斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

マックス・ヴェーバー 「職業としての政治」

2012-07-22 21:10:37 | 議員活動
「善からは善のみが生ずるといまだに信じている者がいるとすれば、
それこそ政治のイロハもわきまえない『政治的未熟児』である。

指導者のよき動機もしばしばその仲間の、あるいは部下の余りに
人間的な動機によって裏切られるというのが、政治の現実である。

「政治にタッチする人間は、権力の中に身をひそめている悪魔の
力と手を結ぶもの」である。
しかもこの悪魔は恐ろしくしつこく老獪である。

「もし行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、
内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまう
ような結果を招いてしまう」。

可測、不可測の一切の結果に対する責任を一身に引き受け、
道徳的に挫けない人間、政治の倫理がしょせん悪をなす倫理
であることを痛切に感じながら、「それにもかかわらず!」
と言い切る自信のある人間だけが、政治への「天職」を持つ ―

心情倫理:自分が正しいと信じるままに行動するのか、
責任倫理:結果への責任を重んじて行動するのか ―。
この二つは絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って
「政治への天職をもちうる真の人間をつくり出すのである」

〈マックス・ヴェーバー 「職業としての政治」から一部抜粋〉

このヴェーバーの言葉を何度、いや何十回読み返したことか。
「それにもかかわらず!」と言い切れない自分自身に“政治”
への葛藤がある。

「職業としての政治」の訳者、脇 圭平氏は最後にこう結んでいる。
「(ヴェーバーの)『政治と倫理』に関する問題提起・・・・
20世紀政治学の古典として、「君主論」と比べられるこの本を
これから政治学を学ぼうとされる若い方々だけでなく、現に政治を
本業とされている「政治家」の方々にも、「君主論」と並べて読ん
でいただければと願っている。」と。

1919年1月ミュンヘンでおこなったヴェ―バーの講演は100年近く
経った現在も何ら変わることなく「政治」というものの真髄を
実に適切に語っているように思う。

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