きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父のうた

2011-11-28 | 父の記録と母の思い出
父の所に行くけど、手を握って伝える(伝わってる?)状態である。
「sakeだよ」と言って「そうか」と返事が来る時もあるし、来ない時もある。

妹は「最近寝てる時が多いね」と言ってたけど、寝るのと起きているのが交互である。
もう意思の疎通は難しくなった。

それでも昨日は調子が良くて♪君の横顔素敵だぜ♪と歌うと、続きを歌ってくれた。
詞は2番や3番がごっちゃになったけど、最後まで歌った。
次に♪おいらはドラマー♪と口ずさんでみると、やはり歌ってくれた。

でも、もうそれだけで疲れてしまって、寝てしまった。
寝たり起きたりをこうして24時間繰り返しているように思う。

隣では半年前ぐらいに入ったおじいさんが、机やいすを拭いていた。
と言っても雑巾はなくて、エアーギターならぬエア雑巾で、である。
あちこち歩きながら、ただ拭いていた。

このおじいさんは、父の隣に座っていて、私が行くと(かまってほしくて)笑顔を見せるのだが、必要以上に絡まれるようになるとと困るので、他人行儀にあいさつして、それ以上入りこまないようにした。

父の所に行くたびに、シアワセばあさんを思いだす。
今日は私が歌ったけれど、今まで父の隣でばあさんがこうして歌ってくれていたんだろう。
それは、私の人形はよい人形とか、東京音頭だったけど、父が元気な時は二人で歌っていたんだろう。


病院の入口で看護婦さんに偶然あって、最近の父の様子を話してくれた。
最近は穏やかで、風邪も(ひいている患者さんもいるのだが)ひいてない、夜も眠れているらしい。
好きな歌は記憶が残っていて、看護婦さんが口ずさむと続きを歌ってくれるそうである。

「食事は自分で食べてますか?」と尋ねると、お腹がすいている(そこに気が向く)と、自分で箸で食べているそうである。

それから前から気になっていたのだが、「他の患者さんはおかゆの人も多いのに、父が固形食なのは胃腸が丈夫なんですか?」と尋ねると、「胃腸では無くて飲み込む力」なのでそうである。
飲み込む力が無いと誤嚥になったり、他の所に入って熱が出たりと言う事があるので、病院でその力を見て食事を調整しているらしい。
父はもう弱っているように見えるが、飲み込む力があると言うことは生命力があるのかもしれない。

父を見ていると、自分がやがてそうなると言う事を認識してしまう。
「死ぬ時に後悔しないように今やりたいことを」と言う思いが強くなるのは、こっちのせいなのか。
(G子も母を亡くしたばかりだ)

それでも何時間もいるわけでもなく、毎日通う訳でもなく、病院をあとにする。
娘にしては薄情じゃないか?ともう一人の自分が言うけれど、やっぱり私もしなきゃならないことも、他にやりたい事もあるのである。

そう思って、あぁそうかもしれない。
自分では薄情かもしれないと内心思うが、人と比べる事じゃないなってことを。