斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

脱原発をめざす女たちの会

2012-11-29 15:00:10 | 福島原発事故
「脱原発をめざす女たちの会」に参加しました

11月23日(金)東京の明治大学アカデミーホールで
開催された「脱原発をめざす女たちの会」
―こうやって原発を止める―に参加しました。

瀬戸内寂聴さんと香山リカさんのビデオメッセージ、
松田美由紀さんのお話があり、
地球上の全ての生命は原発に握られていること、
子どもたちを守らなければならないと話されました。

鼎談〈私たちはこうやって原発を止める〉では
国際環境NGO満田夏花さんの司会で
国会事故調委員の崎山比早子さん、
参議院議員(民主党)の大河原雅子さん、
参議院議員(社民党党首)福島みずほさんの三人が
話されました。

私たちは「福島から何を学んだのか」、
福島の健康管理調査では40%の人たちに問題が出て
きているが原発との因果関係を認めようとしない、
原発を平和利用の名目で拡大を図っている、
原発を止める、再稼働させない、新設させない、
「核のゴミ」はこれ以上作らせない、
活断層で止める、
脱原発基本法の制定、
2020年までに総ての原発を止める。
一人一人が「原発」をどう考えるか、
命を第一に考え周りに流されないよう
各人が判断基準を持つこと、
ドイツではなぜ脱原発に成功したのか、
政治家に理解させること、
日本にふさわしくないエネルギーである、
脱原発キャラバン、
12月16日の国政選挙で確り選ぶこと、
などが話されました。

つづいて東京都知事候補の宇都宮けんじさんが壇上で
「津波・地震は自然がもたらすもの、原発は人間が
作ったもの必ず止められる、福島原発の電力使用は
都民であり、支援する責務がある」と話されました。

最後に「私たちのとりくみ」と題して
スライドショー「祝島の女たち」(山口県上関町)のDVDがあり、
ステージには全国で脱原発をめざしてしている7人の女性たちが
とりくんでいるさまざまな活動を発表しました。
〈大間・あさこはうす〉の小笠原厚子さん、
〈島根原発反対運動から〉芦原康江さん、
〈福島原発告訴団〉武藤類子さん、
〈浜岡原発本訴の会〉佐野けい子さん、
〈首都圏反原発連合〉Misao Redwolfさん
〈原発のない未来を・中野アクッション〉松井菜穂さん、
〈杉並の運動〉東本久子さん

参加者は600人でした。

終了後多くの方々との出会いがあり、
全国の活動家たちとも直接お話しでき、
脱原発への思いを共有できたことは
大きな成果になりました。

「ふくしま会議2012」に参加して

2012-11-21 00:59:30 | 議員活動
11月9,10,11日の3日間、福島で開催された
「ふくしま会議2012」に参加しました。
この会議の開催を7日の夕方に知り、8日朝、昆布駅からJR・
新幹線を5回乗り継ぎ9時間余りかけて福島駅につきました。
夜8時頃福島駅からこの会議の事務局長に電話をしました。
「福島に来てくださって、ありがとう。」の言葉がいつまでも
心に残っています。福島は美しい紅葉の盛りでした。

1日目の9日は
「そうだ、現地へ行こう!ふくしま会議2012バスツアー」
に参加しました。
朝8時に福島駅に集合。参加者は32名でした。
福島駅を出発、道の駅川俣で休憩、飯館村へ向かいました。
バスのなかでは飯館村の村民の若い男女2名が現地を案内して
くれました。
飯館村に近づくとガイガーカウンターが鳴りっぱなしでした。
飯館村の草野小学校から白い防護服を着た作業員の除染作業を
眺めました。
袋に積められた放射能物質が一面に広がって見えました。
村内の綿津見神社を回り、飯館村役場を尋ねました。
飯館村役場には一日1~2名の職員が交代で隣接町村から通って
来ているとのことでした。
役場内のモニタリングポストには1時間当たり0.64マイクロ
シーベルトの数値が示されていました。
役場の片隅では東京大学生産技術研究所が「単体固定化吸着剤を
用いた環境中からの規模分散型セシウム改修プロセスの実用化」
と称する土壌の放射能除染のための研究が行われていました。

