きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ありのままの自分で

2014-01-20 | 読んだ本
前回紹介した「バカボンのパパと読む老子」を読み続けた。

この老子さんは、中国の昔、春秋戦国時代と言う時代の人だったようだ。
戦争には反対の姿勢をとっており、それは当時では大胆な発言だったようである。

戦争は仕方なくやらねばならない場合もあるが、戦争をしていることを悲しみなさい、戦争に勝ったとしても喜んではいけない、葬儀のような神妙な気持を持つべきだと書いている。戦争に勝って喜ぶことは人を殺して喜ぶのと同じである、と書いてある。

何千年前の人がこう説くのに、世界のあちこちでいまだに争いが絶えない。

どうして戦争なんてするのだろう。
ニュースも詳しくないのでその事情がよく分からないが、一言で言えば「欲望」が過ぎているのではないのだろうか。よその国の人を意のままにしたい、よそが儲かりすぎているのが面白くない、領土を少しでも多いしたいとか・・・宗教もうちはうち、よそはよそと割り切ることはできないのだろうか。

人より勝ちたい、人を意のままに動かしたい、そういう欲望、そして上手く行った時の自分のお陰だ、すごいだろ的気持を、老子さんは「よろしくない」と考えている。そこで使われる「正義」についてもあまり評価していない。
人はあるがままに生き、今あるべきものを受け入れる、それをよし、とするのである。

ちなみにこの老子さん、自分は3つの宝を持っているという。
1つは慈愛の心、2つめに倹約、3つめに「人の上には立たない」ことだそうである。

私は慈愛の心は分からないが、2つめと3つめは当てはまっているようなので、この気持をこれからも大切にしていこう。倹約倹約でケチババアみたいな所があるが、質素に暮らせるということは、よく言えば「見栄を張らずに」暮らしていけるのである。そのまま、ありのままの自分のままで暮らしていける素質がある。

それはやってみると、とてもラクチンである。
このまんまの自分でよいので、そこにストレスがない。


kekeもそういう素質がある。
20年経っても、きっとこの子は、謙虚に生きていけるだろう。
見栄なんて張らなくていい。そんな自分を信じていけばいいのだ。
大きく見せる必要なんてない、こんな自分をありのままの自分を広げて、時に悩んだり、相談したりしながら、前に進んでほしい。

今はまだ世の中を渡れる勇気や強さが備わってこないだけなのだ。
その力は、時間が経てば自然についてくるだろう。

ありのままの自分を信じられるように。
優しい心をずっと大切にしてほしい。


私はその後で古本屋に行って「求めない」と「受いれる」を買った。
そして、書棚に置くことにした。

カラオケで女々しくて

2014-01-19 | 歌謡曲・カラオケ
今日はkekeとカラオケに行った。
こういうことは1年に1度あるか無いかぐらい、珍しい事なので書いておこう。

いつも「アンタの歌を聞いている時間がムダだから」と言って一人でカラオケをしているkekeなのだが、よほどお金が無いのだろうか、お金を出してくれるなら・・・とついてきたのである。
そしてわざわざ車を出して、遠くへカラオケに行った。親と二人でカラオケしているところを知り合いに見られたくないと言うので歩いていける所を避けたのである。

「いやぁ、親とカラオケを行くのもいいことだよ。」
と私は言う。「私もおじいちゃん(父)とよくカラオケに行ったので、古い曲も知ってるんだよ。だからお年寄りにも歌を合わせられるんだよ。」と言う。

kekeとカラオケに行くのは、これで3回目だろうか。
しかし、いつも同じような歌を歌っている。同じような人の同じような歌を歌っている。
ラルクアンドシェルとか、ルナシーとか、あと聞いたことの無いバンドの曲を歌っている。
私にしてみると、ほとんど全て似たような歌に聴こえる。
父も当時、聖子も明菜も、みんな同じ曲に聴こえていたのだろうか。

kekeは明菜の「ミ・アモーレ」を歌った。
「いつ覚えたの?」と訊くと、「何となく」と言う。

私は「女々しくて」を歌ってみたいと言った。歌えなかったら歌ってくれと言うと、分かったと言うので、かけてみた。この画面は最初にバンドの誰かが土下座する姿から始まる。映画のように字幕でメンバーの紹介が出る。
kekeが「いきなり歌が始まるから気をつけて」と言うとおり、いきなり始まった。

