きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

頑張るということ

2024-03-23 | 女だから思ったこと

昨日は後半は疲れて書きそびれてしまいました。

マドモアゼル・愛さんが時々、今の教育はおかしいという話をしているのです。何がおかしいかというと、純粋に生まれて子供を大人たちが一定の枠にはめ込んで価値観を植え付けているのではないか、というのです。

確かにそうだなぁと思うんですよ。子供は生まれた時は純粋で、いつもニコニコしたり泣いたりするだけなのに、大人が「もっと勉強しなきゃ」とか、偏差値や点数にこだわったりして、どんどん優劣を意識させていくんですよね。そういう価値観を植えつけていることで、「こんな自分じゃいけないんだ」と、頑張っても頑張っても「もっとやらなきゃ」って思い込んでしまったり。
そういう気持ちが人生の楽しみを半分ぐらい無くしていることに気がついたのです。

「この人といても何かくつろげないなぁ」と思うことがあって、それは「一生懸命頑張っている」人だったりします。そういう方と一緒に話していると「今の自分じゃいけないんだ」「もっと頑張らなきゃいけないんだ」とついつい感じてしまうのです。そういうオーラってありますよね。それを感じ取ると、しんどくなってしまうのです。

頑張るということは、「評価」にもつながっていて、よい評価をいただくことはうれしいことだけど、それにこだわってしまうと、また次も頑張らざるを得なくなってしまう・・・・前にどこかの本で「子供の成績や点数がいいことをほめては良くない」と言うのを読んだような気がするけれど、結局「成績が良い」ことをほめるということは、「成績が良くなければ愛されない」というメッセージにつながるそうなんです。(親は条件付けではなく、子供の存在そのものを愛することが大切だそうなんです。)

難しいですよね、子育てって。
私自身もずいぶん失敗して、ずいぶん遠回りをしてきました。でも、その結果が今の息子でいてくれているのだから、結果的にはこれで良かったのだけど、私自身の子供に対する指導は最低ランクでした。

でもそれがなかったら、今もまだあの固定概念の塊を抱えて生きていたのかもしれません。

「頑張る」ことに疑問を持ち始めたのは他にも理由があって、頑張っている人は結構愚痴や悪口が多いのです。もちろんニコニコして人知れず黙って努力をしている人も大勢いるとは思いますが・・・愚痴が出る人が多いのはたぶんしんどいからだと思うのです。人と競り合って比較して頑張って上を目指すことは心が休まらない・・・・だから愚痴や羨みが出るのではないのでしょうか。

事実、私も「頑張っていた」頃は、愚痴や人の悪口が多かった。他人と競り合って生きているとそうなるのだと思います。それが評価につながっている時は良いのですが、そうでない時はしんどくなる。。。評価がいいことが正しいということは、評価されないことを快くは思えない・・・。しかも競争相手は無限にいる訳で・・・・それは羨みや妬みのような気持ちにすらなることもあり、もうそういう考え方自体が疲れてしまうんです。

最近「おひとり様」が流行っているのも、もうそういう比較や頑張ることに疲れている人が増えたこともあるのかなぁと思っています。空や花や鳥は何も言いません。そもそも頑張らなきゃいけないと思っていますのは、昔のアニメが努力して栄光をつかむ系のものが多かったのもあるのかも。
たしかに努力してオリンピックやプロ野球の道を進む方々は素晴らしいと思いますが・・・・それでも命の重さは同じというか、彼らが100点満点で自分がゼロ点ではないと思っているのです。

本当の評価は数字ごときで表せないのでは?。。。とも思うのです。


今日のお昼。買ってきたパンと、かぼちゃで作ってパイプキンスープに、イチゴ(値段が同じなので大きいほうを買ったけれど、甘くておいしかった!!)



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