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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

sakeの子供時代

2011-03-07 | あとから選んだ総集編
いよいよこのブログも4月で丸7年になる。

そこでと言うわけではないが、『あとから選んだ総集編』カテも少しづつ充実させよう。

そんな訳で3回目の今日は私がどうしてこんなに世間をひがんでいるか。
そのルーツを探るべく、私の子供時代のエピソードを集めてみた。


●「親からの白々しいお世辞」(2004年8月2日)

私が両親から言われて不愉快だった数々の言葉。
いわゆる「褒め殺し」と言われる言葉の数々。
しかし、ふと気がつくと同じ言葉を我が子に言っている自分。
あの言葉は褒め殺しでもイヤミでもなく、両親の愛情だったと気づく。

●小学校時代のイヤだったこと(2006年10月22日)

私の小学校時代は暗かった。。。
その理由がここに簡単に書き連ねてある。
ちなみにここで書き忘れたが、「給食残してはイケマセン」コーナーもあった。

それは何かと言うと、わらばんしにその月の日付と同じ数のリンゴだかナシだかの絵が書かれており、給食を全部食べた子はその日の日付のリンゴを赤で塗り、ちょっと残した子は黄色か何か、ほとんど残した子は緑で塗りつぶす。
私はいつも食べられなかった子だったので全部のリンゴは緑色。
そして、刑罰のように全員のわらばんしが教室の後ろに貼り出されていた。

同じように緑のリンゴの友達を必死で探すが、それは自分一人だけ、と言うエピソードである。
(しつこいが、こう言う罰ゲームがあるのは体育関係と給食関係ぐらいではなかろうか。あと書き初め?先生の言う事をきかない子、勉強のできない子等への罰ゲームは何もない。)


●哀しきヨイショ(2007年8月11日)


普段私はどうして人にヘコヘコし、バカにされてしまうかの理由が綴られている。
しかし、普段ヘコヘコしてても、心のどこかで自分を奮い立たせる自信が少しづつ出てきたのは、このブログをコメントをくださる皆さんのお陰である。

あの中国茶・・・・あの後誰が飲んだのだろう?
いつの間にか徐々に減って行き、最後には無事無くなったような気がする。