斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

女性議員パワーアップ講座に参加して

2017-01-30 00:44:52 | 議員活動
1月11日東京の参議院議員会館で行われた「女性議員パワーアップ講座に
参加して」の原稿を依頼されて、締切日の今日やっと送ることができました。

11日当日講座が始まる前にニュースレター担当の議員から原稿の依頼を受け、
私にとって今一番関心ある「議会改革をすすめよう~多様な政治参加を
私たちの手で」の講座を選びました。
講座には各地から多様な形で議会改革に取り組んでいる4人の女性議員からの
事例報告があり、最後に福嶋浩彦さんがコメンテイタ―として「議会改革」
についての総括を行いました。

誰もが活動しやすく多様な声が反映される議会をつくるために、会議規則
への産休育休の制度づくり、超党派女性議員による政策提案、議会基本条例
の策定、市民との連携などについて約2時間近くに渡り事例報告と意見交換
がありました。

この原稿は私の感想も入れると6人分の報告を800字から1,000字以内に
まとめなければならず、資料を読みテープを聞けば聞くほど、その中身の
濃さ深さ、活動の素晴らしさに感銘してしまい、一人150字ほどにまとめる
ことが難しくなるばかりでした。

一体このパワーはどこから出てくるのか、活動している女性議員たちの気力、
体力、能力、実力の素晴らしさに圧倒されてしまうばかりです。

ただここで一つだけ確実に言えることは、「女性たちの連携と連帯」が
このパワーの源泉になっているということです。
このパワーが確実に広がり進展して行くことを確信しています。


言いたいこと、お知らせしたいことがあり過ぎて・・・

2017-01-22 01:16:57 | 議員活動

この10日間に起こったこと、また東京での「女性議員パワーアップ講座」
と「市川房枝記念会」訪問のこと、過去との関連も含め、言いたいこと、
お知らせしたいことがたくさんあり過ぎて、頭の中がいっぱいになって
しまい、何から始めたら良いのか分からない位多すぎて、書き出せない
のが正直な心境である。
でも黙っていたら何も変わらないし、体の中に毒を貯め込むばかりのような
今の状態では良いはずがない。
「地獄に落ちても構わない」「千尋の谷」に飛び込む覚悟で正直にどんどん
公開していくことしかないと思う。

小さな、些細な発信が予震となって大きな地震を誘発するかもしれない。
しかしそれを怖れて、黙っていたら、体中が毒で満杯になってしまい
吐き出すしかない。誰でも限界というものがある。
出来るだけ発信することが一番の解毒剤になるのかもしれない。

1995年1月17日5時46分

2017-01-18 00:47:46 | 自然の驚異
あれから22年、阪神淡路大震災からもうそんなに経ったとは。

あの時の衝撃は今でも忘れずに覚えています。
真っ暗闇の中で、突然、頭の上にブルトーザーが大きな音を立てて、
迫ってきたかのような感じでした。

前日の夜6時頃、家に遊びに来た友人と帰り際に
「神戸には地震がないから・・・」という会話を交わしたばかりでした。

電気、水道、ガスが止まり、毎日給水に出かけました。
電気につづいてガスが比較的早く復旧したものの、水がないので
2週間近くお風呂にも入れず、洗濯もできず、食器の洗い物も普段の
十分の一以下の量で済ませました。

でも不思議なもので慣れるとそれほど不自由には思いませんでした。
「人間の適応性」はすごいものだと感じました。と同時に
「今まで何という無駄使いをしてきたのだろう」と思いました。

震災から3週間目、友人と誘い合わせて長田区に炊き出し
ボランティアに出かけました。普段なら40分程で行ける所が、
渋滞で4時間余りかかりました。粉塵のためマスクが必要でした。
トイレは使えないので10時間位は我慢して過ごしました。

大きなビルがまるで長方形の積木が“パタッと”そのまま横になった
かのように倒れていました。その姿が何故か、不思議でなりません
でした。長田区のまちの中には「戦争の記録」に残された終戦後の
焼野原の光景そのもののような場所もありました。
倒壊した家や建物の下敷きになって逃げられず焼け死んだ人たちが
たくさんいたと聞いています。