やはりサビしか分からず、そうでないところはkekeに一緒に歌ってもらう。キーはもうちょっとあげた方が私は歌いやすいようだけど、これでも大丈夫そうである。練習すればたぶん歌えるようになりそうだ。ただ難点を挙げると「女々しくて女々しくて女々しくて」の「メメ」が早すぎて口が回らない。これは不器用な私だけかもしれないが。。。


帰りに腹が減ったな、何か食べようと言う話になり、途中にあるカツ丼屋さんでカツ丼を食べることにした。
二人とも卵とじがあまり得意でなかったので、それしかなかったらどうしようと思ったが、いろんなカツ丼があり、迷いもせず、二人とも「ソースカツ丼」を選んだ。

私は卵とじのカツ丼が苦手だったので、お弁当には母がソースカツ丼にしてくれたのである。だから我が家のカツ丼はソースなのだ。ちょっと邪道なのである。
サクサクしてソースの味もおいしいし、さぞかしkekeも満足だろうと思い、帰りに車に乗りながらおいしかったねーと言うと、kekeは「年のせいか、だんだん揚げ物が重く感じる」と言う。

「これだったら夕飯軽くて済んじゃうね」と言って、家に帰ることにした。

オムツ交換

2014-01-18 | 父の記録と母の思い出
父の病院に行くと「食事の前にオムツを換えますのでお待ちください」と言われた。
カンチョウをしたらしい。

ベッドのカーテンの向こうで父は男性の介護士さんにオムツを換えてもらっている。
「あぁ・・背中まで・・・」と言う声が聞こえ、汚れてしまって服も着替える事になったようだ。

父は大腿骨の骨折をしてから、体をちょっとでも動かそうものなら「イタイイタイ」と大騒ぎになる。カーテン越しから声を聞くだけでも、着替え一つで相当な苦労になっているようである。介護士さんは「ボクがついてます。大丈夫です。」と繰り返すが父は「痛い痛い」「助けてくれ」と繰り返すばかりだ。
「そこはつかまらないでくださいね」と言われているようなので、激しく抵抗しているのだろう。

私はここでぼんやり立ってるだけで良いものだろうか・・と思いもよぎるが、下手にシャシャリ出ても格闘先はウ○コ。。。。何もできないあげくに一度出てしまったら引っ込む事さえできなくなるという最悪のパターンが怖いので、カーテンの向こうで待つことにした。

介護士さんは少しでも気をそらせようと「お好きな食べ物はなんですか?」と関係ない話題に持っていこうとするが、父は相変わらず「痛い痛い」「助けてください」しか言わない。もしかしたら、もうそれ以外の言葉を忘れてしまっているのかも。。。。イタイイタイは毎日こうして使っているから口から出るのだろう。

父のイタイイタイを聞きながら、何十年後自分もこうなるのか・・・と思うと、いつもいつも何とも言えない気持になる。背中までウ○コがついてしまったのは、父が悪いわけではない。
でも、自分で始末もできず人に換えてもらうしかない恥かしさ。コントロール不能。

虚しい。
考える。

この先20年したら、もっと医学は発達して、病気は治る方法が見つかるかもしれない。
でも、果たしてそれで人は幸せになるのだろうか。

その間にも相変わらずカーテンの向こうからは「イタイイタイイタイ!」「助けてくれ!」と声が聞えてくる。さながら、私で言えばあの歯医者のイスに腰掛けて、ガガガガガ!とむし歯を削られている気分に近いのだろうか。あれこそ「助けてくれ」と言う気分である。

言葉もほとんどすっ飛んでしまって、体を動かすたびにあの気分になるのなら、何のために病気を治し、何のために生き続けているのだろう。痛い思いをするためなのか。
でも幸い父は、あっと言う間に記憶がなくなってしまう。
この痛みは、いつまでもは続かない。


