ブログを読んでいる方に申し訳ないぐらい今日も平和な一日だった。
あえて言えば、nanuさんが2年後に家を建て替えるらしいこと(これから家族も増える予定なので家を広くしたいそうである。)、秀クンの奥さんがまた1週間実家に帰ってしまったこと(別にケンカしたわけではなくて春休みだから帰ってるそうである)、ある会社から社長が借金をお願いされたこと、そんなところだろうか。
借金をお願いする方も心うちは苦しいと思われるが、努めてニコニコ穏やかにされている。腹の底ではいろんな思いがあるだろうが、人柄の良さだろうと(嫌味ではなく)そういうところを尊敬した。
さて、最近怒ることが少なくなった。
怒ることはエネルギーが要るのだ。
いろんな本を読んで「怒ることは悲しむことに代用できる」ことを知ったのだ。
いや、逆である。
人は悲しみを覚える時に、それを通り越して怒りで表現してしまうことがあるのだ。
(過去の自分を振り返ると、たしかにそうだと思う。)
そういう時にグッと注意して怒るのを止めてみましょう、と本は言う。
「なんで○○してくれないの!」
と言うのではなく、そういう時には「○○してもらえなくて悲しいわ」と言ってみましょう、と書いてある。
なるほどと思い、そういう風にやってみることにした。
たしかに最初はいらだつのである。
本来怒りたい所をグッとこらえて「○○してもらえなくて悲しいゎ」な~んて言ってられるか!と言う気持になる。
しかし本にそう書いてあったので(複数の本に書いてあった)やってみる。
やってみて分かったことは「なんで○○してくれないの!」と言うよりはその後の雰囲気は悪くはならない。
自分の悲しみを伝えているだけなので、相手はさほど気分が悪くならないのである。
「~~してもらえなくて悲しいわ」と言うことで次の相手の出方を見ることができる。
「そうかそうなのか」と気づくこともあるかもしれないし「でもしょうがないよ」と言うかもしれない。
そこで相手の真意を読むこともできる。
そう、その違いは今この場では効果は変わらないが、相手の気持を推し量ることはでき、次にどう考えるかと積み重ねることはできる。
長い目で見ると相手が変わる「可能性」があるのだ。
そしてさらに大きいことは自分が変わるのだ。
「なんで○○してくれないの!」と言わなくなると、自分自身が相手に期待しなくなるのである。
とりあえず、自分の感情は伝える。でもその効果は期待しない。
それを繰り返すことで、相手に求めなくなるのである。
自分が望むことをしてくれない相手と、今後どう付き合っていくかは自分の意志なのだ。
それを伝えて、それをしない相手とこれからどう付き合うか。
それを毎日自分は判断して、選び取っているのである。
そういう考え方になると、自然と怒る場面が少なくなる。
怒ることが時間の無駄に思えてくるし、愚痴もなくなる。
毎日のこと全てが自分が選び取っていることだし、自分が選べなかったことは、もう受け入れるしかない。
(しかしまだ突然怒りたくなることもあるけれど、怒って訴えてもたいていのことはあまり変わらない。自分が嫌な思いをするだけなのである。)
それでも今後、災害にあったり、ひどい裏切られ方をされたり、何も無いわけはないと思うけれど、自分が選んだ大切にしたいものをできるだけ守って生きていこうと思う。

昨日の晩はカキフライにした。
kekeはもう寝ていた。
お弁当はサバの焼き魚弁当。
あえて言えば、nanuさんが2年後に家を建て替えるらしいこと(これから家族も増える予定なので家を広くしたいそうである。)、秀クンの奥さんがまた1週間実家に帰ってしまったこと(別にケンカしたわけではなくて春休みだから帰ってるそうである)、ある会社から社長が借金をお願いされたこと、そんなところだろうか。
借金をお願いする方も心うちは苦しいと思われるが、努めてニコニコ穏やかにされている。腹の底ではいろんな思いがあるだろうが、人柄の良さだろうと(嫌味ではなく)そういうところを尊敬した。
さて、最近怒ることが少なくなった。
怒ることはエネルギーが要るのだ。
いろんな本を読んで「怒ることは悲しむことに代用できる」ことを知ったのだ。
いや、逆である。
人は悲しみを覚える時に、それを通り越して怒りで表現してしまうことがあるのだ。
(過去の自分を振り返ると、たしかにそうだと思う。)
そういう時にグッと注意して怒るのを止めてみましょう、と本は言う。
「なんで○○してくれないの!」
と言うのではなく、そういう時には「○○してもらえなくて悲しいわ」と言ってみましょう、と書いてある。
なるほどと思い、そういう風にやってみることにした。
たしかに最初はいらだつのである。
本来怒りたい所をグッとこらえて「○○してもらえなくて悲しいゎ」な~んて言ってられるか!と言う気持になる。
しかし本にそう書いてあったので(複数の本に書いてあった)やってみる。
やってみて分かったことは「なんで○○してくれないの!」と言うよりはその後の雰囲気は悪くはならない。
自分の悲しみを伝えているだけなので、相手はさほど気分が悪くならないのである。
「~~してもらえなくて悲しいわ」と言うことで次の相手の出方を見ることができる。
「そうかそうなのか」と気づくこともあるかもしれないし「でもしょうがないよ」と言うかもしれない。
そこで相手の真意を読むこともできる。
そう、その違いは今この場では効果は変わらないが、相手の気持を推し量ることはでき、次にどう考えるかと積み重ねることはできる。
長い目で見ると相手が変わる「可能性」があるのだ。
そしてさらに大きいことは自分が変わるのだ。
「なんで○○してくれないの!」と言わなくなると、自分自身が相手に期待しなくなるのである。
とりあえず、自分の感情は伝える。でもその効果は期待しない。
それを繰り返すことで、相手に求めなくなるのである。
自分が望むことをしてくれない相手と、今後どう付き合っていくかは自分の意志なのだ。
それを伝えて、それをしない相手とこれからどう付き合うか。
それを毎日自分は判断して、選び取っているのである。
そういう考え方になると、自然と怒る場面が少なくなる。
怒ることが時間の無駄に思えてくるし、愚痴もなくなる。
毎日のこと全てが自分が選び取っていることだし、自分が選べなかったことは、もう受け入れるしかない。
(しかしまだ突然怒りたくなることもあるけれど、怒って訴えてもたいていのことはあまり変わらない。自分が嫌な思いをするだけなのである。)
それでも今後、災害にあったり、ひどい裏切られ方をされたり、何も無いわけはないと思うけれど、自分が選んだ大切にしたいものをできるだけ守って生きていこうと思う。