何故かその光景を見ていると自然と涙が流れてきて止まりませんでした。
人間とはこの自然界を構成するチリのような小さな存在に思えてきました。

今にして思えば、東日本大震災のような原発事故による放射能汚染の
被害がなかったことが、最大の救いだったように思います。

人に助けを求めることは、・・・・・

2017-01-10 07:25:27 | 家族
私の昔からの友人であり、大変尊敬している黒岩秩子さん、現在も大活躍
しています。その彼女の息子さんの黒岩揺光さんの手記を紹介します。
私は大変感動しました。
少し長文になりますが、お時間のある方はお読みください。

人に助けを求めることは、その人に迷惑をかけることではなく、幸せを与える行為です
投稿日: 2016年12月14日 10時16分

過労、介護、育児、いじめ、災害、失業。様々な理由で自らの命を絶つ人をメディアが
取り上げる際、よく「見過ごされたSOSのサイン」という見出しの記事を見かける。
一方、どうやって見過ごされないSOSを出せばいいのか、書かれたものは少ない。
私は、中東ヨルダンで妻を亡くした。9月6日に長男の千汪(せお)が生まれ、その翌日、
大量出血で亡くなった。計り知れない精神的ダメージを被りながら、私は、3500グラム
の新たな生命の存続を託された。
当初、妻の母乳に頼るつもりだったため、粉ミルクの作り方すら知らなかった。

まず、生後5ヶ月の赤ちゃんがいるイギリス人の友人夫婦に電話をかけ、そこに泊めてもらい、
要らなくなった赤ちゃんグッズをもらい、粉ミルクの作り方などを教えてもらった。そして、
小さな子どもがいる日本人の友人に電話をし、「私のアパートに行って、赤ちゃんグッズがすべて
あるのか確認し、ないものをすべて買い揃えてもらえませんか?」とお願いをした。
そしたら、その友人が「わかった。ありがとう」と言ったのだ。私は一瞬、自分の耳を疑った。
なぜ、頼みごとをしている私が感謝されるのだろう。

次の日、日本から母と姉がやってきた。無論、千汪がいるため、私は空港へ迎えに行くことはできない。
別の日本の友人にお願いしたら、再び、「ありがとうございます!嬉しいです!」と言うのだ。
私は迷惑をかけているはずなのに、なぜ感謝されなければならないのだろう。その友人に聞くと、
「こういう時って、どう声をかけたらいいのかもわからないじゃないですか。
でも、何か役に立ちたい。だけどどうしたらいいのかわからない。
そんな時に具体的なお願いされたから、『ああ、今、黒岩さんはこういう支援が必要なんだ』
ってわかって、嬉しかったです」と言う。

「迷惑をかけるな」「他人様の時間を無駄にするな」そういう考えに縛られてきた社会で育った
私にとって人に助けを求めることが、喜びを与える行為になりうるということが、とても新鮮だった。
妻は国連職員で、妻の配偶者としてヨルダンにいた私は、新潟の実家へ戻ることにした。
しかし、妻の葬儀や引越しの準備や病院とのやり取りなどのため、1ヶ月以上、ヨルダンで千汪と過ご
さなければならなかった。新生児を抱えながら、様々な諸手続きを1人ですべてやることは、
精神的にも肉体的にも不可能だ。

私はフェースブックで呼びかけた。「私が日本へ発つまでの間、どなたか、ヨルダンに来て、
住み込みで育児支援をしていただけませんか?ベビーシッターを雇うより、私の友人に世話してもらったほうが、
妻も喜ぶと思います」。そしたら、数日以内に、10人もの友人から承諾を得た。
9月16-23日にアメリカから、23-27日にスイスから、27日ー10月2日にオランダから、
2日ー8日にタイから、8日-11日にフランスから、11日ー18日にアゼルバイジャンから、
18-23日にインドネシアから、それぞれリレー方式で友人が住み込み、育児と家事を手伝ってくれた。
そして、彼らは口を揃えてこういった。「ここに来れて幸せ」と。

