小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

388 オオタタネコと気比大神

2015年05月10日 00時37分03秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生388 ―オオタタネコと気比大神―



 神武天皇以外にも、「ミケ」という言葉を名に持つ系譜が存在します。
 それは、大物主の祭祀を司ったオオタタネコです。

 オオタタネコは、『古事記』では大物主の子孫、『日本書紀』では大物主の子、と
記されていますが、『先代旧辞本紀』では、スサノオの9世の子孫と記されているの
です。 ただ、問題となるのがその系譜で、そこには、

 6世ノ孫 豊御気主神
 7世ノ孫 大御気主神
 8世ノ孫 健飯賀田須命
 9世ノ孫 オオタタネコ

と、記されています。


 さらに興味深いのは、6世の子孫、豊御気主神が妻に迎えたのが紀伊名草姫で、この
名は明らかに紀伊国名草郡を指すものです。
 紀伊国名草郡は、日前神宮・国懸神宮の鎮座する地であり、伊達神社や加太神社の
鎮座する地なのです。
 伊達神社(いたて神社)と加太神社(かだ神社)については、前に、出雲国意宇郡の
韓国伊大弖神社(からくにいたて神社)、出雲国大原郡の加多神社(かだ神社)と、
共通した名の神社が出雲に存在すると紹介しました。

 オオタタネコの父にあたる健飯賀田須命も、その名に「飯」の言葉が含まれており、
これは「ミケ(御食)」に相当するものです。

 この他にも、オオタタネコには気比大神との関連をうかがわせることがあります。

 オオタタネコは、『日本書紀』では、陶邑の人とあり、『古事記』には河内の美努村
(みの村)とありますが、これは、大阪府堺市の陶器村(現在の堺市中区陶器北)に
比定されています。
 それと言うのも、旧陶器村の近くには見野(現在の中区見野山)という地名が存在する
こと、そして、ここに陶邑窯跡群という須恵器の生産遺跡が存在するからです。

 堺市には伝陶器村鐸と呼ばれる銅鐸があります。陶器村から銅鐸が発見されたと伝え
られるためです。

 さて、気比大神を祀る神社は日本海側に広く分布しますが、兵庫県豊岡市気比にも気比
神社が鎮座します。
 この気比からは4つの銅鐸が発見されているのですが、そのうちの、気比4号銅鐸は、
伝陶器村と同笵なのです。
 ちなみに、出雲の加茂岩倉遺跡出土の加茂岩倉21号銅鐸と同笵であり、福井県坂井市
井向で発見されたものと伝わる明治大学1号銅鐸とも同笵です。
 なお、気比2号銅鐸は、加茂岩倉遺跡出土の加茂岩倉5号銅鐸と同笵です。

 豊岡市気比の気比神社も祭神は五十狭沙別命(イササワケノミコト=気比大神)なのです
が、この神は新羅から来日したアメノヒボコと同神といいます。

 それでは、オオタタネコもまたアメノヒボコや新羅と関係があるのか、という問題が生じ
ます。

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