昨日の晩はカキフライにした。
kekeはもう寝ていた。
お弁当はサバの焼き魚弁当。

私も怒られるより、悲しまれた方が
自分を変えてみようという気になると思います、。
それに、自分以外の人に何かを
期待するとそれがうまくいかなかったときに
いやな気持になりますものね。。。、。
複数の本に書いてあったのですね。
私も、いま村上春樹さんの「村上ラジオ」
や「村上朝日堂」借りてきています、
そこにも書いてあるといいなと思います^^
お仕事大変お疲れ様です・・。
ずっと「怒り」と「悲しみ」は違うものだと思っていましたが、そういう目で周りの人の行動を見ていると、たしかに本当は思うように行動してくれないもどかしさを、怒りで表現していることが多いです。そういう時に「もどかしい」と言うと上から目線になるので、「悲しい」と言ってみると、いいような気がします。
おぉ、村上ラジオ、村上朝日堂、読まれているんですね!たまに分からない映画や本の話もあるけれど、なるほど!と思うことが多いです。
奥さんのことも大切にしていらっしゃるようで、素敵な方だなぁと思います。
「言葉は人と也の舵取り」とも聞いたことが。
「怒ることに遅くあれ」とどこかで読んだこともあります。
「その言葉発する前の20秒」とか言われたことが私自身あります。
確かにワンクッション置くといいかも知れないなとは思っていましたが。
「悲しい・・」は良いですね。
これ、子供に注意するときも功を奏するような気がしますね。
子供を叱るより「お母さんは悲しいわ」って言った方が子供も傷つかないと。
今までずっと怒りクセがついているので、「怒らない」ようにするのが難しかったのですが、無理にやっているとそれが自然になるようです。
これもどこかの本で読んだのですが、楽しいから笑顔になるんじゃなくて、笑顔をわざとしぜんにしていると、だんだん楽しくなってくるのだとか。心理学の先生の本、あの明石家さんまの番組に出てくる女性先生の本だったと思います。唇の端を上げてニコッとしていると、だんだんそれにつられて気持が楽しくなるとか。
「怒ることに遅くあれ」
ほんと、そうですね。
怒ろうと思っても会えない時、いつしか忘れている時があります。
先だって星座と血液型のことを書かれていましたが、それや、いわゆる理系女子等様々に書かれていますが、人間と言う奴は、そんな事には関係なく、誰しも大切な人には特に期待するところも多く、裏切られた時には、ついつい怒りをぶつけてしまう動物じゃあないでしょうか。
sakeさんが言う様に、これまでもまたこれからも、日々
自分の行く道は自分が選ぶのだから、、、その地表に立って、守るべきものを守って行くと言う生き方は、
私も賢明な選択だと思います。
ただ、いうまでも無く人間、迷いに迷いながら生きて行くもの、、、過去の生き方についても、それはそれで間違っていなかったと思う訳です。
人生は石段を一歩、一歩上り続けなければならないのですから。・・・と思いつつも、今日の記事で私も改めて、我が身を省みる機会を得させて貰いました。
「彼はできるかぎりあなたを楽しませていると信じましょう」ということで、それでも思うように行かないときは「~~してくれない」ではなく「~~してもらえなくて悲しい」と言うようにしましょう、と書いてあったんです。
そんなバカな!言わなければますますヤツは図に乗るはず・・と思いましたが、神様にすがりたいぐらいの気持だったのでだまされたつもりでやってみましたら、たしかにその通りのような気もしないでもありません。
もちろん真実は分かりませんが、少なくとも私サイドは穏やかになりました。(^_^;)
もちろん過去のプリプリ怒っていた自分も否定しないし、今でもその頻度が少なくなっただけで、完全に怒らないわけではありません。(^o^)でも自分でどうにもならないものは、あきらめる用意ができたような気がします。