そうやって格闘の後、父は車椅子に座らされ(その時も痛い痛いを連呼)、やっと食事をすることになった。
今日は細かく切ってとろみがついたマーボー豆腐、サラダも細かく離乳食のような感じ、それからおかゆ、とろみがついたお吸い物、デザートのプリン。

食べっぷりはよい。
アーンと大きな口を開けて食べる。
こうしていると、さっきの痛い痛いもどこかに消えてしまったようだ。
特にデザートは大好きなようで、すすりっぷりも良い。

そして今はとても穏やかで安らいででいるように見えた。

冬のしあわせ

2014-01-17 | 私の倹約術
スーパーで「蜜芋」なるものが売られていた。
見た目は小さいサツマイモと言うところ。
横にある宣伝文を読むと「鹿児島の種子島でとれた芋で、熱を加えるとスイーツのように甘くなります。」と書いてある。

実はサツマイモはほとんど買ったことがない。
ご飯のおかずにするならじゃがいもだろうと思っているのだ。

手にとってみる。
「スイーツのように甘い」と言う宣伝文にそそられる。
いったいどんな味なんだろう。
4つ入りで398円もする。正直言って高いが、自分へのごほうびに買ってみることにした。

さっそく家に帰って、料理するかたわらで、蒸し器でしばらくふかしてみた。

もうもうと煙が出る中、一つをミトンでつかんで、半分にパカッと割ってみる。

・・・・・・パク。

おぉ~~~~~
本当にスイーツだよ。(^o^)丿
甘い。
(↑最近サツマイモを食べていないので、もしかしたらサツマイモそのものが甘いのかもしれない。)
シ・ア・ワ・セ。


私はこんな風にシアワセを感じ取ってみることにした。

ご飯は一つ一つの味をたしかめて食べる。
おいしさを味わう。

夜、風呂に入る。
温かさを心行くままにたしかめる。

最後に布団に入る。
このまま眠れるシアワセを感じ取る。


今年は、1月から朝エアコンを入れるのを自分に許した。
なので毎朝、暖かい部屋で過ごしている。(←とは言っても30分~50分程度であるが。)
もう体が、腰が、首が、ひざが、いつ痛くなるか分からないので(それで医者に行くよりは)部屋を暖かくした方が節約になるとやっと気がついたのだ。

暖かい。。。


冬は寒いから今まであまり好きではなかったが、よく考えてみると冬は寒いゆえ、シアワセだとほっこりする場面が多いことに気がついた。

暖かい部屋に入る瞬間の心地よさ。

お風呂につかってほっこりする心地よさ。

温かい鍋やスープを口にいれるしあわせ。

こんな心地よさを冬ならではだと、めいっぱい感じとってみる。^^

バカボンのパパと読む「老子」/ドリアン助川さん

2014-01-16 | 読んだ本
この前古本屋で加島祥造さんの「求めない」「受いれる」を見つけた。ほしい、買いたいと思ったが1冊700円である。それでも定価の半分だったのだが、悩んだあげく辞めてしまった。

その代わりに図書館で-バカボンのパパと読む「老子」-と言う本を借りた。ドリアン助川さんと言う人が書いている。加島さんの「1人で自然に自由に暮らす」と言うポリシーはこの老子による影響だそうである。その由来を訪ねるべく読んでみることにした。

この本は和訳がついており、さらに和訳をバカボンのパパがあの調子で訳しており、とても読みやすいが、老子自体がかなり昔の人。正直あまり面白いという感じではない。まだ半分も読めてないし、たぶんもうこの先読まないかもしれないが、今分かった事を書いてみようと思う。

どうもこの老子さんは、組織のトップのあり方について述べているようである。国の王たる人間は欲張ってはいけない、ということを盛んに言っている。

2番目に素晴らしい王様は人から慕われる王様であり、3番目に素晴らしい王様は人から恐れられる王様で、その下はバカにされる王様だそうだ。では、どういうのが1番素晴らしい王様とは、その人がいることをみんなが知っているだけだ、と言う。欲や願望を持たない王様だそうだ。


