きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

流産経験から命について

2006-08-26 | 女だから思ったこと
最近「子猫殺し」が話題になって思い出した事があったので、今日は私が思うところの『命』について書いてみようと思う。

私は離婚する1年か2年前に流産だと判定された。言われるまま決められた日に病院に行って、処理を行った。

全身麻酔だった。
気がついた時はすごく体が冷たかったか寒くて、すごく喉が渇いていた。どこかの部屋で自分は転がされている、と思った。そして、右にも左にも同じように転がされている人が居るような気配がした。それは市場のマグロと言うよりも【遺体】と言う感覚だった。(遺体に失礼かもしれないが)
これらは全てその時感じた『気配』だったので、実際にどうだったかは定かでない。

次に覚えているのはタクシーを呼ぶ元気が無くて、私はフラフラと病院の扉を開けて家に歩いて帰ったのである。正確に言うとタクシーを呼ぶ元気が無いのではなく、誰とも顔を合わせるのが嫌だったのである。このまま一人でフラフラ歩いていく事を体が求めたのであった。

そして、この転がっていた自分とフラフラ病院を出る間の記憶が今では全く無い。何も覚えていない。子宮の中にあったものを見せられたのかどうか、見たような気もするし告げられただけだったような気もするし、全く覚えていない。会計をどうしたのかも覚えていない。忘れた方が正しいから、脳がきれいに消去してしまったのだろうと思う。
その後家に帰ると元旦那がコタツでTVを見ていたことだけは、はっきりと鮮明に覚えているが。

私はあの世も仏も魂も全く信じていないから、供養なんてもっての他だし、自分もできれば一番コストの掛からない方法で処理してもらって葬式も墓も要らないと思っている。だから、病院がその後でどのような処理をしても異議を唱えるつもりもない。
でも、そんな私ですら、そんな私でさえも、その後の事を想像すると今でもせつなく泣けてくる。これは何故なんだろう。


・・・と、こういった経緯があるので、私が今ここで万が一『望まれない妊娠』をした場合にも堕胎と言う行為はできないんじゃないかな?と言う気がしている。もう二度とあんな経験をしたくない。しかもここに「在る命」である。私は流産だったから救われたのだ。一度したら、そこから一生逃れることはできないように思う。
一生罪の意識を背負って生きるくらいなら、(結婚できなければ)一人で子供を育てる苦労を選ぶと思う。大変だろうが曲がりなりにもここ8年やってきた。同じ死ぬでもここで殺すことはできない。死ぬ時はいっしょだ。かと言って経済的には自信がない。さすれば認知と養育費を求めることになるだろう。1ヶ月4万で20年だと約1000万になる。

こう考えると、数万だかを払って「できちゃったら堕ろさせればいい」と考える者(男)に対して「お前こそ死んじまえ!」と思うくらい腹が立つ。その命を封じるか育てるかの権限は女にしかないと私は思っているからだ。
私は堕胎はしないだろうと書いてみたけれど、人によってはどうしようもない事情もあるし考えもあるから、私は堕胎が悪い、いけないとは思わない。でも、あくまでも選択は本人がするものであって、子を宿していない男が求めるものではないと思う。男は黙って1000万円払っていくか結婚をするしかない。その覚悟ができない相手とはセックスしなければいい。覚悟を決めるまで道具やバーチャルで済ますべきだと思う。だからいい加減な行為だけを求める男が大嫌いだ。

しかし、飲み会の席で「ほら、お前の後ろに水子の霊がいる~」「何人だっけかな」なんて笑って話せるうちの会社の人達を見ていると、男はやっぱり分かってないとしか言わざるを得ない。金を払えば責任を果たしたと思っているのか。女の会話では堕胎はギャグにはならない。
私も元夫に「全身麻酔でうんたらかたら遺体になって」なんて話ができなかったから、きっと男はそれが何であるのかを知らないのだと思う。こんな話、相手の男になんてできないよ、こっちの気がおかしくなってしまうから。忘れた頃にはそんな話飛んでしまうし。

だから、私は今日書いてみた。
普段このブログは、常連の心広い男性以外にはなるべく目に留まらないように祈りながら書いているけれど、今日の話だけはたくさんの男の人の目に留まる事をひそかに期待している。そして、『命』と言うものはどういうものだかもっと想像してほしいと思う。

少なくても、数万だかを出して「堕ろしてくれ」などと平気で言える者に『子猫殺し』について語る資格はない。避妊しないセックスは後に1000万掛かる事を覚悟して励んでほしいと思う。