道の駅南相馬で昼食を取り、その場で3人の方々から現地の様子
のトークがありました。
南相馬の道の駅から4月に警戒区域を解除された原発から
20K圏内の小高区女湯~福岡~浦尻~原発から10㎞封鎖ゲート~
小高神社を回り、福島駅には夜7時過ぎに到着しました。

10、11日は福島大学で会議、討論、議論が行われました。
全国からまた海外からも延べ400人近くの研究者、専門家、医師、
NGO,ボランティア団体が集まりました。

10日は福島大学で全体会議:次世代のために、私たちは何を
すべきなのか?活発な話し合いが行われました。

11日は分科会が5か所で行われ、私は「自然エネルギーは地域を
創れるのか」に参加しました。デンマークの自然エネルギーを推進
している専門家とのテレビ討論も行われました。
午後から全体会議があり「子どもたちの未来に向けて:
子どもたちの未来を守るために取り組むべき問題やその方法に
ついて具体的に議論しました。
3日間びっしり真剣な討論、報告、議論が行われ、中身の濃い、
深い、大変盛りだくさんの会議でした。

3.11以来、「大震災の被災地に行かなければ」という想いが、
突然実現し、それも「ふくしま会議」に参加できたことは
大変意義深いものと考えています。

「ふくしま会議」に参加して初めて現地の生の声を聞き、
これまで気づかなかったこと、知らなかったことがたくさん
あることがわかりました。
「福島」の問題が私たちに突きつけている根本的な問いかけは何か、
この会議で明らかにされてきた気がします。
一人でも多くの人々が福島を訪れ、“気づき”を体験しなければ
ならないとの想いを新たにしています。

防災講演会「東日本大震災を経験して伝えられるもの」

2012-11-19 13:16:36 | 議員活動

11月18日(日)蘭越町民センターで岩手県大槌町の町議会議員、
後藤高明さんの「東日本大震災を経験して伝えられるもの」
~震災より学んだ体験談から防災や命の大切さを伝える~の講演が
ありました。体験者のまさに“生の声”のお話に胸を打たれ、
会場は“し~ん”と静まり返りました。
大槌町の人口15,000人が今は10,000人前後になりました。

着の身着のまま、何か月もの避難所暮らし、蘭越町から届けられた
炊き出しのジンギスカンの美味しかった事。

この大槌町と蘭越町のご縁は蘭越町の佐野さおりさん母娘と後藤さん
との出会いから始まりました。
佐野さんは震災後インターネットで困っている避難所のことを知り、
2トントラックに救援物資を積んで岩手県の金沢町(かねざわちょう)
にある避難所へと向かいました。
その勇気と信念の強さに驚かされました。
まだ若い佐野さんが小さな娘さんを連れて全く知らない土地へ、
しかも震災後の大変な混乱期に困っている人を助けるために
自分で車を運転して現地へ向かう。
その途中で後藤さんに道を尋ねたことから始まりました。

大槌町の浸水率は51%、陸前高田市の36%をはるかに超えています。
公共施設は一か所だけ残り、それは少し高台にある中央公民館でした。
22年前にこの公民館を建設した時、町長は大変非難されたそうですが、
今回の津波で多くの町民の命を救い感謝されました。
町職員は、町長他管理職全員を含む32名が亡くなったとのことです。
大槌町では1,300人以上が亡くなり、不明者470人で約1,800人近い
方々を失ったことになります。大槌町は高齢化率60%の町です。

防災計画そのものに問題があること。
3.11の起こる2か月前、防災倉庫を設けたが、何も入っていなかった。
水が豊富に出るので井戸を数か所掘ったが、津波に遭い一つも役に
立たなかった。
市町村の学校は地域に合った防災対策を教育委員会で作成する必要が
あること。第三者による検証委員会を立ち上げたこと。
〝人間の生き方″、自然の力には勝てないという現実。
今の科学ではわからないことがたくさんあること。
“備えあれば憂いなし”“人の命の大切さ”、
守られる防災計画が必要である。
地域に合った防災計画に地域住民が参加することが大切であり、
地域に合った避難方法・避難路を考えなければならない。
避難所を再点検して欲しい。