私はこれを読んで「やっぱりな」と思う。
目に見える世界はどこもかしこも欲のかたまりである。これでどうやって世界が平和になるのか。

そもそも地球上にある「富」は限りがあるように思われる。それを誰かが多く分捕ったり、誰かは取れなくて貧しい思いをしているだけのような気がする。多く奪い取っている人は「自分が素晴らしいから当然だ」と思っている。バカだなぁと思う。
でも、そういうバカばっかりである。もちろん私も含めてだ。

老子さんは「欲がいけない」と言う。
上があるから下がある。善があるから悪がある。
善がなければ悪もないそうである。
上に立つこと、善なこと、正しいことは良いように思われるけれど、そう物の考え方が既にあまり良くないのだそうである。

みんなそんな欲望を捨てて、地球にある富を全部平等に分ける覚悟ができたら、世界中が平和になるような気がする。服もみんなボロボロでよし、寒い地域の人だけには暖房を与え、食物が取れる国の人は頑張ってそういう仕事をしてもらい、そうでない国は違う仕事で頑張るけれど、利益はみんな平等に負担する。不要な文明(ゲームや携帯も化粧も)をやめて誰もが食べるだけ、遺伝子を後世に残すだけとシンプルに暮らす、そういう地球になれば、戦争も軍備みたいなものは必要なくなって平和になるんじゃないの?!

・・・あり得ないか。

まぁそれはさておき、この時代は人の欲望のカタマリのような気がする。

実際に「寒い地域の人には暖房を」と思っても、もっと自分には暖房をくれと言う人、寒くなくても「自分は寒いからくれ」と思う人もいるだろう。
そういう自分ばっかりの欲望を無くす!その心、それが老子さんの解くTAOの道である。(と私は解釈する。)

そう考えると、今の目に見える世界はホントウに!欲望のカタマリで疲れる。
それでも、まだそういう自覚のあるだけマシと思うことにしておく。

仕事探し

2014-01-15 | 息子keke
kekeにいったいこれからどうするの?と尋ねてみると、仕事を探しているらしい。
しかし履歴書を送っている気配も感じられず、私はまたもや不安に思う。

本人は探しているというが、家にいてうすらぼんやりしている時間の方が長いのでは。
「前みたいに夕飯の用意とか茶碗を洗ってくれないか、今日もどこにも行かなかったのだろう。時間はあるじゃないか。」

怒っているつもりではなかったのだが、結局はケンカになった。
またやってしまったと思った。

しかし今日のkekeはその後台所にやってきた。
何か手伝うと言う。
一緒に野菜炒めを作った。
kekeはうっすら泣いていたように見えた。


夜中に私は目を覚ました。
「例えば」と思って、ハローワークのホームページを開いてみた。
いろんな会社が求人を出しているが、経験が必要だったり、資格が必要だったり、学歴が必要だったりする。車でさえ運転歴が必要だったりする。

何の経験もないし、どこをとっかかりに選べばよいかさえ分からない。
どこにも属していないから相談窓口もない。
自分が知っているのは事務の仕事だけ。。。

親も泣きたくなってくる。
いったいどうすればいいんだろう?

私もこうして親に心配させていたのだろうか。

OMさんの息子さんもこれから就活だと言う。
就職が決まっても、そこがどんな職場か分からない、辞めてしまう事もなるかもしれない、と言う。

そんなことを繰り返して、会社に入っても倒産することもリストラすることもあるわけで
今まで仕事をしていない人、続かない人、パチンコばかりしている人、貧乏そうな年よりも、心のどこかでケイベツしていたような気がするけれど、みんな事情があって、私やkekeだっていつそうなるか分からなくって。

kekeはあと2年ぐらいで死にたいと言う。
そう思いたくなる気持が痛いほど分かる今日この頃。

生きていく、それだけでなんて大変なんだろうと思う。

でもまだ私がいるから、kekeには頑張ってほしいよ。

G子の占い

2014-01-14 | 友人
週末G子から電話が無いところをみると、T男とデートができたのだろうか。

正月休みは最後の日に電話がきた。
sakeちゃん、休みはどうしてた?と言うので、父の誕生会や免許の更新をしてたよ、と私は言う。

「今日はT男から電話がきて会ったんだ。」
「よかったねぇ。」

休み中にネットの誕生日占いやってみたの、とG子は言う。
「sakeちゃんは来年の春、いい出会いがあるんだって。」
「来年かぁ~なんだずいぶん先だね。」
「私は今年の11月に転機が訪れるんだって。」

