斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

マックス・ウェーバーとの出会い

2020-02-08 01:29:02 | 政治
マックス・ウェーバーの代表的講演録「職業としての政治」は政治家に
とって何時の時代であってもバイブル的存在と言えます。
この「職業としての政治」の本を読んだのは議員になってからですが、
この本のことは学生の時から知っていました。
北大の研究生の時宗教学の宇野教授のゼミに参加してウェーバーの代表作
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を学びました。
ドイツ語の原文で読まされ、ドイツ語を第2外国語に取得したのですが、
ほぼ役に立たない状態でウェ―バーのドイツ語原文と英語訳、日本語訳を並べて
必死に学びました。私だけでなく他の学生もみな同じようでした。
マックス・ウェーバーの文は実に長文で途切れることがなく悪文の代表である
と言っていたのを思い出します。理解するが大変でした。日本語でも大変なのに!
ゼミに参加していた学生は3~4人位でいつも先生の研究室でありました。
先生がコーヒーを入れてくれて、「私が入れましょうか」と尋ねると先生は
「ここは私の研究室だから、(これは私の仕事です。)私が入れます」と
おっしゃっていつも先生が入れてくれました。
宗教学は文化人類学と並んで実に面白いし一番関心ある分野です。

近代社会の初期の資本家たちは敬虔なクリスチャンで宗教の倫理観が資本主義
の精神になっていたこと、しかしその倫理観に支えられた資本主義はその後
魔物のように独自の進化をつづけ、巨大化して格差社会を生み出して行った
ように私は思います。まるでAIのように人工知能が人間の手を離れて制御が
効かずどんどん進化していくように見えます。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバー没後100年、2月6日(木)の道新に
姜尚中(カン・サンジュン)氏と石破茂氏の対談が掲載されています。
この対談の一つ一つが重く胸に響きます。新聞から抜粋して紹介します。

ウェーバーの言葉 「職業としての政治」から
「政治家にとっては、情熱―責任感―判断力の三つの資質が特に重要である」
「単なる情熱だけでは充分でない。情熱は、それが『仕事』への奉仕として、
責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、
はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力―これは政治家の
決定的な心理的資質である―が必要である」
「政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によってのみ培われる」

以前「リンカーン」の映画を見ましたが、この映画の中でスピルバーク監督は
マックス・ウェーバーの「職業としての政治」の中で『心情倫理』(自分が正しい
と信じるままに行動すること)と『責任倫理』(結果への責任を重んじて行動する
こと)は絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って「政治への天職」をもちうる
真の人間をつくり出すのである。」とありますが、映画の中でリンカーンの
「奴隷解放宣言」後、憲法13条修正案の議決を巡り、三分の二を超える議員の賛成
を集めて議案を通過させるリンカーンの姿を描いています。
政治家としてのリンカーンの情熱・責任感・判断力が良く描かれています。
もう一度この映画を見たいと思っています。

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