたいのです。

だから解からない人は解かる必要がない。解かる人だけ無敵になって。


本日、開催いたしました

第一回、ミーム(遺伝子)セミナーを終了いたします。

また、第二回目でもお会いできることを楽しみにしております。

 バーイ・ホォナー。


    つづく。
   

安倍総理がいると楽しいね。

2018-09-13 | 学問
9月13日 木曜日

 こんにちは。 ウィン・ウィン国王です。


前略。

取り急ぎご連絡致します。

この度のご返事をお待ちしておりましたところ、

流石、話しが早いプーチン大統領。

感謝いたします。

今後とも楽しんで新しい世界を築こうではありませんか。

その中でも気になったことと言えば、

「準備ができている。」という発言です。

詳しいことは現時点では分かりませんが、

レーニン越え可能な、プーチン・ノートを完成させれば良いのでしょうか。

おそらく、プーチン大統領ご自身も薄々は気づいておられることですが、

時代の流れは、

ネオ共産主義ではなく、資本主義との融合に向かっていますから、

それを私は、ウィン・ウィン主義と言っている訳です。

そしてそれを実現するのに適しているのが、

ロシア国民と中国国民だと考えているのです。

詳しい理由は後程にいたします。


さて、ご存知の通り

世界中の優れた人々や

一度ドロップアウトしたが再起を図る強者たちなど、

新しい世界観を待ち望んでいるのだから、

それを誰が誰とやるかであって、もはや勝ち負けの問題ではないのです。

ロシアが優れているとか、

アメリカが勝っているとか

ではなく、ウィン・ウィン。それだけです。

遅かれ早かれ、誰かがやらなければならないのだから、

望ましい人がやるのがアリストテレス流です。

ただ日本人としては日本人にやらせたいのですが、

現状では・・・・・・・。

そこで、隣国が良いのではないかと思う次第なのです。


中国も悪くはないのですが、インチキ情報でいまいちよく分かりません。

私のパソコンも壊れるし。


以前、積丹半島出身者の日本人と一緒に仕事をした時の話ですが、

「同じ日本人よりもロシア人の方が紳士的で楽しかった。」 と言っていたのを思い出します。

私もロシア人との友人関係を持ちたいものです。






    つづく。







新学問一派。この世の唯一絶対的な学問の確立を。

2017-07-10 | 学問
 7月10日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


私たち現代人が犯している最大の過ちとは、

この世界に存在する唯一絶対的な真実から目をそらし、逃げ、欲望にしがみつく以外に生きる道が見いだせないところにある。

それは一見、本能のまま、快楽のまま、今この瞬間を精一杯生きている愛しい姿にも見えなくもないが、

この世の唯一絶対的な真実から逃げていては問題がさらに増すばかりである。

本来この解決は世界宗教家たちの出番なのだが、「なんちゃって宗教家」しか見当たらないのが現実だから、

いっそのこと、新しい学問を創造することが重要ではないかと考える。

その学問とは法則性を伴った誰一人として逃れられない真実による学問である。

問題なのは、この唯一の絶対から我々があまりにも遠くかけ離れた現状だという認識が重要だ。

なぜなら、この「絶対」による恐怖感に憑りつかれてタブー視しているからである。

重要なのはこの恐怖感を取り除く方法であり、これさえ除けば「後は野となれ、山となれ。」だ。

実際、私自身、恐怖からの解放を実現している。

私はけっして特異体質ではなく、むしろ、かなりの出来損ないだ。

従って私に出来るのだから誰にでも出来るということになるから責任重大。私の説明能力に掛かっている。


自然の法則はいつだってシンプルイズベスト、単純さの中に真実が隠されているように、

神々は我々に判りやすく「たった一つ」を示されているのであるから、

そこから全てを考え見出すことが「新学問」という答えである。

それでいてこの「新学問」は万能。応用可能。ありのままを映し出す鏡でもあり、

現代学において解決できない方向性に一光を放つ役目を果たす。


私たちはただ、「恐怖からの解放」を志すだけで良いのである。

すべての社会現象をまき散らす得体の知れない正体は、この「恐怖」によって牛耳られているのだから、

この「恐怖からの解放」こそが自由・平等・友愛へのマスターキーであり幸福への扉が開かれる。


必ずや、「新学問」が世界貢献、人類貢献を達成するものと確信しているから、

こう、ご期待!








   つづく。