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センター試験について。(受験生は見ないで)

2019-01-28 | 学問
 1月28日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


毎年、この時期になると不思議な現象が訪れる。

センター試験だ。

おそらく、牙を抜かれた若者たちの社会構成員化、労働秩序なのだろう。

若者を手っ取り早く支配するには何よりもセンター試験が有効だ。

偏差値や出身校など支配する側からすれば最高だが、

支配される側は、もううんざりだ。

幸運に恵まれた者だけが、次の課題へと続けられるのだが、

その裏で「気に入らない」いう反感だけで脱落する者もいる。

仮に、判定が良くても、期限付きだ。

多くはここで人生を終える・・・。

一度でも失敗すればすべて終わりだ。一刻たりとも気が抜けない。

これまでの努力が何もかも全部、失うのだ。

仲間と喜びを分かち合うか? 一生癒えることのない傷を残すか?

人生の分かれ道である 「選別」 が行われる。

それにしてもよく考え出されたシステムだ。

「偏差値」。 面白すぎて笑いが止まらない。

センター試験の背後に見え隠れする不吉な影には、

成長を必然とする若者たちの信念と同じく独善的である。

確かに、我々の社会には一人前という証が必要なのは分かるにしても、

センター試験が支配的であっては何のための教育か。笑わせるな。

本来、教育とは感情を感性に高める教育であり、

感情面の代替に共通認識を通じて社会性を育成する。

したがって、過去問のコピーは教育と呼べない。

教育において社会が投げうる最も重要な問いは、

社会は未だ不完全であることだ。

現在の様々なイデオロギーや政策、欲望社会など

浅はかな見解に基づいていることが多い。

社会の目的が曖昧なまま、やみくもに展開する科学の過程の産物だ。

必ずしも近代を高く評価できないのだ。

教育に必要なのは、

自立と友愛の精神を教え論すことで自由社会を主張する。

文化や時代を問わず、若者は同じように幸福を学習する。

個人の主観的感情よりも共感的感性を権力の至上の源泉と見なす。

良きにせよ、悪しにせよ、

私たちが何を感じるかによって決定される因果律である。

ほとんどの人は、自分の感情や思考、好き嫌いを混同している。

感情とは本来の自分自身では決してない。

社会生活の多くがこうした感情的判断ミスによる勘違いなのだ。

私たちの怒りはただの思い違いなのである。

センター試験での意思決定は、

感情的なシステムに支配されているのである。

元々、教育とは権利であり成長欲求を満たす快楽で

知的好奇心を育む環境が学校である。

優れた英知を体得することは、アートでり芸術であり、

それらの技能を獲得し、新しいテクノロジーの開発に貢献する。

それが最終的かつ絶対的な真理と公言するには早いが、

集団社会は最も重要な疑問に関して共通認識を公に認めるという点で無類の英知を受け継いできたのも事実だ。

したがって教育無償化には、教育から得た利益は研究発展の為に再投資すべきである。

しかし現在は、

教育が社会に影響を与えるのではなく、

センター試験が教育に影響を与えるという。

なんでも、その方が企業ウケが良いらしい。

18歳に選挙権が得られて良かった。

予想では、センター試験は今後も継続されると思われます。

「腐ったミカンの方程式」?

腐ったのは教育か? それを知らずに食べた学生か?

もしや! まさかね。

学生が不良であるはずがないから。



    つづく。



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