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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ゆるく生きる

2009-12-26 | 女だから思ったこと
風邪で寝込んでいる間に、石野真子の話を思い出した。

たしか彼女は妻子ある人と付き合っていて、その男性が亡くなる時には片方の手は石野真子が、そしてもう片方の手は奥さんが握りながら天国に行ったそうである。

それを読んだ数年前は「げっ!そんなのゼッタイありえない!!」と気味悪いとまで思っていたが、今は「そうか、そう言う事もあるかもしれないよなぁ。。。」と力なく思っている。
人によって、こういう事は定義が変わってくるのだろう、と思っている。
 
ただ、単純に好きだ、好きな人のそばにいたい、とそれだけを思うなら、いろんな形があるのだろう。


さて、来年は私も45歳になる年である。
ハローワークでは45歳以上になると「高年齢者」の層になる。
「雇われにくい年代層」に入るのである。

そんな層になった辺りで、最近いよいよ、「このまま1人かもしれないなァ。」とつぶやいてみる。
今までも1人で生きていくつもりだったが、どちらかと言うと「私は1人で生きていくんだよ、フン」って感じであった。

この言い方。
心のどこかに甘えがあったのである。
こんな私を、誰かみつけてください、と言う甘えがあるのである。
 
来年は、「このまま1人かもしれないなァ。」と言う言い方にしてみよう。
そして、このまま1人で居てみよう。

人は本来、1人で生きていけねばならない性質のものなのだと思う。
誰かと連れ添ってみたところで、いつかはどちらかが1人になる可能性が高い。
相手が病気になって亡くなってくれれば、見た目が何となく良い、ただそれだけの話である。
別れてしまうと、何となく後ろ指をさされているよな気になる、それだけである。

「夫婦仲良く連れ添って自分ひとりが愛されていなきゃいけない」、と言う枠にはめこむから、ある日枠から漏れて泣くハメになるのかもしれない。
別にそうでなくてもいいじゃない。
ダンナは今日も家に帰ってくるし、ここしか帰る場所がないのは間違いないんだから。
 
こんな風に思えるのも、「このまま1人かもしれなく」なった私だからである。

そうかそうか、人は泣いた分、乗り越えた分、やっぱり神様はプレゼントしてくれるのだろう。
だから、大丈夫だ。
どんな悲しみも、私はこれから乗り越えられる。
 

今、思うのは、このアバラ骨が風邪の咳により、また復活してきたことだ。
もしかしたら、もう一生治らないかもしれない・・・そんな不安が頭をよぎる。

でも、45歳にはもう体育の授業がないから、杖がなければ歩けないわけでもあるまい、この程度だったら良しとしようか。
なんて私は太っ腹なのか。
サイフにお金がない分、心は太っ腹になってしまったのか。
 

昨日、出来合いのハンバーグが見切り半額だったので、買い込み家で焼こうとして気がついた。
フライパンがザラザラだったのである。
その前の日に賞味期限がやばい牛乳でホットケーキを焼いていたのだが、火をかけたまま、放置してしまったのだ。(それも2~3時間とかかなり長い間である。)

偶然、寝る前に「ノドがかわいた」と台所に入って発覚した。
いつものようにそのまま寝ていたら、どうなっていたんだろう。
 
フライパンはさっそく買いなおした。
kekeにその話をして「だから気をつけないといけないよ」と言うと、「自分は火を掛けたらこの線(台所)から出ませんから」と言われた。

いやいや・・・火を掛けた事を忘れたんだよ。。。(ーー;)
換気扇を止めた時に、忘れてたと言うか。。。。

最近、若年認知症ではないか?と信じがたいことが時々ある。
これだけは、45歳、気をつけたいと思う。