最も印象的だったのは、友人の一人が言ったこと「ヨルダンでの葬儀に行くことも考えたけど、
葬儀でヨーコーと話す時間なんてないだろ。だったら、自分たちが一番必要とされている時に
ヨルダンに行こうと思った」。
ヨルダンにいる友人からも「何かできないか」とメッセージをたくさん頂き、私は「時間があれば、
レストランから料理をテイクアウトして家に持って来て、私と一緒に食べてください」とお願いした。
そしたら、毎晩のように、誰かが料理をもって来てくれた。そのうち、私とテニスをしてくれる友人や、
ボードゲームをしてくれる友人、要らなくなった家具を売りさばく友人などが現れ、支援の輪が広がっていった。

妻が亡くなって3ヶ月たつが、まだ一晩も、一つ屋根の下で千汪と2人だけで過ごしたことはない。
いまだに、一人で車を運転中に突然、涙が吹き出てきたりするが、ほとんどの時間、誰かが傍にいてくれる
おかげで、何とか持ち直すことができている。ヨルダンから日本へ飛ぶ時も、母と友人が付き添ってくれ、
千汪も私も、これまで一度も体調を崩していない。
「これだけ多くの人がヨルダンに来たのは、2人の人柄あってのことだよ」とたくさんの人から言われた。
確かにそれも一因なのかもしれないが、私は、もっと大事な要素が二つあると思う。

第一に、人間関係の濃密度や人柄とは全く別の次元で、人間の情は突き動かされることがある。
実際、駆けつけてくれた友人の中には、プライベートで数回お会いしただけの友人もいた。
「私も出産のとき、大変な想いをしたから、どうしても何かしたかった」と、生後10ヶ月の息子を
アゼルバイジャンに残し、ヨルダンに来てくれた友人は言った。
第二に、私が明確なSOSを発信したことだ。いくら私たちの人柄が良くても、私がどんな支援を必要と
しているのか伝えない限り、助けを得ることは難しい。だから、皆さんにお伝えしたい。困った時、
「私を助けてくれる友人などいない」と決め付けず、「こうしてほしい」という具体的なSOSを出し
続けてください。たった1度しかお会いしていない方が、あなたのメッセージに突き動かされ、
救世主となって現れる可能性は十分にある。もちろん、中には「そんなことくらい自分でやれよ」
と冷ややかな目を向ける人もいるかもしれないけど、100人に発信して1人でも助けの手を差し伸べて
くれるなら、それはあなたにとってだけでなく、相手にとっても、とても大きな財産になりうる。

多くの人がSOSを出せない中、なぜ私は出せたのか。
それは千汪がいてくれたということに尽きる。
彼を守るためには、どうすれば良いのかを第一に考え、そのためには、まず自分が健康でなくては
いけないと言い聞かせた。妻が命をかけて残してくれた最高のプレゼントのおかげで、
人生最大の危機を私は生き延びることができた。妻から学ばせてもらったことを、
一人でも多くの人に伝え続け、天国にいる妻を少しでも喜ばすことができたらと思う。

福井地区親交会総会と新年会

2017-01-10 00:04:37 | 地域活動
福井地区親交会は現在58世帯が加入しています。
毎年1月の2週目頃に総会が開かれています。
10年前移住して初めて総会に参加した頃は慣例・慣習に従い???
質問や発言は一切なく約30分位で終了していました。しかし
年1回の総会がこれで良いのか疑問を抱きました。
じっと我慢してきましたが、その後の総会で私が一石を投じた
ことから、総会は発言者が多くなり大変活発になりました。
(総会で発言することは“良くないこと”という雰囲気がありました。)
参加者から「お陰で温泉に入る時間が無くなってしまった」と文句を
言われましたが、それ以来2時間の総会は時間が足りなすぎる位です。

今日の総会は予定時間の2時間をオーバーして、審議半ばで採決して
決定してしまいました。福井地区親交会は6班ありますが、
班長の負担を軽減するためという理由でお金を払うことになりました。
詳細の取り決めはこれからになると思いますが、私はお金を払うことが
解決策になるのか疑問です。もっと熟議が必要ではないかと思います。



総会後の懇親会の様子