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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

怒ることが少なくなる

2016-04-01 | 日記
ブログを読んでいる方に申し訳ないぐらい今日も平和な一日だった。

あえて言えば、nanuさんが2年後に家を建て替えるらしいこと(これから家族も増える予定なので家を広くしたいそうである。)、秀クンの奥さんがまた1週間実家に帰ってしまったこと(別にケンカしたわけではなくて春休みだから帰ってるそうである)、ある会社から社長が借金をお願いされたこと、そんなところだろうか。
借金をお願いする方も心うちは苦しいと思われるが、努めてニコニコ穏やかにされている。腹の底ではいろんな思いがあるだろうが、人柄の良さだろうと(嫌味ではなく)そういうところを尊敬した。


さて、最近怒ることが少なくなった。

怒ることはエネルギーが要るのだ。

いろんな本を読んで「怒ることは悲しむことに代用できる」ことを知ったのだ。
いや、逆である。

人は悲しみを覚える時に、それを通り越して怒りで表現してしまうことがあるのだ。
(過去の自分を振り返ると、たしかにそうだと思う。)

そういう時にグッと注意して怒るのを止めてみましょう、と本は言う。

「なんで○○してくれないの!」

と言うのではなく、そういう時には「○○してもらえなくて悲しいわ」と言ってみましょう、と書いてある。

なるほどと思い、そういう風にやってみることにした。
たしかに最初はいらだつのである。

本来怒りたい所をグッとこらえて「○○してもらえなくて悲しいゎ」な~んて言ってられるか!と言う気持になる。

しかし本にそう書いてあったので(複数の本に書いてあった)やってみる。

やってみて分かったことは「なんで○○してくれないの!」と言うよりはその後の雰囲気は悪くはならない。
自分の悲しみを伝えているだけなので、相手はさほど気分が悪くならないのである。

「~~してもらえなくて悲しいわ」と言うことで次の相手の出方を見ることができる。
「そうかそうなのか」と気づくこともあるかもしれないし「でもしょうがないよ」と言うかもしれない。
そこで相手の真意を読むこともできる。

そう、その違いは今この場では効果は変わらないが、相手の気持を推し量ることはでき、次にどう考えるかと積み重ねることはできる。
長い目で見ると相手が変わる「可能性」があるのだ。


そしてさらに大きいことは自分が変わるのだ。

「なんで○○してくれないの!」と言わなくなると、自分自身が相手に期待しなくなるのである。
とりあえず、自分の感情は伝える。でもその効果は期待しない。

それを繰り返すことで、相手に求めなくなるのである。

自分が望むことをしてくれない相手と、今後どう付き合っていくかは自分の意志なのだ。
それを伝えて、それをしない相手とこれからどう付き合うか。
それを毎日自分は判断して、選び取っているのである。


そういう考え方になると、自然と怒る場面が少なくなる。
怒ることが時間の無駄に思えてくるし、愚痴もなくなる。

毎日のこと全てが自分が選び取っていることだし、自分が選べなかったことは、もう受け入れるしかない。
(しかしまだ突然怒りたくなることもあるけれど、怒って訴えてもたいていのことはあまり変わらない。自分が嫌な思いをするだけなのである。)


それでも今後、災害にあったり、ひどい裏切られ方をされたり、何も無いわけはないと思うけれど、自分が選んだ大切にしたいものをできるだけ守って生きていこうと思う。


昨日の晩はカキフライにした。
kekeはもう寝ていた。

お弁当はサバの焼き魚弁当。