小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

404 阿麻氐留神社の神と高御産霊神

2015年06月26日 02時08分55秒 | 大国主の誕生

大国主の誕生404 ―阿麻氐留神社の神と高御産霊神―

 

 対馬の太陽信仰についてもこれまでに何度か採り上げたことがあります。

 最近では対馬の天道信仰を採り上げました。
 対馬の天道信仰における天童法師は、太陽の御子神です。天童法師の母は日光が下腹部を
射したことで懐妊し、天童法師を産んだといい、これがアカルヒメの伝承と重なります。
 
 それから、阿麻氐留神社(あまてる神社)です。
 『大同類聚方』に「対馬国下県郡阿麻氐留神社の宮人箘田連(竹田連)重宗の家伝流所方」と
あるように、竹田連は対馬の阿麻氐留神社に関係していたようです。
 
 阿麻氐留神社の祭神は天日神命(アメノヒミタマノミコト)とされていますが、社名から推測する
には、本来の祭神は天照神(アマテル神)であろうと思われます。
 天照神は伊勢の天照大御神ではなく、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、つまりホアカリのこと
と考えられています。
 
 この阿麻氐留神社は対馬国下県郡の式内社です。
 『延喜式』に記載されている対馬国下県郡の式内社を見ると、高御魂神社(たかみむすひの
神社)と和多都美神社(名神大社)、和多都美神社(小社)があります。
 ちなみに対馬国上県郡にも和多都美神社(わたつみ神社)と和多都美御子神社があり、
上県郡ではこの両社のみが名神大社なのです。
 
 竹田川辺連が祭祀する大和国十市郡の竹田神社はホアカリの御子神である天香久山命を
祀っていますが、古記録には祭神は天火明命(アメノホアカリノミコト)とあります。
 もっとも天香久山命は天火明命の御子神なので同じ系統の神を祀っていることになります。
 そして高御産霊神を祀る目原坐高御魂神社が十市郡に鎮座します。
 
 このように、対馬に阿麻氐留神社と高御魂神社があり、大和の十市郡に竹田神社と目原坐
高御魂神社があるのです、
 
 さらに、京都府城陽市の水度神社では高御産霊神と少童豊玉姫命(ワダツミトヨタマヒメノ
ミコト)を祀ります。
 しかも、「山城国風土記逸文」に記された水度神社の祭神の名は天照高弥牟須比命(アマ
テラスタカミムスビノミコト)となっているから、この神もアマテル神かもしれないと考えられるの
です。
 
 対馬と大和、南山城は地理的に離れた場所にありますが、この組み合わせが決して偶然
とは思えないのが『日本書紀』にある阿閉臣事代(あへのおみことしろ)の神託です。
 顕宗天皇3年の春に、任那に赴いていた阿閉臣事代に月神から、
 「わが祖高皇産霊(タカミムスヒ)は天地を造りし功績を持つ。それゆえに吾を祀れ」
と、神託があり、さらに夏には、今度は日神が事代に神託をして、
 「磐余の田をわが祖高皇産霊に献上せよ」
と、告げたものです。
 
 この神託は大和に報告され、結果、月神の神託に対しては山城の葛野郡歌荒樔田(うたあら
すだ)に月神を祀る社を築いて壱岐縣主(いきのあがたぬし)の先祖押見宿禰(オシミノスクネ)に
祭祀を行わせ、日神の神託に対しては、要求どおりに磐余の田を十四町献上し、対馬下縣直
(つしまのしもつあがたのあたい)に日神を祀らせた、と『日本書紀』は記します。
 
 阿閉臣事代に神託をした月神は、祭祀氏族が壱岐縣主であることから、壱岐の式内社で
明神大社の月読神社の神であったと考えられます。
 一方、日神は、祭祀氏族が対馬下縣直であることから、対馬国下縣郡の阿麻氐留神社(あま
てる神社)の神だと考えられます。
 しかし、そうだとするなら、阿麻氐留神社の祭神はすなわち高御産霊神の子孫だということに
なるのです。
 それならば、天火明命、天香久山命と高御産霊神の組み合わせや水度神社の高御産霊神が
天照神となっていることも納得がいきます。
 
 そして、神託を下されたのが阿閉臣であることにも見逃すことはできません。
 『日本書紀』によれば、阿閉臣は大彦命の子孫となっているのです。