それでねとG子は言い、T男の単身赴任が年内になりそうなんだ、と言う。
「へぇ~占いの11月の転機がそれのことかな。」と私も面白がって言う。

「社宅なの?」
「会社で家賃を補助してくれるんだって。」
「へぇ~」

「sakeちゃんが言ったとおりだね。」
「何が?」
「時間が立つと古女房みたいになるって言ってたじゃない。」
「あぁそれか、私も友達に言われたの。なるほどなぁって。」
「ほんとうにそうなるんだね。」
「うん。」

「引っ越しは手伝いに行くの?」とG子に訊くと「奥さんがするでしょ」とG子は言う。

「そうだった、忘れてた。」
「T男に『どうして奥さんとウォーキングしないの?』って訊くと誘っても来ないんだって。」
「そうなんだぁ」
「どうして一緒にしないんだろう。。。(この頃T男の好きなものが分かって来て)今度料理してあげたいって言ったらすごく驚いてたよ。お前、オレの好きなもの食べたいのか?って。」
「へぇ。」
「奥さん作ってくれないの?って訊いたら何も言わなかった。」
「向こうの内情は良く分からないから何とも言えないけれど、好きな人だったらなるべく喜ばせてあげたいと思うよね。」
「私だったら何でも作るのに。」
「一緒にいるのが当たり前だとそういう気持も無くなってしまうのかなぁ。。。」


と思うのも、私は昔結婚していた元旦那に対して、だんだんそういう気持が薄らいでいたような気がするからである。
もちろん子育てが大変だったり、家事も大変だったり、若かったし心の余裕がなかったのだろう。旦那さんを立てると言う気持より、「私がこんなに大変なのに」と言う気持が強かったのである。

母はよく「男は社会に出ると7人の敵がいる」と言っていた。
それぐらい男が稼いで家にお金を入れてくれるのは大変なことなのだ。
それなのに私は自分ばかりが大変だと、そんなことばかり言っていたのである。

あれは男のどうにもならなかった反乱だったのかなぁ。
今になってそんなことを思う。


いろんなことを思い出す。


「もしそうなったらT男の所に行くの?」と私は訊く。
「その時になったらまた考える。」とG子は言う。

「この1年でアイツをよく見定めてやる。」と言ってG子の電話は切れた。

カラオケ新年会

2014-01-12 | 今の会社
久しぶりに新年会の二次会にも行ってみようかなと思う。
OROと看板屋さんが歩いていて一緒について行くと、看板屋さんは二次会は初めてなんですよ、と言う。

スナックに着くと、お店も開いたばかりでママさんしかおらず、いきなりフロアいっぱいに客が入ったものだから、てんてこ舞いになったようで、nanuさんも次々とお酒を作ってみんなに配り、最近取引してる若いDさんがおしぼりを配っていた。

カンパイも終わると社長がのっけから私の知らない古い曲を歌う。看板屋さんは「社長さんは歌が好きなんですね」と言うので、私と秀クンは「社長が歌った後たまにシバリが入るのよね。」「この前は死んだ人シバリになったよね」と話をすると、OROがマジで?とつっこむ。
社長の歌が終わると、同世代のKさんがウケを狙って「かもめが飛んだ日」を無理矢理合わないキーで歌い、この後歌が入らずドッチラケになってはまずいと思ったのだろう、nanuさんはお前もとにかく次何か入れろと言ってきて、OROが「大塚愛」と言うので、さくらんぼを入れて曲がかかると、お店と会費の交渉をしていたAさんがマイクを取って「それでは今から会費を集めます」と回る。ドタバタ慌しい中それでももう1回と雰囲気は壊さないまま、次へ送る。

その頃、酒乱のライ田さん(仮名)がやってきたので、次の曲を埋めるため、こう言う時だけは「何か歌ってくださいオネガイオネガイ」と頼むと、sakeさんのためにチェッカーズのシェリーを歌います、と言う。

