小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

395 津守氏と安曇氏のつながり

2015年06月02日 01時02分10秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生395 ―津守氏と安曇氏のつながり―
 
 
 そして、倭氏の他で津守氏とのつながりが考えられる氏族に安曇氏(阿曇氏とも
表記)がいます。
 
 丹比氏を扱った時に、丹比神社の近くに大饗という地名があり、この地名から
大嘗祭において食膳を司る役目を担っていた安曇氏が連想される、とお話ししま
した。
 安曇氏と呼ばれる氏族には、大嘗祭で食膳を司った安曇宿禰の他に、安曇連、
安曇犬飼などの氏族がいます。
 
 住吉大社の境内には大海神社(たいかい神社)が鎮座します。
 大海神社は住吉大社の摂社となっていますが、『延喜式』に記載されている式内社
です。なお、『延喜式』では「大海神社」は「おおわたつみ神社」となっています。
 祭神は豊玉彦命と豊玉姫命ですが、神社の名前から、豊玉彦命は綿津見神と考え
られます。
 それに、『新撰姓氏録』にも、安曇宿禰を海神綿積豊玉彦神の子、穂高見命の子孫
と記していることからも豊玉彦が綿津見神のことだと思われるのです。
 
 安曇氏には、安曇連、安曇宿禰、安曇犬飼などの氏族が存在しますが、『古事記』
には、
 
 「この三柱の綿津見神は安曇連らの祖神」
 
と、記されていますが、『新撰姓氏録』では、安曇連も安曇宿禰と同じくその御子神の
穂高見命を始祖としています。
 さて、『古事記』にある「三柱の綿津見神」とは、住吉神と同様に綿津見神も3神いる
からです。
 『古事記』では、綿津見三神(底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神)も住吉
三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)も、イザナキが黄泉国から戻って禊をした時に
生まれた神だとしています。
 
 「水の底にすすぐ時に成れる神の名は、底津綿津見神、次に底筒男命。中にすすぐ
時に成れる神の名は、中津綿津見神、次に中筒男命。水の上にすすぐ時に成れる神の
名は、上津綿津見神、次に表筒男命」
 
 このように、綿津見三神と住吉三神は対になる形で同時に誕生しているのです。
 同時にこれは安曇氏と津守氏の関係が強いものであったと想像されます。
 
 ただ、『新撰姓氏録』では、摂津に安曇連と安曇宿禰の名は見えず、代わりに安曇犬飼連が
載っていることから、大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)などは、大海神社は安曇連では
なく安曇犬飼が関係していたものとします。
 
 しかし、『播磨国風土記』の揖保郡の項には、安曇連百足(あずみのむらじももたり)と
いう人物がここ揖保郡にいたことを記していますが、浦上の里の項に、百足が、元は
難波にいて、そこからこの地にやって来た、と記します。
 また、『大阪府史 古代編Ⅱ』も、かつて難波に存在した安曇寺を安曇連に関わる寺だ
と考えています。
 すなわち、難波に安曇連がいた可能性は否定できないのです。
 
 ちなみに、安曇寺は大阪市中央区高麗橋に存在していたとする説が有力ですが、この
地は坐摩神社の旧社地近くでもあるのです。
 このことは、安曇氏と津守氏と坐摩神社を結ぶ手がかりの一つとなりそうです。