原発事故地から離れている岩手でも牧草地はセシウムで汚染され
ほとんどダメだそうです。マツタケも食べられない。
“大槌町の大失敗”を繰り返さないためにも、防災のあるべき姿を
体験から伝えていただきました。
常に~後世に伝えるべきもの~の大切さを学ばせていただきました。

ニセコ町議会報告会・町民との意見交換会が開催の報告

2012-11-03 00:33:26 | 議会・議員
11月2日(金)18:30~20:30 ニセコ町役場第ニ庁舎
大会議室で開催されました。
ニセコ町議会主催の第1回目の議会報告会
町民意見交換会でした。
議員は10名全員出席しました。参加者は29名で
町外から議員の方が1名参加しました。
ニセコ町役場職員も10名ほど参加しました。

猪狩一郎副議長の司会・進行で進められ、議会事務局が
準備した資料に従い議長の挨拶、議員各自による
自己紹介につづいて、議会の概要、報告事項、総務常任
委員会、産業建設常任委員会の各委員長から資料に基づき
報告が読み上げられました。

町民との意見交換会が19:19~20:30まで行われました。
14件の質疑がありました。
○請願と陳述について
○議会報告会を開催した動機について
○議員定数について平成23年度から定数の上限は撤廃された。
これ以上議員定数は減らすことのないようにしてもらいたい。
○議会・議員はどうあるべきか。
○新幹線開通と共に在来線存続の2,000名分の署名を集めたが、
不採択になったことは納得がいかない。町民の約半数が署名
しているにも関わらず民意が反映されていない。
○在来線に関してこれからも積極的に働きかけていく。
○“原発”はニセコ町にとって重大な問題、議員一人一人の
“原発”への意見を述べてもらいたい。

*議員10名中8名は“原発”はない方が良いが、
いきなりなくすることにはならない、一度になくなる
ことはできない、完全になくなるのはむずかしい、
なくなったら経済はどうなるのか、事故のない方向で
原発を無くす方向に行くのが良い、廃炉にするにも
30~40年かかる。予算はどうするのか、等々の
異音同義語でした。

それに対しして2名:三谷典久議員と私は即“原発”停止
原発ゼロを訴えました。町民一人ひとりの命に関わる問題で
あり、正しい情報を得ていかなければならない。
議員同士の議論・勉強・学習会の必要を痛感させられました。

○議会と町民の距離を近づけるためにインターネットの活用。
○“教育”の問題、副読本に問題がある。電気がなければ困る
という方向で脅しに乗ってしまう。
命がなければ電気があってもどうなるのか。
○原発事故の現状。秘密保持、現状ではニセコ町に真実は
伝えられない。
○泊の再稼働の時期、来春か、来夏の可能性がある。
ニセコ町が独自の協定を出している。
○“原発”を段階的になどと言っているのでは“命”は守れない。
泊沖に活断層が新たに発見された。
○議会の役割とは何か。“原発”は地震・津波だけではない。
“原発”そのものが危険である。
○夜間議会の開催。
○この議会報告会で議員は公人か私人か。

*議会開催の議会報告会であり、そこに出席している議員は当然
“公人”です。

今後も2回、3回と定期的に開催していきたい。

以上が議会報告会の内容です。
聞き漏らしや、聞き違いの所もあるかもしれませんが、
確認できた段階で速やかに訂正したいと思います。

大変活発な意見交換会になり有意義なものになりました。

私の意見:議員間の話し合い、勉強会・学習会の必要性を
痛感します。地方分権・地域主権が確立してきた現在、
議会のあり方は住民と議員が話し合い・意見交換を活発にし
住民参加の議会にすることが今後ますます大切になると思います。
全国で議会改革が進められていますが、議会改革はまず
議会事務局改革が先決問題であると考えます。