そして「歌を汚すな」とヤジの飛ぶ中、ライ田さんが歌っているとAさんがやってきて「Y山さんとデュエットを歌ってあげて」と言う。Y山さんとは無口でおとなしい、どこかの行きつけ酒場で1人淋しくお酒を飲んでいるイメージの人で、このうるさい状況にたった一人浮いたままうろたえているのでAさんがこっそり話してみると「デュエットを歌いたい」とポツリ言ったそうである。

私は席をはずし(ライ田さん聴けなくてすみませんでした)Y山さんに「歌は何がいいですか?」「居酒屋だったら歌えますか?」等いろいろ訊くけど、Y山さんはなかなかはっきりせず、課長と年齢を考えて「居酒屋だったら歌えるでしょう」と入れてみると、ビックリするほど歌が上手で歌い慣れていた。

そして前にいるZENさんに「何か歌いますか?」と言うと、何とかかんとか分からない言葉を言ってるので「よく聞えません」と訊き直すと「らぁあ!」と言うので曲名に「ら」をいれ、次に「ばぁ!」と言うので「ば」を入れ、「う!」と言うので「う」にして、「る!」と言うので、何を言ってんだこの人はと思ったら、「ラバウル小唄」と言う曲名がヒットした。

そして先ほどから周りに気遣ってばかりのDさんに「どうでしょう歌は」と言うと、「アンパンマン体操を歌います」と言うので、また曲名に「あ」と入れようとすると「冗談ですよ」と言い、それからDさんは悩みに悩みに相当悩みぬいているので、私も可哀想に思うが年齢的に30代半ば♂の人が何がお得意なのか分からないので、助ける事もできないままだったところ、秀クンがその時ゆずを歌っているので、「コブクロはどうですか?」と言うと、歌えると言うので、「nanuさんが得意なので一緒に歌えば大丈夫です」とデンモクを渡す。

ZENさんは歌いながら日本バンザイとか1人2役で歌と合いの手を繰り返し、いつもこの人の選曲の引き出しはよく分からない。そして自分の曲が終わり、Dさんのコブクロの歌になっても、「ホッポウ領土を返せ」と万歳を繰り返す。(Dさん隣で騒がしくてすみませんでした、nanuさんも歌を手伝ってあげてなかったようですみません。)

しかしだんだんと他のテーブルからも曲が入り、私も安堵していると、また目の前にいるZENさんがデンモクをもってこいとホステスさんに目配せして、ホステスさんが持ってくると「ラバウル小唄」を入れろと言う。
「ZENさん、それさっき入れましたよ」と言っても覚えておらず、「ほんとです、今さっき歌いましたってば」と言っても信用してもらえず、隣にいるI田さんから説明してもらい、他の曲にしてもらう。(月月火水木金金)

最後に酔っ払ったライ田さんが、社員の監視の目をくぐりぬけ社長に絡みかかった姿を見た時はギョッとしたが、社長も怒らず握手を交わし、他の人が慌ててライ田さんをかくまった模様。

そんなこんなで二次会は閉会する。

ボンレスハム状態

2014-01-11 | 今の会社
明日は新年会ということで、スーツに袖を通してみる。
他にこれしかないのだから着れなくてもどうしようもないのだが。

しかしスーツが薄い。
この寒波に耐えきれない。
来年こそは新しいスーツ(冬仕立)を購入しようと誓うが、実は何年も前からそう思っている。

おそるおそるスーツを着てみると、ジャストぴったり。
あぁ良かった、また今年も着れて。。。


しかし若干疑問が生じ、「もしや」と再びおそるおそるタグを見る。
このスーツは11号サイズだったのだ。((+_+))ガガーン

私はもう一度鏡を見る。
しかし、どう見てもこれがジャストサイズである。

そうか、私は11号なのだと、ここに至って知ることになる。


思えば倒産する前に買ったスーツなので11号サイズだったのだ。
それから会社が倒産して、私は4日で4キロ痩せ、それからさらに痩せ、合計8キロ痩せて
20代前半の体重を取り戻したのであった。

つまりあの時が9号だったのだ。
私は今の制服を作る時に秀クンから電話が掛かって来て「何号を頼んでおけばいいの?」と訊かれた時に(これから太るかも)と思いながらもつい見栄を張って「9号」と答えてしまい、あれから6年、身体はどんどんふくらみを増し、更に去年1年に至っては年齢的なものもあるのか、さらにふくらみを増し、現在に至る!

そして、現在の制服。
ただならぬ状態である。
スカートは止め具の位置を変え、それぐらいで収まれば拍手喝采なのだが、ベストが胸のボタンが閉まっている所だけが苦しいぐらいにへこんで、他がはじけてボンレスハム状態になっている。

トイレの鏡の前に立つ度にボンレス状態をチェックするのだが、ベストは毎日着ているものなので、ほとんどクリーニングに出していない。そのせいかもしれないが、ボンレスのシワの部分とはじけそうな部分とで色が違っている。(←日焼け?)
よく見ると(よく見なくても)、それがはっきり分かる。

でも「太ったから制服をもう一度買ってください」とも言えず。
誰か、傍から見て「あれ?sakeさんの制服ボンレスハムみたいじゃない?」って気がつかないのか、気がついてても言わないのだろうか。


そして、鏡の前で11号のスーツに袖を通し「服ってこうでないと」これが服だよ、とつぶやく。
正月の休み明けに制服着たら、ボディースーツかと思ったよ、マジで。


こんな人、他にもいるのだろうかと思い、「制服 ボンレスハム」で検索してみると、やはりおんなじような人がいるのか結構ヒットする。。。いや、人のことを笑っている場合ではないが。

わき道で発見

2014-01-10 | 日記
今日はわき道から出ようとしてる車を入れてあげた。

普段こういうことはめったにしない。
バックミラーを見て後ろの車との距離をはかり、ゆっくりブレーキを踏んで止まる、と言うことが私には瞬時にできないのだ。そうしようと思っているうちに、もう車は通り過ぎている。

それからこの前はわき道に止まってた車が実は7台ぐらい連なっていて、私が入れようとしたら、それが図々しくも全部次々に出てきたのである。自分はちっとも進めず損した気分になった。

それでも今日はバックミラーを見ると、後ろの車と距離があったので、「これなら止まれる」と思って、入れてあげた。そして「いいことをしたなぁ(^o^)」と思いながらまた車を走らせた。

ハッ!

「いいことをしたなぁ」と、「何台も入れてあげて損した」と言うのは、こちらの受け止め方の違いだけなのでは?!やったことは同じなのに。。。@@


・・・という事は、こちらの受け止め方を変えれば「不愉快な思い」と言うのは無くなるのではなかろうか。

今まで山ほどブログに「悔しかった!」「悲しかった!」「憤った!」ことを書き連ねてきたが、これらは全部私の思考を変えれば、喜びに変えられるかもしれない。

例えば、「むかつくことを言われる」
これをテーマに考えると、まずその場で自分の考え(反論)を言ってみたらどうかしら。

今まではこういうことはできなかった。
自分が反論されたらイヤだから、相手もされたらイヤだろうなと思ったからである。

でも、自分がそこで言わなければ、相手はそれでイイとずっと思ってしまうから、また同じことを言われる、それが積み重なって最終的に嫌悪になる。。。それよりはまだ、一度は思ったことを言ってみた方が、最終的にはお互いのためになるのでは?

言い方を穏やかに、傷つけないように気を配れば、自分の意見を述べても良いのでは。

それでも平行線のままのこともある。そんな時は自分で自分をほめてあげよう、「一歩譲ってあげてsakeさん偉かったね」と私が言ってあげればいいのだ。

そういう考え方に切り替えれば「あんなこと言われて悔しかった」「こんなこと言われて悲しかった」にはならないのでは?

言われたら、その場で不快であることを配慮しながら表現する。
自分の感情を信じる。
それでも拒否されたら、最終的に自分が傷ついたら「でも、私はそこで譲って偉かった」と自分をほめる。
  ↑
こう言う風にしてみたら、どうだろう?!

これからそういう風にしてみる。(^o^)丿